もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

カテゴリ:戦史 > 日本戦国時代

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「西国の雄」 (以下、本作)は、 以前に紹介した「信玄上洛」 と同じく、群雄伝シリーズの作品である。「信玄上洛」が(結果的にではあるが)群雄伝シリーズの第1番目の作品となったのに対し、本作は比較的後期の作品になり、システム的にも洗練されたものになっている。本作の舞台は中国地方における毛利、大内、尼子の三つ巴の戦いで、別々の時期を扱う4本のシナリオが用意されている。
今回、本作を対人戦でプレイすることになった。

前回はシナリオ1「折敷畑の戦い」 について紹介した。

シナリオ3「郡山の戦い」

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尼子晴久時間がまだ十分あったので、もう1本シナリオをやりましょう、ということで、シナリオ3「郡山の戦い」をプレイしてみた。これは若き日の毛利元就の活躍を描いたシナリオで、出雲を支配する尼子氏と毛利氏との戦いを描いたものである。毛利方の兵力は5ユニット10ステップ。対する尼子氏は37ユニット74ステップ。兵力差は圧倒的で、まともに戦えば毛利方に勝ち目はない。しかし毛利方は指揮能力において勝っており、かつ本城である郡山城一点を守っていればよい。自城のヘクスでは合戦を回避できるため、尼子の武将が個別に元就と戦う必要があり、兵力の優位を生かしきれない。また毛利方は本城なので補充能力が高い。従って郡山城に毛利全軍がスタックしている限り、郡山城は難攻不落の要塞になる。

とはいえ、それだけなら単に「岩山に卵をぶつける」だけの単純なゲームになるのだが、そこに一捻り加えているのが面白い所。ゲーム途中から毛利方の友軍として大内勢26ユニット(52ステップ)が登場する。尼子勢はあえて郡山城を落とさなくても、例えば毛利の持ち城である高松城を落として、あとは逃げ切っても勝利条件的には勝利が可能だ。毛利勢は郡山城にいてこそ無敵だが、城から離れた瞬間脆弱な存在となる。そのための大内勢だ。大内の援軍が安芸に到着した時こそ、本当の戦いが始まるといって良い。

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下名は毛利・大内側を担当する。

このシナリオについては詳細な記録をつけていなかったので、概略を記するに留める。
尼子久幸序盤、定石通り尼子の大軍が郡山城を囲むが、郡山城に対する攻撃は一向に功を奏さず、徒に尼子側の損害だけが増えてくる。業を煮やした尼子勢は郡山城を後方に残したまま南下。尼子方の武将本城常光(2-2-2★)が高松城を包囲しこれを落城。尼子久幸(2-2-3★)、尼子誠久(2-1-3★)は大内方の城郭である八尾城、神戸城などを伺う。

やがて高松城が陥落。毛利の城が1つでも落城すると大内氏が介入してくる可能性がある。確率は毎Turn1/6であるが、2ターン目に大内参戦の目が出たので、大内の大軍が陶晴賢、江良房栄、吉見正頼らに率いられて安芸国に入る。安芸南部の銀山城、鏡山城、竹原城あたりが焦点となるが、大内が重視した竹原城は、増援部隊の到着が間に合わず、城主である小早川奥景(2-1-2★)は切腹して果てた。

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大内軍は目標を銀山城に変更。銀山城は安芸南部に位置する尼子の城郭である。銀山城が実は安芸から尼子勢を追い出すキーストーンとなるのだが、こんな田舎の小城がまさか戦略的な要域になるとは・・・。だから戦略は難しい。そしてウォーゲームは面白い・・・。

宍戸隆家銀山城を攻め落としたのは、大内きっての名将、陶晴賢。銀山を拠点とした大内勢は北上への道が開ける。また銀山の落城と前後して郡山の毛利が動いた。尼子の出城である日野山と尼子が奪取した高松城の間に毛利方武将である宍戸隆家を出陣させた。

