もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

カテゴリ:戦史 > 7年戦争

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少し前になりますが、5月のYSGA追浜例会に参加しました。
プレイしたゲームは以下の通りです。

真田軍記(GJ#36)

大坂落城400周年、ではないですが、大坂の陣ゲームとしては定番となっている本作をプレイしました。
結果については別途報告します。

フリードリヒ最大の危機(GJ#50)

「真田軍記」が終わった後に速攻プレイ。下名はプロイセン軍を担当しました。
最初のプレイでは補給線を甘く見て後方遮断されてフリードリヒが逢えなく討死。ポカプレイだったの改めて第2戦。今度はフリードリヒも粘り、本国付近まで攻め込まれながらも、オーストリア軍、ロシア軍、そしてオーストリア軍を個別に撃破し、プロイセン本国を死守。そんなこんなで連合軍相手に連戦連勝のフリードリヒでしたが、本国は連合軍に攻め込まれて背水の陣状態。果たしてプロイセンの運命は・・・、と行った所で時間切れで終了となりました。

その他

パーティゲームを2本プレイしました。1つは「薩長同盟」、もう1つは果たして・・・?、何だったけ。

そんなこんなで楽しい週末は過ぎて行きました。

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前回、山科会で大敗を喫して以来の対戦となる「フリードリヒ最大の危機」。今回も前回同様反フリードリヒ側を指揮することになった。
順当に戦えば有利と言われている反フリードリヒ側だが、果たして順当に行くだろうか・・・?

1756年

8月

イメージ 12プロイセン軍は定石通りザクセンを攻める。まずライプチヒが陥落。その後トルガウ、ドレスデンが陥落する。東プロイセンではレーワルト将軍(★1)率いる6戦力がダンツィヒを陥落させていた。

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1757年

2月

年が明けて1757年。オーストリア軍は主力をモラビアのオリュミッツに集結させる。

4月

フランス軍が動いた。ライン河畔から北上、ウェーゼル河畔の要域ミンデン要塞を無血占領する。

6月

イメージ 13ロシア軍が動いた。アプラクシン将軍(★★1)率いる24戦力が東プロイセンに侵攻。ケーニクスブルクを占領する。
フランス軍はウェストファリア一帯に版図を広げていく。
プロイセン軍はボヘミア侵攻開始。フリードリヒ(★★3)率いる16戦力がプラハの城塞を囲む。

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8月

イメージ 14イメージ 15スウェーデン軍のハミルトン将軍(★1)率いる5戦力がバルト海に面した港湾都市ステッテンを囲んだ。大要塞に対して如何にも攻撃兵力の少なさが気になるが、それでもスウェーデン軍はステッテン守備隊に対して2Hitを与えていた。
それに対してプロイセン軍はハインリヒ親王(★2)率いる7戦力をベルリンから出撃させてステッテンに向かわせた。スウェーデン軍5戦力とプロイセン軍7戦力の戦い。兵力と指揮能力で勝るプロイセン軍であったが、スウェーデン軍は地形を巧みに利用(森林カードを使用)した。ダイス目の手伝ってスウェーデン軍の圧勝。ハインリヒ親王はほうほうの体で撤退していく。

フランス軍はクレモント(Clermont)将軍(★★1)率いる8戦力がカッセルから東に向かい、プロイセンとの国境付近ロスバッハにまで進撃してきている。

オーストリア軍がモラビアからシレジアに侵攻。オーデル川沿い(要するに右側ルート)に北上し、ナイセ要塞を占領した。プロイセン軍はプラハを攻めるも、プラハはまだ落ちない。冬が近い。

10月

冬を目前前にしてプラハが陥落した。これでプロイセン軍は一息ついた。
ロシア軍はダンツィヒからヴィスラ川沿いに南下し、トルン要塞を陥落させていた。
オーストリア軍がロシア軍に呼応してシレジアを制圧したい所だが、ここでチットを引かずにTurn End。ここでTurn Endはちと痛い。

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1758年

2月

英ハノーファ軍がウェストファリアで反撃に転じた。ブラウンシュバイク公(★★2)率いる8戦力がエムデンからリンゲンに南下してくる。

4月

スウェーデン軍が遂にステッテンを陥落させた。これでプロイセン北東部に拠点を得た反プロイセン軍。これに対してプロイセン軍はさらなる苦境に陥る。

イメージ 16プロイセン西部国境ではロスバッハに前進してきた仏軍クレルモン将軍率いる8戦力に対し、フリードリヒ率いる11戦力が反撃のために出撃してきた。兵力と指揮能力に勝るフリードリヒ軍であったが、湿地に阻まれて大苦戦。まさかの敗北を喫したフリードリヒは、ライプチヒに向けて後退するしかなかった。

