もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

カテゴリ:旅行・登山 > 城巡り

4
写真13

筑後川昇開橋は、かつて国鉄佐賀線が走っていた鉄道橋。昇開橋という名前の通り、橋の中央が上がり下がりします。その目的はロンドン橋と同じく船舶の通路を確保するため。普段は橋の中央が上がっていて、背の高い船舶が通過できるようになっています。また橋の上を鉄道が通過する時には、橋が橋脚部分まで下がってきて、その上を鉄道が走ります。

国鉄佐賀線は昭和時代後期に廃止となり、筑後川昇開橋は用済みとなりましたが、その独特の外観を惜しむ声が大きかったようで、鉄道廃線後も遺構として残されることになりました。
現在では橋の上は遊歩道として整備されており、歩いて橋を渡ることができます。また橋の中央が上下する機能は今でも残されており、観光客に対してはサービスで橋が上がり下がりする様を見せてくれます。

写真14
写真15
写真16
写真17
写真18

実は筑後川昇開橋を見たら、ここから立ち去るつもりだったのですが、近くに三重津海軍所跡というものがあると聞いたので立ち寄りことしました。海軍という言葉にはどうも反応してしまいます。
三重津海軍所とは、幕末に佐賀藩が独自で蒸気船建造と藩が保有する洋式蒸気船整備のための施設としてつくられたものです。日本で初めてドライドックがつくられ、その中で洋式蒸気船の整備が行われていたそうです。
今では海軍所跡といっても何か残っている訳ではないのですが、跡地が公園として整備されています。

写真19
写真20
写真21

海軍所跡が見える所に「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」という箱モノがあります。内部は三重津海軍所の歴史についての展示や3DCGによるシアターがあり、三重津海軍所について視覚的に学ぶことができます。
また佐野常民についてですが、佐野常民とは幕末期から明治期に活躍した人物で、元々は蘭学者で三重津海軍所での蒸気船建造や整備に尽力したそうです。さらにはパリ万博、ウィーン万博での活躍、さらに西南戦争を通じて日本赤十字社の設立に尽力したそうです。

写真22
写真23
写真24
写真25
写真26
写真27
写真28
写真29

お奨め度★★★★

写真30

3
久留米市は福岡県南部に位置し、福岡県内では第3位の人口を有している。
久留米城は市の中心地にあり、近くには久留米大学病院や久留米大学のキャンパスがある。
遺構としては大きな石垣と内堀が残っているが、石垣の中は篠山神社になっており、天主等は残っていない。また城域自体も比較的こじんまりとしている。

戦国時代には大友と龍造寺の激戦地となった久留米城。立ち寄ってみるのも悪くない。

お奨め度★★★

写真04
写真05
写真06
写真07
写真08

2


福岡県の大宰府市。古代から中世にかけてはしばしば歴史の舞台に登場する大宰府。
水城は大宰府を守る防衛施設の1つだ。博多湾から大宰府に向けて官道が走っており、その右手には大野城、左手には小水城がある。水城はその間を埋める位置づけになる。

写真33

水城趾はJR線や西鉄、九州自動車道や国道3号線を丁度横切るような形で残っている。城跡といってもまっすぐ伸びる人工の丘陵地帯で、その規模はかなり大きい。東の端に水城舘という施設があり、その周囲が史跡として整備されている。

写真00
写真01
写真02
写真03

城と言っても天守や石垣がある訳でもなく、やや趣の異なる古城だが、こういう城も良いのではないだろうか。

お奨め度★★

山陰04

米子駅から約1km程の場所にあります。意外と近いです。
かつて関ヶ原の戦いで活躍(?)した吉川広家が城の土台を作り、その後赴任してきた中村一氏が完成させたという山陰の名城です。

山陰05
山陰06
山陰07
山陰08

麓からは比高50m程の登り坂になっており、10分程登った所が天守のあった所です。建物の類は残っていませんが、何層にも分かれた石垣は健在で、往時の規模を彷彿とさせてくれます。眼下には米子市街と中海の景観、さらにその向こうには山陰の名峰伯耆大山が雄大な姿を見せています。

山陰09
山陰10
山陰11
山陰12

山陰を代表する名城の1つ米子城。機会があれば一度訪ねてみては如何でしょうか。

3
埼玉県行田市にある忍城。
14世紀に成田氏によって築かれた城郭とのことですが、詳しくは知りません。
(興味のある方はWikipediaで調べてみてください)
秀吉の北条攻めの際、石田三成が水攻めを仕掛けて失敗し、「三成って戦下手だね」的な話のタネになるぐらいかな・・・。と言いながら、その話があったので一度は見てみたいと思って訪れました。

秩父鉄道の行田市駅から約1km。徒歩で15分ぐらいの所です。往時の姿ではなく再現された状態とのことで、三成率いる豊臣勢の猛攻を防いだ往時の面影はありません。道路に面した所に三層櫓があり、これが忍城のシンボル的な役割を果たしています。内部は博物館の一部とのこと。三層櫓は良い感じなのですが、そこと博物館本体をつなぐ渡り廊下が妙に現代的でちょっと興ざめ。せめて窓枠ぐらいは昔風にして欲しかった・・・。

写真00
写真01
写真02
写真03

城内はちょっとした日本庭園になっていて、ノンビリ歩く分には丁度良い感じ。写真の題材としても楽しめました。

写真04
写真05
写真06

お奨め度★★★

↑このページのトップヘ