20016_下級将校の見た帝國陸軍

一下級将校の見た帝国陸軍

山本七平 文春文庫

戦時中に徴兵され砲兵士官としてフィリピンに渡った筆者が、自らの体験から感じ思索した帝国陸軍の姿を抉ったものである。文庫本で300ページ少しの小さな本だが、内容は濃く、筆者の観察眼の鋭さに唸る思いがする。
筆者は旧軍を「虚構の中で生きていた組織」だと断じる。その1つが員数主義である。員数主義とは、とにかく数を合わせること。棚卸して数が合わなくても「異常なし」と報告する。これが員数主義だ。旧軍の宿痾ともいうべき私的制裁にしても、中隊長が「私的制裁を受けたものは手を上げろ」と言って誰も手を上げなければ「私的制裁はなかった」とされる。これもまた員数主義だ。平時ならこれでもよい。しかし戦争になれば現実がものをいうから員数主義は破綻する。要するに「ないものはない」のが現実だからだ。それでも日本軍は員数主義にこだわる。その典型例があの大本営発表であり、繰り返される「大戦果」の数々だ。
また「仲間ボメ」も旧軍の特徴だ。乃木大将が陸大の講義では愚将でも外部では聖将。そのようにして仲間内で誉めあって一般人を睥睨している。まさに裸の王様。しかしそれが通用するのは日本国内だけで、もちろん海外では通用しない。もちろん戦争でも通用しない。
このように筆者は旧軍の問題点を鋭く指摘しながら、何故このような組織になってしまったかについても考察を進めている。筆者によれば旧軍をこのような奇怪な組織にしたのは統帥権にあるとし、統帥権が軍を肥大化させ、国民から遊離させたとしている。
極端にいえば、旧軍は日本国民のための軍隊ではなかった。日本軍という組織を守るための軍隊であった。日本という国土には2つの国が併存し、1つが日本一般人国、もう1つが日本軍人国である。日本軍人国にとって日本一般人国は守るべき対象ではなく軍のために活用すべき従属者以外の何物でもなかった。一般の日本人から見て日本軍人国は正体不明の不気味な存在であり、ある日突然強制移住させられる存在でもあった。
なぜマッカーサーによる占領政策が「稀に見る成功」を収めたのか。理由は簡単。同じ占領軍(一般の日本人にとって旧軍は占領軍以外の何物でもない)でも旧軍よりも連合軍の方が「少しは話が分かる」(言葉が通じるといった方がわかりやすい)からだ。
このように本書は旧軍について問題点を鋭く抉った著作である。もちろん筆者の見方は一面的であり、批判の余地はあろう。例えば日本軍が「虚構の中の軍隊」と上に書いたが、少なくとも戦術レベルでは日本軍による島嶼防衛戦は改善されて連合軍を悩ませており、そのことは連合軍側も認めている。しかし戦術レベルではなく作戦又は戦略レベルでは、連合軍の日本軍に対する評価は手厳しい。そして正にそのことが筆者の言う旧軍の問題点と多くの点で重なる所があると思える。