カンバーランド公(★★0)率いる英ハノーファ軍はミンデン要塞を囲む。

8月

イメージ 17フリードリヒを破って意気上がる(調子ぶっこいている)クレルモン将軍は、プロイセン本国に侵攻。ライプチヒ要塞を囲む。しかしこれはさすがに調子に乗り過ぎであった。兵力を立て直したフリードリヒがライプチヒで反撃。得意の斜行戦術が炸裂しフランス軍は大敗。国境外に撃退されていった。

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シレジアではオーストリア軍がブリング要塞を陥落させ、要域ブレスラウを指呼の元に捉えた。
ロシア軍はバルト海沿岸部を西進し、コルベルグ要塞を占領する。

10月

イメージ 18英ハノーファ軍がミンデン要塞を奪回した。さらに南下した英ハノーファ軍がカッセルを占領。エアフルトに陣取るフランス軍14戦力(大半が消耗)は後方を断たれてしまう。

ロシア軍はバルト海沿岸を進んでステッテンに到着。スウェーデン軍と合流しステッテンの包囲を解囲する。別動隊がポーランド内陸部からオーデル川沿いのキュストリンに進出。同地を無血占領している。

1759年

2月

イメージ 19アプラクシン将軍(★★1)率いるロシア軍24戦力がベルリンに侵攻。ハインリヒ親王率いる6戦力を撃破してベルリンを支配する。それに対してフリードリッヒ率いる2個軍団16戦力がベルリンに向かう。両軍16戦力同士の激突。しかしここではフリードリヒの指揮が冴えわたる。得意の斜行戦術が炸裂。大損害を被ったロシア軍は退却を余儀なくされてしまう。一方勝利したプロイセン軍も兵力の半数がステップロスしてしまい、必ずしも楽な勝利ではなかった。

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エアフルトで包囲されたフランス軍は、ブラウンシュバイク公率いる英ハノーファ軍の攻撃を受けて壊滅。フランス軍は一気に12戦力を失う大損害を被る。クレルモン将軍は脱出カードで辛くも戦死を免れる。

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イメージ 20一方シレジアでは、オーストリア軍がその支配を完了しつつあった。ケーニヒグレーツ要塞を囲むベーヘン将軍(★1)率いるプロイセン軍6戦力に対してダウン伯(★★2)率いる16戦力が襲いかかった。ベーフェルン将軍の兵力は先の冬に冬季損耗で兵力の過半が損耗しており、新鋭のオーストリア軍に対抗する術はなかった。直ちに撤退するプロイセン軍に対し、オーストリアの騎兵が背後に回り込む。包囲されたプロイセン軍は壊滅的な打撃を被り、ベーフェルン将軍は戦死してしまう。

4月

バルト海沿岸では、フリードリヒが先に大損害を受けたロシア軍を追う。ステッテンで両者は激突。兵力の過半を失っているロシア軍に勝機はなく、ロシア軍は再び大損害を被り、コルベルク要塞まで後退していく。フリードリヒはスウェーデン軍が籠るステッテン要塞を攻めるが、ステッテンは落ちない。


8月

オーストリア軍がシレジア一帯を制圧していく。最後の仕上げにダウン伯率いる16戦力がブレスラウに攻め込んだ。プロイセン軍2戦力がブレスラウに籠るが、2ラウンド続いた攻撃によって遂にブレスラウが陥落する。

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10月

イメージ 22ダウン伯及びブラウン将軍(★★2)率いるオーストリア軍16戦力がドレスデンに侵攻した。ドレスデンを守るプロイセン軍はわずかに1戦力。それでも猛攻に耐えれば冬季損耗のチャンスもあったのだが、奇跡は起こらずドレスデンは陥落してしまう。

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1760年

2月

イメージ 21[attached(16,right)]]ブラウン将軍率いる8戦力はドレスデンから進発してそのまま西に向かいライプチヒを囲んだ。微弱な守備隊した持たなかったライプチヒは一撃の元に陥落してしまう。
一方ドレスデンから北上したダウン伯率いる8戦力とラウドン(★2)率いる8戦力の計16戦力がベルリンに殺到する。ベルリンを守るレーワルト将軍率いるプロイセン軍はたまらず退却。ダウン伯は騎兵を放って追撃するものの、プロイセン軍も騎兵を使ってこれに対抗し、騎兵の追撃を退けた。

