論争関ヶ原合戦
笠谷和比古 新潮選書
関ヶ原の合戦と言えば日本史上でも一二を争うほど有名な戦いだが、何分にも400年以上も前の戦いなので、真相が十分に分かっている訳ではない。戦いの様相は主に文献情報に基づいているが、文献によっては矛盾する記載があり、さらに徳川による勝者バイアスがかかっているので、文献情報を100%鵜呑みにできない。だから次々と新設、珍説が披露されることになる。
本書は、関ヶ原の戦いに関する様々な説を紹介しながら、筆者なりの持論を紹介している。筆者によれば、関ヶ原の戦いは決して一瞬で決着が着いたような戦いではなかったし、小山評定はあったし、徳川本隊による問鉄砲もあったとしている。筆者は関ヶ原の戦いのポイントを「二段階蜂起」にあるとしている。つまり西軍による軍事蹶起は当初、石田三成と大谷吉継の2名による小規模なものであった。しかしその後三成の活動で淀殿や毛利を西軍に巻き込むことに成功。最終的には徳川vs豊臣といった大規模対決につながっていくとのこと。
問題は小山評定で、その時の会津征討軍はまだ三成らの小規模反乱といった情報しかなく、そのために小山評定に参加した豊臣系大名達が「三成討つべし」で一致したのも当然であった。しかしその後三成の工作が奏功し、三奉行による「内府ちかいの条」が発せらるに及び、豊臣vs徳川の様相を呈してきた。これが家康が江戸に戻った時期に相当する。江戸に戻った家康がしばらく江戸から離れなかった理由は、小山評定における前提条件がここにきて大きく変化したことによると筆者は論じている。
筆者の主張が正しいのか、それとも他の論者が主張する説が正しいのか、判断するのは難しいが、こういった論争はタイムマシンが発明されるその時まで続けられることになるだろう。
お奨め度★★★