本城常光驚いたのは、高松城を守る尼子方武将本城常光である。いきなり後方連絡線を遮断され、補給切れに陥ってしまう。しかしそれに対処する尼子方の予備兵力も今や乏しい。本城常光は高松城を捨てて後退。石見に向けて北上していく。さらに予備兵力捻出と戦線整理のために安芸南部に布陣していた尼子方の諸将が次々と北上を開始。出雲との国境付近まで後退していく。
高松城に抑えの兵力を残し、陶晴賢が遂に郡山城に入った。これにより郡山城を守っていた毛利元就はフリーハンドになった。いよいよ野戦能力と機動力で他を圧する毛利元就が動き始める。狙いは石見山中を彷徨う尼子方の本城常光。士気が低下したままの状態で回復の目途が立たず、何とか尼子の勢力圏まで後退を図る。その背後を追う毛利元就。本城常光の運命は正に風前の灯火である。

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といった所でお開きとした。尼子側プレイヤーによるとこの時点で勝ち目なしと見たとのこと。私の見た所では、まだ絶望的な状況でもないようにも思えるが・・・。まあ、それはそれとして・・・。

ゲーム終了まで後5Turn残した状態での終了となった。全体で20Turnのシナリオなので、全体の3/4が終了したことになる。プレイ時間はセットアップ等を除いて約3時間であった。1Turnの平均所要時間は10分強といった所か。

陶晴賢今回、対人戦で久しぶりに群雄伝をプレイしてみたが、群雄伝はやはり面白い。特に後期の作品はシステム面で洗練されているだけではなく、シナリオのバランスについても良く練られている。つくづく「ゲームシステムとシチュエーション(シナリオ)のバランスって大事だなぁ」と改めて感じた。
プレイ時間の短さも魅力の1つで、1Turnの所要時間が10~15分程度というのも嬉しい所。最近のゲームでは1Turnの所要時間が1時間を超えるものも少なくないので、本シリーズの「軽さ」は感動的ですらある。本作でも今回プレイしたシナリオ以外にまだ未プレイのシナリオが2本もあるし、他にも「秀吉軍記」「九州三国志」等のシナリオもまだまだプレイしたい。

群雄伝シリーズはやはり傑作だなぁ、と改めて感じた。

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「西国の雄」 (以下、本作)は、 以前に紹介した「信玄上洛」 と同じく、群雄伝シリーズの作品である。「信玄上洛」が(結果的にではあるが)群雄伝シリーズの第1番目の作品となったのに対し、本作は比較的後期の作品になり、システム的にも洗練されたものになっている。
毛利元就本作は中国地方における毛利、大内、尼子の三つ巴の戦いを4本のシナリオで描いている。主役はもちろん毛利元就で武将能力では他の勢力を圧倒しているが、地方の豪族に過ぎない毛利氏に対し、大内、尼子は兵力で勝っている。従ってまともに戦うと「単純に毛利圧勝」ということにはならない(多分)。

小早川隆景今回、本作を対人戦でプレイすることになった。最初にプレイするのは、シナリオ1「折敷畑の戦い」である。これは、天文23年(1554年)における大内家の内紛(陶晴賢の内乱)を機に大内氏と断交した毛利と大内との戦いを全18Turn(約4.5か月)で描いたシナリオである。下名は毛利方を担当した。

シナリオ1「折敷畑の戦い」

5月第3週(第1Turn)

大内義長大内氏は主将大内義長(2-0-2★★、戦闘力-野戦修正-行動力-指揮順位、以下同じ)が大内家に反旗を翻した吉見正頼(2-2-3★)の籠る津和野城に攻め込む。また大内家の陶晴賢(2-2-3★)と江良房栄(2-1-3★)は山陰地方に進出し、銀の産出地である石見国山吹城(10VPの価値がある)を目指す。
対する毛利方は主将毛利元就(3-3-4★★)が拠点である郡山城を出陣。安芸国における毛利方の拠点であった銀山城を囲んだ。

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5月第4週(第2Turn)

大内義長が津和野城を包囲する。その一方で毛利元就は銀山城に連続強襲を仕掛けてこれを陥落させた。

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6月第1週(第3Turn)