「ベルリン、ライプチヒの陥落」

イメージ 23この報ほどプロイセン軍を震撼させたことはない。このままでは負ける。そういう思いに駆られたプロイセン軍は、兵力を結集してベルリン奪回を目指す。ステッテンを包囲中であったフリードリヒ率いる8戦力が包囲を解いてベルリンに向かい、南からはレーワルト将軍率いる8戦力がベルリンを目指す。

ベルリン攻防戦。

兵力はほぼ互角。ただしフリードリヒは連絡線遮断のため能力半減。さらにオーストリア軍は戦術カード3枚揃い踏みでフリードリヒの指揮能力に対抗する。ダウン伯、ラウドン率いるオーストリア軍は強かった。湿地に足を取られたフリードリヒ軍は思うように動けない。結局プロイセン軍はベルリン攻防戦い敗退して後退。ここにプロイセン軍の敗北が確定した。

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感想

全44Turn中22Turn目に決着がついた。丁度半分である。ここまでの所要時間はセットアップを含めて約3.5時間。最終Turnまでプレイしたとしても7時間ぐらいで終われそうだ。

[前回は同じ反プロイセン軍を率いて歴史的大敗を喫したが、今回は順当に勝てた。ロシア軍が普通に動いてくれて、オーストリア軍もフリードリヒとの直接対決を避けることができた(最終局面以外)ために兵力を大きく損耗することはなかった。フランス軍とロシア軍はオーストリア軍程幸運ではなく、いずれもフリードリヒ軍の猛攻によって大損害を被ったが、結果的にはプロイセン軍の時間と兵力の消費を強いたので、必ずしも一方的な敗北ではないだろう。

ゲーム展開としては順当なものだったと思う。反プロイセン軍は、オーストリア、ロシア、フランスを適宜機動させ、フリードリヒに翻弄を強いた。そして戦闘を実施するときは可能な限り自らを防御側とするように努める(反プロイセン軍の戦闘カードは、殆ど防御側のみ使用可能である)。今回はこれらが比較的上手くいった。
あと今回はスウェーデン軍の活躍が目立った。一例を挙げればハミルトン将軍の5~6戦力がステッテンを占領したことであろう。その影響は計り知れない。

いずれにしても面白いゲームである。まだまだ対戦したいゲームの1つである。

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山科会にて主題のゲームをプレイした。
今回は3名でプレイし、連合軍2名、プロイセン軍1名で対戦した。下名は連合軍の中でフランス、ロシア両軍を担当する。

1756年

イメージ 7序盤のプロイセン軍はザクセン地方一帯を制圧し、可能であればボヘミアのプラハ、ポーランドのダンツィヒ、場合によってはユトランド半島等に手を伸ばすのが常道となっている。そういった意味で今回序盤のプロイセン軍は極めて常識的に動き、概ね目標を達成した。
まず8月にダンツィヒが陥落。これにより東プロイセンとプロイセン本国との連絡線が開かれた。
またザクセン地方もライプツィヒ、ドレスデン、トルガウといった要域が次々と陥落。10月までにはザクセン地方一帯もプロイセン軍が制圧した。

対する連合軍は、オーストリア軍主力はモラビアのブルンに集結。また帝国諸候もライン河畔のコブレンツに集結した。しかし後者については帝国領の広い範囲をプロイセン軍の前に無防備な形で解放する結果となってしまい、結果的にその侵攻を助ける形になってしまった。

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1757年

イメージ 8プロイセンが帝国領をどんどん侵攻してくるぅ・・・。ボヘミア地方も侵攻してきた。帝国領内では新たに連合軍側で参戦したフランス軍が帝国領内に展開し、防備を固める。しかし英ハノーファー連合がプロイセン側に立って参戦し、ライン河畔のCologne要塞を無血占領していたりしていた。

オーストリア軍はシレジア地方に侵攻しシュフィドニツァ、グラツ、ナイゼ、ブリンクといったシレジア地方一帯を制覇していった。対するプロイセン軍は名将ザイドリッツ(★3)率いる2個軍団をブレスラウに派遣し、オーストリア軍のこれ以上の侵攻に備える。

その頃フリードリヒ(★★2)はザクセンよりボヘミアに向けて南下を開始。ボヘミアの首都プラハを囲む。2個軍団16戦力による攻撃によりプラハは一撃で陥落。ボヘミアへの門戸はプロイセン軍に対して大きく開かれた。機を逸せずプロイセン軍は東に向かい、Koniggrantzを攻撃。ここを占領していった。

イメージ 9東からはロシア軍がいよいよ胎動を開始。ロシアの名将ピョートル・セミョービッチ・ソルティコフ(★★2)率いる3個軍団24戦力の大兵力で一度はケーニクスベルグを囲んだものの、「ブランデンブルグの奇跡」カードによって撤退を余議なくされてしまう。その後1個軍団で同じくケーニクスブルグを囲んだが、これを落城させるには至らずに冬を迎えてしまう。

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1758年

イメージ 102Turn連続で「いきなり終了」が続いた後、プロイセン軍が動いた。「強行軍」カードでフリードリヒ自ら率いる2個軍団がブルン要塞を攻撃。これを一撃で陥落させていた。ブルンはオミュレッツとウィーンとをつなぐ要域で、ここの陥落はオーストリア軍にとって本国の後背地帯とシレジア地方の分断を意味していた。
勢いに乗るフリードリヒ軍はオミュレッツに進軍。ここを守るオーストリア軍と対峙する。兵力的にはほぼ互角の両軍だったが、オーストリア軍を率いるチャールズ・ロレーヌ公(★★0)は名にし負う「愚将」。全く役に立たない将軍で、極端な言い方をすれば「いない方がマシ」な程であった。
このバカ殿のおかげでオーストリア軍は一方的な敗北を被り、オミュレッツから退却を余儀なくされてしまう。オミュレッツをプロイセン軍が囲んだことにより、シレジア地方で作戦中のオーストリア軍2個軍団は、一挙に連絡線切れの状態に陥った。

その頃ロシア軍は再びケーニクスブルグを囲んだが、またもや「ブランデンブルグの奇跡」によって本国への引き上げを余儀なくされていた。

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1759年

イメージ 11結果から言えば、前年のオミュレッツにおける連合軍の敗北が今回の敗北を決定づけたといえる。その後オーストリア軍はシレジア一帯を奪回し、最終的にはオミュレッツに反撃してきたブラウン将軍(★★2)率いるオーストリア軍残存部隊をフリードリヒ自ら率いる軍団でこれをせん滅。僅かに残ったダウン将軍(★★2)率いる半個軍団が果敢にプラハに対する奪回作戦を試みたが、あと一歩及ばず失敗してしまう。

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イメージ 12また西部戦線でも攻勢に転じたフランス軍に対し、ブランシュバイク公(★★2)率いる英ハノーファー軍2個軍団が見事な機動防御を展開。フランス軍2個軍団が撃破され、デステル将軍(★★1)が戦死するという悲運もあった。

最終的にはウィーン、ブダペストがプロイセン軍の攻撃により陥落。頼みのロシア軍もケーニクスブルグを占領するのがやっとという状態で、プロイセン軍の勝利でゲームが終了した。

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感想

イメージ 13今回連合軍を2名で担当したが、両者とも戦術レベルでの失敗が致命傷になった感がある。
まず下名が担当したフランス軍についてだが、3つの軍団に分けて包囲を狙ったのは完全な失敗であった。そのため中央を逆に英ハノーファ軍に突かれる形になってしまい、両翼の部隊が一挙に補給切れになってしまった。フランス軍は兵力こそ多いものの、機動力に乏しく、英軍やプロイセン軍と機動戦になったら勝ち目がない。従って主力は退路を確保した地点で集結しつつ、少数兵力での機動戦を挑むのが正しい戦術ではなかったか。大兵力を分けてしまうと、機動力に勝る敵にとって格好の獲物を与える結果となってしまった。

イメージ 14オーストリア軍については仕方がない。プレイヤー間の練度差が出てしまった感があり、ちょっと不幸な組み合わせであった。またプロイセン軍のダイスが走っていたのも事実。結果論から言えば、フリードリヒが戻ってくる前に主力部隊をウィーンあたりまで後退させておけば、もう少し違った戦いが出来たであろうとは思う。まあ後の祭りだ。

ロシア軍については何と言ってよいか・・・。「ブランデンブルグの奇跡」カードで追い返されたのは不幸であったが、出目やチット引きが悪かったのも否定できない。もう少しロシア軍が動いてくれればプロイセン軍を慌てさせることもできたのに、やや残念である。