江良房栄大内方の江良房栄が石見から国境を超えて安芸国へ侵入を図る。毛利元就は銀山城の守りに小早川隆景(3-1-4★)を残し、主力を率いて日野山城に向かう。日野山城は安芸北部にある城郭で、このシナリオでは毛利の持ち城となっている。毛利元就の北上を見て江良房栄は石見の山中へ後退していく。毛利元就の方が行動力が1大きいので江良房栄を石見山中で捕捉攻撃したものの、ダイス目が振るわず、僅かに1ヒットのみであった。

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6月第2週(第4Turn)

吉川元春大内方は山吹城を包囲していた陶晴賢を後退させる。また先に毛利元就の追撃を受けた江良房栄も海岸付近まで後退していく。 毛利元就は山吹城の守りに吉川元春(3-2-3★)を残し、さらに小早川隆景も安芸・石見国境の防衛のために派遣した上で、残りの主力を率いて南下。宮島に面した桜尾城に入った。
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6月第3週(第5Turn)

毛利元就は包囲下の津和野城を救援するため周防国から津和野を目指す。元就の進撃を阻止すべく、大内方から陶晴賢、江良房栄が相次いで迎撃に向かったが、いずれも元就との交戦で撃破されて士気値が-2となってしまう。しかし肝心の津和野城は耐久力残り3まで低下しており、陥落寸前である。

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6月第4週(第6Turn)

吉見正頼津和野城が陥落した。守将である吉見正頼は毛利方の桜尾城に落ち延びた。
その津和野城に対して毛利元就が逆撃を仕掛け、毛利と大内の合戦となった(津和野城の戦い)。毛利元就14ステップ(約14,000人)、大内義長30ステップ(約30,000人)。兵力では大内方が2倍以上であったが、野戦修正値に大差があり、普通に戦えば「毛利楽勝」の筈であった。しかし合戦の出目は毛利方にとって最悪で、最初の2ラウンドで1,2を出してしまい、逆に大内方は出目が良くて6,6という出目。このまま続けても勝ち目がないと見た毛利方は合戦を中止して撤退してく。

ちなみにここで両者が合戦したことは実はルール違反であった。というのも、合戦当事者のいずれかが山地ヘクスにいる場合、合戦は成立しないのである。他にも今回いくつかルールミスがあったので、最後にまとめて紹介したい。

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7月第1週(第7Turn)

損害を被った毛利勢は周防東端の高森城まで後退。前線には小早川隆景を配置し、山峡部の守備に当たらせる。元就本隊は高森城を包囲しつつ、兵力の再整備に努める。

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7月第2週(第8Turn)

7月第3週(第9Turn)

大内方の江良房栄が周防に向けて進撃の構えを見せてきたので、小早川隆景は遅退戦術を展開。徐々に後退しつつ時間稼ぎをする。 その間、毛利元就本隊は先の合戦で受けた損害を回復し、高森城に対する強襲攻撃開始した。高森城の落城も時間の問題である。

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7月第4週(第10Turn)

8月第1週(第11Turn)

高森城は陥落した。これにより毛利勢は津和野方面に向けての前進基地を確保した。毛利勢は再び周防から石見に向けて出撃していく。
一方の大内方は江良房栄が再び石見の山吹城方面へ出撃し、山吹城を包囲した。

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8月第2週(第12Turn)

刺賀長信 山吹城で事件が相次いで起こり、士気値が-2になってしまう。山吹城落城の危機。この城はVP10点分の価値があるので、もし山吹城を大内方に奪われると、毛利勢としてはかなり苦しい立場になる。
毛利勢は山吹城を間接援護するため、津和野城東面の峠道に布陣した。この峠道は長門から石見に向かう大内方の連絡線上に位置しているため、この峠を押さえている限り山吹城を囲む大内方にも連絡線が通じなくなる。ちなみに先ほど説明した合戦ルール適用ミスの件、気づいたのはこの時点であった。

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8月第3週(第13Turn)

毛利元就毛利勢は津和野を守る大内義長、陶晴賢の軍勢を書く各個に攻撃し、これを個別に撃破した。大内勢は津和野から南西部へ後退していく。それを追う毛利元就。渡川城南の平原地帯で毛利元就が大内義長を捕捉した。指揮能力差、さらに士気差が合計5差もあり、大内側に勝ち目はなかった。この渡川合戦で回復困難な大打撃を被った大内側。この時点で敗北を認めてゲーム終了となった。