いずれにしてもプロイセン軍が中盤にゲームを決する展開を始めてみた。ダイス目や練度差もあったが、今回はプロイセン側プレイヤーの見事な指揮ぶりに敬意を表したい。だけど・・・、
「今度は負けないぞ」

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Photo by Wikipedia

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「またか」の声が聞こえてきそうだが、主題のゲームをVASSALでプレイした。下名はフリードリヒを担当する。

1756年

イメージ 128月攻勢は上手くいった。ザクセンの主要地であるライプチヒ、ドレスデン、トルガウの3ヶ所を占領。ドレスデンに籠るザクセンのルトヴィスキ将軍(★★1)は戦死した。
しかし10月に入ってオーストリア軍が参戦してくると状況が一変する。
オミュレッツを発したピッコロミニ将軍(★1)率いる1個軍団がオーデル川沿いを北上。ナイゼ要塞を攻撃し、これを占領した。またチャールズ・ロレーヌ公(★★0)率いる1個軍団はグラツ要塞を囲む。
すわ、反撃。
と思ったが、無情にも"End Turn"。結局プロイセン軍は10月には一度も動くことなく年の暮れを迎える。

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1757年

イメージ 13冬季損耗でダンツィヒを囲むプロイセン軍とグラツを囲むオーストリア軍はそれぞれ大損耗する。
明けて1757年。フリードリヒ(★★3)はザクセンを離れて北に進みバルト海沿岸の都市シュトラールズントに進出した。ここはスウェーデン軍のハミルトン将軍(★1)が1個軍団弱の兵力を率いて守りを固めている。しかし歴戦のフリードリヒ率いるプロイセン軍に敵う訳もなくハミルトン将軍はスウェーデン領内に撤退していった。しかしシュトラールズントを守るスウェーデン軍は孤軍奮闘。結局シュトラールズントが陥落したのは6月になってからであった。シュトラールズントの守備隊はフリードリヒを向こうに回して4ヵ月間頑張ったことになる。

シレジア方面ではツィーテン将軍(★2)率いるプロイセン軍1個軍団が進出。オーデル川沿いに南下し、いったん陥落したブリング要塞を打開し、ナイゼ要塞に陣取るオーストリア軍と対峙する。シュトラールズントを陥落させたフリードリヒ軍も急遽南下。シレジア西部のグライツに進出しオミュレッツのオーストリア軍と対峙する。
ライン川沿いではフランスの大軍が北上してきた。ライン河畔のウィーゼル要塞はプロイセン軍が同方面に築いた根城であったが、フランス軍1個軍団の猛攻を受けることになってしまう。「ブランデンブルグの奇跡」カードで一旦は退いたフランス軍であったが、デステル公爵(★★1)率いる2個軍団がウェストファリアに進出。不気味な待機を続けている。

イメージ 15東プロイセンから北部ポーランドにかけての地域では、1756年末よりプロイセン軍レーワルト将軍(★1)率いる1個軍団弱がダンツィヒ要塞に籠るザクセン軍残存部隊に対して包囲攻撃を続けていた。ダンツィヒ要塞を守るザクセン軍守備隊は奮戦し、度重なるプロイセン軍の猛攻を跳ね返してきた。しかし8月に入ってその抵抗にも遂に限界が訪れた。ダンツィヒ要塞は陥落した。プロイセン軍はホッとしたのも束の間、すぐに東から新たな脅威が迫ってきた。3個軍団以上からなるロシアの大軍が本国を発して東プロイセンに殺到してきたのである。ケーニヒスブルグを守るプロイセン軍は鎧袖一触の元に撃破され、ケーニヒスブルクはロシア軍の支配する所となった。

シレジア地方では、フリードリヒが各地での状況に対応するためにドレスデンに引き上げた隙を突いた形でオーストリア軍が活動を開始していた。ダウン伯(★★2)率いる2個軍団がグライツ要塞を猛攻。一撃の元にこれを陥落させていた。

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1758年

イメージ 14まずは西部戦線でフランス軍が動いた。ライン河畔のウィーゼル要塞がブロイ将軍(★1)麾下の1個軍団の攻撃を受けて撃破されてしまう。さらにデステル公爵(★★1)率いる1個軍団がウェストファリアを北上。ミンデン要塞を囲んだが、ここで冬が来る。冬営で大損耗するフランス軍。
それに対する英ハノーファー軍は、半数の兵力でフランス軍と対峙する一方、1個軍団の兵力がドレスデンから南下し、ボヘミアのイーガー要塞を落してさらに南下の構えを見せている。

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シレジア方面ではオーストリア軍が3個軍団もの大兵力でナイゼ要塞を攻めてこれを一撃の元に陥落させる。それに対してプロイセン軍もすぐさま対応。ドレスデンを発したフリードリヒ麾下の1個軍団がグライツ要塞に逆進攻を行い、これを奪回した。フリードリヒはわずか1個軍団でオミュレッツに布陣するオーストリア3個軍団以上と対峙を続ける。

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東部戦線ではロシアの大軍がケーニヒスブルクを発してダンツィヒ要塞を落とした。

1759年

イメージ 16英国ブランスヴァイク公(★★2)率いる1個軍団がハノーファーより南下。ミンデン要塞を囲むフランス軍を追撃する。デステル公爵率いるフランス軍は英ハノーファー軍との交戦を回避し、ライン河畔に向けて後退した。

バルト海に面したシュトラールズントでは、スウェーデン軍の活動が再び活発化してきた。ハミルトン将軍率いる半個軍団がバルト海を渡ってシュトラールズントに攻め込んだのだ。スウェーデン軍は小兵力ながらもシュトラールズントを守るプロイセン軍守備隊を撃破し、さらに内陸へ進む構えを見せている。

夏になるとプロイセン軍3個軍団がボヘミアの首都プラハに総攻撃を仕掛けてきた。しかしプラハを守るオーストリア軍は奮戦し、プロイセン軍に対して一歩も引かない。結局冬までにプラハが落ちることはなく、プラハを囲むプロイセン軍は、総兵力の40%にあたる10戦力もの兵力を冬季損耗で失いことになる。

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1760年

年が明けるや否や、プロイセン軍はプラハ攻略に着手。今度こそ圧倒的な兵力にモノを言わせてプラハを攻略した。さらにプロイセン軍はボヘミア一帯に地歩を広げていったが、その時東からロシアの脅威が迫ってきた。Totleben将軍率いる1個軍団がバルト海沿岸を進み、コルベルクを占領。さらにその奥シュテッティンに対してはハミルトン将軍率いるスウェーデン軍が脅威を及ぼしていた。ポーランド内陸に侵攻したロシア軍主力はポーゼンに集結。侵攻の機会を伺う。
イメージ 17対するプロイセン軍はシュヴェリーン将軍(★2)率いる1個軍団をシュテッティンに急派。ハミルトン軍を撃破しシュテッティンを解放した。
ロシア軍が再び動いたのは6月に入ってからからであった。アプラクシン将軍(★★1)率いる2個軍団がブレスラウに侵攻、さらにソルティコフ将軍(★★2)率いる2個軍団弱のロシア軍がキュストリンに侵攻してきた。しかしプロイセン軍はこのチャンスを待っていた。アプラクシン将軍(★★1)率いる2個軍団を「ブランデンブルクの奇跡」によって強制後退を実施すると、フリードリヒ自ら率いる1個軍団とシュヴェリーン将軍率いる1個軍団がキュストリンにソルティコフ将軍(★★2)麾下のロシア軍を包囲した。兵力的にはほぼ互角の両軍だったが、包囲されたロシア軍に勝機はなかった。ロシア軍は完全に撃破されてソルティコフ将軍も戦死してしまう。

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イメージ 18その間、英・ハノーファー軍もプロイセン軍の側面を守る形でバイエルンに侵攻。サックヴィル将軍(★2)率いる半個軍団がニュルンベルクを占領してさらにミュンヘンへ侵攻の機会を伺う。また名将ブランスヴァイク公率いる1個軍団がウィルツベルクを落した。

西部戦線では英軍主力の不在を突いてフランス軍がハノーファー一帯に侵攻。ハノーファー、ハンブルクといった要域を電撃的に支配していった。守備隊を置かなかったことは失敗だったが、この陥落は正直痛かった。

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1761年

イメージ 14フランス軍が動いた。ハノーファーを発したデステル公爵率いる3個軍団がブラウンシュヴァイクに進出。英ブランスヴァイク公率いる1個軍団を撃退し、ブラウンシュヴァイクを占領した。しかしこれを好機と見たフリードリヒ率いるプロイセン軍2個軍団が長躯西へ向けて進撃。ミンデン要塞を奪回し、さらにハノーファーを伺う。背後を切られて壊滅の危機が迫るフランス軍。