大内側としては津和野城下に毛利元就を入れた時点で勝ち目はなかった。津和野前面を守るため、例えば陶晴賢あたりに大兵力を持たせ、峠道で毛利元就を迎え撃つのが良いと思う。

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感想

全18Turn中13ターンをプレイしたプレイ時間は2時間強である。全18Turn(しかも毎Turn4ステージ)というと結構長いように感じるが、本作の場合1度に動くスタック数が少ないため、1Turnあたりの所要時間は驚くほど短い。今回も1Turn平均10分というペース。本作で一番長いシナリオは、シナリオ4「大内氏滅亡」で48Turnであるが、それでも朝から初めて夕方には決着がつくペースである。

ルールミスについて書く。先に書いた合戦ルール以外では、いずれもシナリオルール適用のミスである。まず毛利がゲーム開始前に1回分の行動が可能となるルールがある。これによって毛利方の初期対応がより効果的になる。もう1つは毛利川の統率能力の件。このシナリオでは毛利元就の統率力が5に制限されている。シナリオ後半の津和野攻撃の際、この制限を超過して適用してしまった。

シナリオのバランスは不明だが、それほど悪くはないと思う。気持ち毛利方が有利に思えるが、大内方としては津和野を落として吉見正頼を切腹させれば、その時点でVPが逆転する。後は毛利勢の津和野方面への侵攻を峠道で阻止しつつ、周防の城を落とされないようにすればよい。あるいは山吹城を攻めてこれを落城させれば、勝利への道が近づく。大内の強みは兵力の優位と機動力3の武将が陶晴賢、江良房栄の2名あること。これらを機動的に運用し、毛利方の兵力集中を妨げるようにするのが得策と思われる。

つづく

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時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。
今回はソロプレイで本作に挑んでみた。

前回までは --> こちら

4Turn(10月第4週)

織田信長畿内の状況が武田方によって不利になってきているので、短期決戦を目指す武田方は後方連絡線をある程度無視する形で強引に前進する。三河から国境を越えて美濃に入り、東美濃の高野、金山城間を通り、犬山城の北側を迂回して岐阜城に迫る。岐阜城は言うまでもなく織田方の本拠地。岐阜城の失陥乃至は被包囲は織田方にとって全面敗北に等しい。岐阜城前面で武田軍の主力と織田・徳川連合軍が激突する。武田の兵力は28ステップ(約28,000人)、織田・徳川連合軍は32ステップ(32,000人)である。ほぼ互角の合戦であったが、火力では鉄砲装備率に勝る織田・徳川連合軍の方がやや勝っていた。(38火力vs48火力)

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合戦の結果は火力に勝る織田・徳川連合軍が勝利し、敗れた武田勢は総崩れとなって東へ向けて後退していく(岐阜城下の戦い)。織田と武田の最初の激突は織田方の勝利に終わった。

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武田にとっては失敗に終わった戦いだが、狙いそのものは悪くなかった。というのも、もしここで武田方が勝利を収めていれば、織田・徳川連合軍は根拠地を完全に失い、その時点で壊滅していた可能性もある。仮に壊滅を免れたとしても、岐阜城の囲みを解かない限り織田方に勝ち目はない。そういった意味で「当たれば大きい」ギャンブルであったといえる。

5Turn(11月第1週)

徳川家康武田勢はいったん後退すべく美濃・尾張の国境付近を東へ向けて後退していく。しかし織田・徳川の追撃は急であり、武田軍は困難な撤退戦を戦うことになる。殿軍を出して撤退路を確保せんとするが、織田方は機動力のある羽柴秀吉、稲葉良通が左右から退路を遮断する。退路を塞がれた武田本隊は、西から追撃してきた徳川家康本隊に対して武田信玄は三河、尾張、美濃の三境付近で乾坤一擲の合戦を挑んだ。兵力では武田側17ステップ(17,000人)、徳川側14ステップ(14,000人)でほぼ互角。ただし士気で徳川が勝っていた。

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この戦いで再び大敗を喫したのは武田方である。武田方は再び総崩れとなり後退。しかし士気が-4を下回ったため全軍が消滅。武田信玄もこの地であえない最期を遂げたのである。

結果:織田・徳川連合軍の勝利

感想

明智光秀うーん、ソロプレイだからもう少し慎重なプレイを心掛けるべきでした。ギャンブルに走ったため、展開は派手になったものの、早期に終了を迎えたのは少し残念です。できれば再度プレイし、もう少し結果を見てみたい気がします。降雪の効果や一向宗の攻勢など、今回あまり見ることができなかった様々な事象も是非見てみたい気がします。

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時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。本作はそのifに挑んだ野心作である。

「信玄上洛」 (以下、本作)は、元々1980年代にツクダホビーから発表されたシミュレーションゲームである。当時のツクダホビーは、ガンダム等のアニメ作品をテーマとしたゲームと戦車や戦闘艦、航空機等の兵器同士の戦いをテーマとした戦術級(彼らの言葉でいえば「戦闘級」)ゲームを主なラインナップとしていた。そんな中、本作のようないわば正統派の作戦級陸戦ゲーム(しかもWW2ではなく戦国時代)が出版されたことで、私などは少なからず驚いたものである。

本作は、後に「戦国群雄伝シリーズ」と呼ばれる一連の作品の魁となった作品である。群雄伝シリーズの基本システムは、本作によって確立されたといって良い。
本作は1Turnを4つの作戦ステージに分けて、第1作戦ステージ~第4作戦ステージとなっている。各作戦ステージでは、ユニットは移動または戦闘のいずれかを実行できる。加えて武将には「行動力」というパラメータがあり、自身の行動力以下の作戦ステージのみ行動できる。例えば行動力3の秋山信友は、第1~3作戦ステージには行動できるが、第4作戦ステージには行動できない。一方で行動力4の羽柴秀吉は、全ての作戦ステージで行動できる。このことはすなわち羽柴秀吉は自身の判断で秋山信友と交戦可能だが、秋山信友は羽柴秀吉が応じない限り彼を捕捉できない。
武将には行動力の他、野戦修正というパラメータもあり、最強は野戦修正が3の武田信玄、徳川家康、浅井長政、明智光秀。一方で我らが信長様は野戦修正1とやや辛口である。一般に織田・徳川勢は行動力が高く、武田勢は野戦修正が高い。
ユニットには指揮順位があり、指揮順位の高いユニットは、自身よりも低い指揮順位のユニットをユニット数制限の範囲内で配下にできる。配下にできるユニット数はそれぞれ固有のボックスで与えられており、織田信長の場合ボックス数12、武田信玄は8、徳川家康は7である。
戦闘がファイアパワーで、野戦修正の差がダイス修正になる。ダイスは6面体1個で、かつ攻撃側と防御側の両方でダイスを振るので、野戦修正の差は結構デカイ。
スケールについては、1Hex=約6km、1Turn(イニング)=1週間、ユニットは1ステップが500~1000名の兵力を表す。なお、後続の群雄伝シリーズ作品では1ユニット=2ステップで統一されているが、本作だけは1ユニットで2ステップのものと4ステップのものの2種類がある。

基本戦略

武田勢はとにかく西へ向かう。途中で織田・徳川連合軍と交戦してこれを撃破する。戦いに勝って名を挙げれば、自然と畿内地方の状況も武田方が有利となろう。そうなると織田方は益々忙しくなり、武田の西進を止められなくなる。そのことでさらに畿内の情勢が織田方にとって不利になる。つまり武田は現状を打破することで有利な状況を作り出し、それによって雪だるま式に勝利を目指すのが常套戦略と思われる。

織田・徳川連合軍の戦略はその逆。つまり現状維持こそが勝利の決め手となる。織田・徳川連合軍にとって主な敵は4つである。最初の敵は言うまでもなく上洛を目指す武田信玄である。次は近江から南下の機会を伺う浅井・朝倉の連合軍。3つ目は伊勢長島に本拠を構える一向宗徒。4つ目は石山本願寺に籠る一向宗徒である。これら4つの強敵を相手とする織田・徳川連合軍の戦略や如何?。