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イメージ 19その時、ロシアの大軍が動いた。バルト海沿岸を進むアプラクシン将軍率いる3個軍団が、ステッテン要塞を囲み、これを一撃で陥落させていた。この動きに呼応してフランス軍もハノーファーへ撤退に成功。逆に退路を断たれたフリードリヒは、まさに這う這うの体で辛くもカッセルに後退する。
ロシア軍の猛進撃は続き、遂に首都ベルリンが包囲落城するに至った。
「ベルリン落ちる」
の報に接したフリードリヒは、全軍にベルリンへの引き上げを命ずる。しかしこのような場合に限って進撃ダイスが振るわず("2"の目が出た)、その上強行軍カードが手元にないという状態。3個軍団のロシア軍に対し、フリードリヒは僅か1個軍団でベルリンに向けて突撃する。

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イメージ 13ベルリンの会戦でフリードリヒは獅子奮迅に働きを見せた。3倍近い兵力を誇るロシア軍相手に、「奇襲」「側面攻撃」「斜行戦術」と、ありとあらゆる手段でロシア軍を苦しめた。兵力の優位を誇り、楽勝を信じて疑わなかったロシア軍は、一時パニックに陥った。

しかし王の奮戦もそこまで。奇跡は遂に起きなかった。
兵力の過半を失ったフリードリヒ軍は遂に後退。ベルリンの支配が確定した。

この時点で勝利条件を満たした連合軍の勝利が確定した。

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感想

イメージ 20正直惜しかったと思う。あと1Turn粘れば、エリザベータの死亡チェックに持ち込めたので、プロイセン側にも勝機が出てきた所だった。敗因は1760年秋のハノーファーの陥落であろう。ある程度の要塞守備隊を残しておき、後方遮断を狙う作戦に出れば、フランス軍も易々とハノーファーを取ることはできたかった筈。そこまではかなり善戦していただけに惜しまれる。
あとは細かい戦術レベルでもムーブミスが多かった。反省しきりである。

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最近マイブームになっている「フリードリヒ最大の危機」(GJ#50)をプレイしてみた。
これまでプロイセン側を担当することが多かったので、今回は反プロイセン軍を担当させて頂いた。

1756年

8月

第1Turnはプロイセン軍のみが2回手番を行う。プロイセン軍はザクセン料内に進撃。トルガウとドレスデンの2箇所を制圧し、もう1ヶ所、ライプチヒにも猛攻を仕掛ける。また東プロイセンを発したレーワルト将軍(★1)率いる1個軍団(6戦力)がダンツィヒを囲んだ。

10月

ライプチヒは陥落した。フリードリヒ(★★3)率いる1個軍団はドレスデンから南下し、「百塔の都」プラハを攻めた。プラハを守るオーストリア軍ブラウン将軍(★★2)の1個軍団は決戦を回避。籠城部隊を残して主力は後退していく。フリードリヒはプラハを囲んだが、これを攻略するには至らない。またロボジッツからイーガーに進んだベーヴェルン公爵(★1)率いる1個軍団がイーガー要塞を囲んだが、これを落とすには至らなかった。さらにダンツィヒを囲むレーワルト将軍の部隊もこれを陥落させていない。こうして冬が訪れる。

オーストリア軍はオミュレッツを発したピッコロミニ将軍(★1)率いる2個軍団が、シレジアを北上。グラツ、シュフィドニツァの2要塞を次々と攻略。要域ブレスラウを指呼の下に捉えた。

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12月

この戦争初の冬が来る。プラハ、イーガー、ダンツィヒの野外で冬営を迎えたプロイセン軍は脱走兵が続出。計10戦力がステップロスするという手痛い損害を被ってしまう。

1757年

2月

フランス軍が参戦した。ライン川沿いに北上したフランス軍1個軍団がウィーゼル、ミンデンの2要塞を無血占領した。

8月

ロシア軍が参戦した。3個軍団(24戦力)もの大兵力で東プロイセンへ攻め込んだロシア軍は、ケーニヒスブルク要塞を鎧袖一触の下に陥落せしめた。

先にシレジア地方西部を制したオーストリア軍。今度はオーデル川沿いのシレジア東部を攻めた。ナイゼ、ブリングの2要塞を落としたオーストリア軍は、名将ブラウン将軍指揮の1個軍団がブレスラウ要塞を攻める。

その間、フリードリヒ率いるプロイセン軍は増援を得てプラハを陥落せしめた。フリードリヒは返す刀で1個軍団を率いてブレスラウに進撃。ブラウン将軍の軍団と対峙する。
第1次ブレスラウ会戦。
地形を利用して待ち伏せを行うブラウン将軍に対し、斥候兵からの報告でその備えを知ったフリードリヒは決戦を回避し後退していった。

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10月

フリードリヒが再びブレスラウに進んだ。待ち構えるのは、今回もブラウン将軍。
第2次ブレスラウ会戦。
今度はフリードリヒが指揮の冴えを見せてブラウン軍を痛撃。プロイセン軍はこの戦争で初めての野戦での勝利を収めた。
一方グラツ要塞に攻め込んだのはプロイセン軍モリッツ将軍(★1)率いる1個軍団弱。それに対してオーストリア軍はブラウン将軍率いる2個軍団の大兵力でこれを迎え撃った。2倍以上の兵力を迎えたプロイセン軍は戦わずして撤退していく。

ロシア軍はダンツィヒまで進んでこれを解放していた。

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1758年

2月

年が明けてフリードリヒは麾下の1.5個軍団(11戦力)を率いてシレジア地方を南下。グラツ要塞に攻め込んだ。グラツでは、オーストリア軍ブラウン将軍率いる2個軍団(16戦力)が満を持して待ち構えていた。地形を巧みに利用したオーストリア軍を前にフリードリヒは大苦戦。結局兵力に勝るオーストリア軍が大勝を収めた。

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その後1758年は大きな動きはなく、年の瀬に至る。

1759年

4月

西部戦線でイギリス・ハノーヴァー軍が動いた。ブランシュバイク公(★★2)率いる1個軍団とフランス軍リシュリュー将軍(★★1)がリンゲンで激突する。指揮能力に勝る英・ハノーヴァー軍がフランス軍を破った。

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6月

東部戦線では、ブラウン将軍麾下のオーストリア軍3個軍団はブレスラウを強襲した。ブレスラウが陥落。シレジア一帯はオーストリア軍の支配する所となった。

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ロシア軍はプロイセン領内に前進した。コルベルグ要塞を囲んだアプラクシン将軍(★★1)麾下のロシア軍2個軍団は、一撃に下にコルベルグ要塞を陥落せしめた。

8月

ブレスラウを制したオーストリア軍はオーデル川沿いに進撃を開始した。フェレンツ2世(★2)率いる2個軍団がグロガウ要塞を陥落せしめた。

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対するプロイセン軍は、プラハから南下してきたヘンリー王子(★2)率いる1個軍団がウィーンを囲んだ。強襲を繰り返すプロイセン軍だが、流石に兵力が十分ではなく、ウィーンを陥落させるには至らない。

10月

ロシアの大軍がプロイセン領内の要域であるステッテンを囲んだ。圧倒的な兵力を持つロシア軍はステッテン要塞を一撃で陥落させた。さあ、ベルリンは指呼の元にある。

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西部戦線では英・ハノーヴァー軍がその機動力を利用してフランス軍を翻弄。ミンデン要塞にデステル公爵(★★1)率いるフランス軍1個軍団を囲んだ。

1760年

2月

西武戦線では、先程のTurnで敵に包囲されたフランス軍に対し、英・ハノーヴァー軍が包囲攻撃を仕掛けた。兵力はほぼ互角だったが、包囲されて連絡線が遮断されている状況では戦い様がない。デステル公爵(★★1)率いるフランス軍1個軍団は退路を断たれて降伏した。

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4月

ロシア軍がベルリンに侵攻した。時を同じくしてオーストリア軍がドレスデンに攻め込む。窮地に陥ったプロイセン軍は、フリードリヒ率いるプロイセン軍はベルリンでロシア軍を迎え撃ったが、度重なる消耗戦で兵力をすり減らしたプロイセン軍がロシア軍を打ち破ることはできなかった。ベルリンは陥落。この時点でプロイセン軍の敗北が確定した。

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感想

プレイ時間はセットアップも含めて5時間程度であった。今回も途中終了だったが、だいたい半分強の進展だったので、フルターンでプレイすると9~10時間程度はかかるかもしれない。そんなゲームである。

今回は反プロイセン軍を担当したが、まあ概ね順当な戦い方だったと思う。オーストリア軍を主力とし、兵力面で勝るロシアとフランス軍を使ってプロイセン軍を圧迫する。最後はオーストリア軍とロシア軍でプロイセン領内の策源地帯を一気に占領するという作戦である。

本作については、これまでも本ブログで何度か扱ってきたが、面白いゲームだと思う。時間がかかるのがやや難点であるが、その点を除けば極めて優れた佳作ゲームだと評して良いだろう。

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