織田・徳川連合軍の戦略としては、Game Journal#52の記事にある通り、織田信長麾下には最小限の兵力を置き、その代わりに優秀な織田軍団の軍団長を使って畿内地方で攻勢を取ることにした。最優先目標は浅井・朝倉連合軍。ここには織田軍団最優秀の明智光秀(3-3-4★、戦闘力-野戦修正-行動力-指揮順位、以下同じ)と次点の丹波長秀(3-2-4★)を投入する。兵力は24ステップ(2万4千)。浅井・朝倉軍の24ステップと兵力は互角だが、指揮能力で勝っているので、攻勢は可能だ。
次に石山本願寺の一向宗と対峙するのは、羽柴秀吉(3-1-4★)麾下の10ステップ(1万)と稲葉良通(3-1-4★)麾下の別働隊2ステップである。石山一向宗は24ステップの大兵力なので織田方からの攻勢は難しいが、北陸戦線に投入した丹波長秀を適宜スイングさせることで対応可能と考える。
次に伊勢湾戦線。ここには柴田勝家(3-2-4★)麾下の12ステップ、織田信長(3-1-4★★)直率の6ステップ、そして別動隊の滝川一益(3-1-4★)麾下の別動隊2ステップを投入する。対する伊勢長島の一向宗は24ステップ。兵力的には織田方がやや不利だが、指揮能力で織田方が勝っている。
武田本隊に対しては徳川家康(3-3-4★★)麾下の16ステップを投入する。しかし武田本隊は36ステップの大兵力を誇り、徳川家康だけでは対抗するのが難しい。従って織田信長本隊から適宜増援を派遣する必要があるだろう。

サイは投げられた。歴史の歯車が今、音を立てて動き出す。

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1Turn(10月第1週)

武田信玄武田信玄(3-3-4★★)が麾下の兵力を率いて躑躅ヶ崎を発して駿河に進出。遠江との国境で国境突破の機会を伺う。同じ頃、織田軍団は畿内各地で攻勢に出る。まず北近江で明智光秀、丹波長秀による浅井・朝倉軍への攻勢は、しかし決定的な戦果は挙げられず、やや手詰まりの感あり。そのため丹波長秀は北近江戦線より南下して羽柴秀吉が担当する石山戦線に向かう。
その羽柴秀吉。京に向けて前進してきた一向宗徒率いる下間頼廉(2-0-2★)を大和・山城国境付近で迎え撃ち、これに打撃を与えるも、決定的な戦果を挙げるには至らず。また石山本願寺の別動隊は堺を制圧した。
最後に伊勢戦線。柴田勝家が一向宗を率いる願証寺証恵(2-0-2★)を強襲。平地での戦いであるため柴田勢は一向宗徒をなで斬りにし、11ステップを撃破するという大戦果を挙げた。願証寺証恵は僅かな兵力を率いて長島城に撤退するも、柴田勝家の追撃は急である。

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2Turn(10月第2週)

石川數正武田信玄が遠江に侵攻した。徳川家康は武田との決戦を回避。石川数正(3-2-3★)を浜松城の守りに残し、残りは岡崎まで撤退していった。
京都周辺では、大きな動きはなかったが、武田軍の遠江侵攻に対応すべく、羽柴秀吉麾下の軍団を伊賀経由で伊勢方面に向かわせた。これにより京都周辺に残る織田軍は、小規模な機動兵力を除くと丹波長秀麾下の軍団のみとなった。
伊勢戦線では柴田勝家の猛攻が続いている。伊勢長島城付近で願証寺証恵麾下の一向宗を痛打。これに大損害を与えて事実上戦闘不能とした。伊勢長島の一揆勢はこれにより主要野戦兵力の約半数が戦闘不能となった。

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3Turn(10月第3週)

浅井長政織田方にとって最良のイベントが発生した。「和議交渉」。畿内における反織田勢力の一部が織田方と和議が成立する可能性がある。一向宗は和議の対象外なので、現時点で和議の可能性があるのは、浅井又は朝倉である。結果は「浅井との和議」成立であった。小谷城を守る浅井勢はマップから取り除かれる。
まずいのは琵琶湖西岸を南下中の朝倉勢である。朝倉義景(4-0-3★★)麾下の朝倉勢に対し、坂本方面から丹波長秀、琵琶湖北岸を迂回して朝倉勢の背後から明智光秀が迫る。挟撃を受けて退路遮断の危機に陥る朝倉勢は、何とか重囲を突破して木ノ本付近にまで後退した。

伊勢方面では、柴田勝家が一向宗を長島城から追い出し、伊勢街道を南下、追撃する。願証寺証恵は柴田勢を追撃を受けて山中に逃げ込んだが、最早その運命は風前の灯である。
畿内情勢の急転を受けて武田信玄は進撃を開始。浜松城の方位を山県昌景(7-2-4★)に任せ、信玄自身は尾張に進入し、井田城を囲んだ。


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つづく

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「真本信長公記」 には、基本シナリオの他に2本のオプションシナリオがあります。1つは「大かうまぐんきのうち」と名付けられた秀吉による天下統一シナリオ。もう1つは「真史徳川実紀-関原御合戦双紙」と呼ばれる秀吉亡き後の豊臣と徳川の争いを描いたシナリオで。
今回プレイしたのは、「大かうまぐんきのうち」(秀吉統一シナリオ)の方。ダイス判定の結果、下名が反羽柴型を担当しました。

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1Turn(天正十年)

このシナリオも序盤は両軍とも地歩を固めることになる。我が反羽柴連合は近江・南畿を最前線として北陸、濃尾、東海を支配。ただし在地ボックスに武将がいないため、これ以上地歩を広げられないのが少し辛い。
一方の敵羽柴陣営は安芸、山陽、摂河泉を支配した。また摂河泉で羽柴軍を迎え撃った明智光秀(2-7★★)は、羽柴秀吉(2-7★★★)の調略によってアッサリと寝返ってしまう。やはり本能寺の黒幕は秀吉だったのか・・・

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2Turn(天正十一年)

羽柴秀吉が京に進出。大徳寺で信長公を弔う壮大な葬儀を開催した。これにより秀吉公の威信が1個増える(★の数が4個になる)。一方の反羽柴陣営は柴田勝家(2-5★★★)が大軍を率いて近江に進出。徳川家康(3-4★★★)も濃尾に進出してきた。

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3Turn(天正十二年)

柴田勝家と佐久間信盛(2-4★)が兵を率いて北畿に進出した。羽柴側の小早川隆景(2-6★★★)も北畿へ進出。ここに初めて両陣営による大規模な合戦が行われた。この合戦は柴田側の勝利に終わり、小早川隆景は山陰地方に向けて撤退していく。

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4Turn(天正十三年)

最終Turnである。小早川隆景を総大将とする羽柴軍が北畿に進出してきた。包囲され、退路を断たれた柴田勢(単に街道越し以外では1部隊しか撤退できないというルールを見逃していただけ)奮戦むなしく壊滅する。
Turn終了時にVPを計算してみると、累積で+2VPでギリギリ反羽柴側の勝利であった。

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感想

ギリギリで勝ったのは良かったが、最後の柴田勝家の戦死は無駄なロスだった。2ユニットなら後退できないというルールを失念していた訳だが、これがなければもっと楽に勝てたかもしれない。結果から言えばダイス目に恵まれた勝利といえよう。

真史徳川実紀-関原御合戦双紙

この後で3番目の「関ヶ原シナリオ」を試してみましたが、他のシナリオとはやや毛色が違う感じですね。最初に豊臣方を担当した時にはVPが足らず、乾坤一擲の決戦を挑んだものの、家康公と石田・宇喜多連合の指揮官の能力差によって惨敗。
2回目は1回目の教訓を生かして上杉景勝を越後に進出させて策動。決戦を回避しつつVPを稼ぐ戦略を立てて、前回の雪辱を果たしました。

対戦相手氏いわく、このシナリオは東軍側に勝ち目がない、とのことでしたが、私はそれほどやり込んでいないので、どちらが有利なのかはわかりません。

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