もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

カテゴリ: その他

2022年1月9日(日)。僕は人生初の「骨折」を体験した。米子駅の跨線橋からホームに降りていく途中、階段の踊り場から足を踏み外し、ホーム上へ転落。その際に転倒したのだ。
診断の結果は「右膝粉砕骨折」。3ヶ月程度の入院が必要という。入院先は米子医療センター。そこから僕の入院&リハビリ生活が始まる。

前回までの展開 --> こちら

入院14日目(1/22土)

今日で早くも入院2週間になる。予想はしていたが、時間が経つにつれて1日が短く感じるようになってきた。だんだんと入院生活が「日常」になってきている。

午前中は車椅子で軽くフロアを回ってみる。少しでも運動量を増やして睡眠を深くしたい。夜眠れないのは結構辛いものだから。

午後は負傷した右膝を曲げるという新しいリハビリが始まった。専用の機械に右足を固定し、右膝を少しずつ曲げていくというエクササイズである。初日は最大40度まで曲げたが、特に痛みのようなことはなかった。また右膝を曲げたことで少し膝が楽になったような気がする。

今の所、手術した右足にまだヒリヒリとした痛みは残っているが、体温はほぼ平熱に戻り、以前のように37~38度という高熱になることはなくなった。

夜やってきた看護師さんが「足が乾くからニベア塗っておくと良いよ」とアドバイスしてくれたので、早速Amazonで注文する。その事を件の看護師さんに話すと「へぇ、米子でもamazon届くんだぁ」と驚いていた(オイオイ)。ちなみにこの看護師さん、この後私の中では「ニベアさん」と(密かに)呼んでいる。

入院15日目(1/23日)

今日で事故から丁度2週間になる。長いようであっという間の2週間だった。
昨晩は久しぶりに7時間の睡眠を確保できた。車椅子で動く機会が増えたので、ちゃんと疲れているのが大きいのだろう。また今日から自力で洗顔が出来た。少しずつ自分で出来ることが増えるのは、素直に嬉しい。

午前中は膝のリハビリと抜糸がある。傷の治り具合は順調のようだ。ただ傷自体がかなり深いので完治するにはまだまだ時間がかかりそう。

午後には別のリハビリがあり、主に右膝の柔軟体操と左足の筋トレを行った。ちなみにこの時のリハ担当は若い女性。名前は仮に広島さんとしておこう。今まで男ばかりだったので、若い女性がリハ担当というのは少し驚き。

入院16日目(1/24月)

今日からシャワー使用の許可が出た。まだ右足を使えないので、シャワー室では転倒しないかとおっかなびっくり。看護師さんが見てくれてはいるが、まだ若い看護師さん(hさん)だったので、特に慎重に行動した。取り敢えず無事にシャワーを終えて一安心。明日もシャワーを使おう。

入院17日目(1/25火)

リハビリで松葉杖を意識した練習が始まる。まだまだ車椅子なしでは生活できないが、松葉杖が使えるようになれば、退院へ向けた目星が見えてくる(かもしれない)。

写真13


今日もシャワーを浴びる。右足の傷口からまだ体液が染み出てくる状態なので、右足にはビニールを被せて水がかからないようにする。不便だが、それでもシャワーを浴びることができるのは大きい。

リハビリとは直接関係ないけど、Blue Water Navyのキャンペーンシナリオが完了した。決して「暇」という訳ではないが、VASSALをやりまくるチャンスだというのは間違いない。

Turn04c


入院19日目(1/27木)

術後2週間である。今日から松葉杖の練習が始まる。最初はおっかなびっくりでなかなか上手く歩けない。それでも少しずつ慣らしていくしかない。

写真14


今日は2日ぶりにシャワーを浴びる。今日の担当看護師さんはベテランのmさん。さすがにテキパキと要領が良い。誉め言葉のつもりで「hさん(一昨日担当の新人看護師)より全然手際が良いですね」なんて言ったものだから、mさんが不機嫌になったのかどうか・・・(そりゃ新人と比べられたら不機嫌になるわな)。その後、包帯交換と時に少しいびられた。いやー、口は災いの元である。

序に今日からパンツがオシメタイプから通常のガラパンに戻った。これで一応普通のパジャマスタイルに戻った訳である。

入院20日目(1/28金)

今日の担当看護師はニベアさん。ニベアさんが同室の他の患者さんにもニベアを奨めているのを聞いて思わず微笑してしまった。

午後からCT検査がある。まだ右足に体重をかけられる状態ではなく、術後の状況を確認するための検査らしい。その後、包帯の交換がある。包帯といっても抜糸の時のようなぐるぐる巻きの如何にも「骨折」といった感じではなく、中ぐらいのガーゼ1枚を貼るだけというシンプルなものだ。脚の表面の腫れも殆どひいている。ただし、まだ痛い。

その後はリハビリ。松葉杖による歩行練習や膝の屈伸運動を行った。

入院21日目(1/29土)

入院3週間目。今日はリハビリが休みであった。リハビリがないと暇である。仕方がないから自主トレの回数を少し増やしておく。

入院22日目(1/30日)

早くも事件から3週間が経過した。終わってみると早いものである。
病院にいて世間と隔絶されていると、世間の動きには鈍感になる。ニュースを見るとコロナの感染者が全国で8万人以上、米子界隈でも120人となっていた。病院内だからコロナは大丈夫、ということも言っていられない。マスク着用と手指消毒はしっかり行わないといけないと思う今日この頃である。

今日は午後からリハビリがあり、松葉杖歩行の練習を行った。松葉杖歩行も3度目なのでかなり慣れてきた。リハビリ担当の山形さん(仮名)からは「もう単独でも大丈夫ですね」と言われたが、右足の骨がまだ固まっていないので、リスクは避ける。

つづく

写真11


2022年1月9日(日)。僕は人生初の「骨折」を体験した。米子駅の跨線橋からホームに降りていく途中、階段の踊り場から足を踏み外し、ホーム上へ転落。その際に転倒したのだ。
診断の結果は「右膝粉砕骨折」。3ヶ月程度の入院が必要という。入院先は米子医療センター。そこから僕の入院&リハビリ生活が始まる。

前回までの展開 --> こちら

入院8日目(1/16日)

こういう状態になるとどうしてもトイレ(L)が億劫になるが、出さないとマズイということで昨晩に下剤を飲んだ。それが効いたのか、午前中に2回もトイレ(L)があった。看護師さん、ありがとう。
ちなみに、私は絶対安静状態なので、トイレに立つことはできない。トイレ(小)はその場で尿瓶で済ませることができるが、トイレ大はベッドの上に簡易大便器を挟み込んで始末するしかない。

膝の痛みは少し収まってきたが、まだ痛み止めが切れると少し痛い。
午後にはリハビリがあり、今日は九鬼さん(仮名)という別のリハビリの先生がやってきた。今日も筋トレである。その後はBlue Water NavyのキャンペーンシナリオをVASSAL上でスタートした。夜は大河ドラマを見る。

Turn00a


入院9日目(1/17月)

午前中にCT検査があった。
午後に注文していたポケットWi-Fiが到着。早速つないでみる。つながった。YouTubeを見る。これで少し文化的な生活が送れるはず。

写真05


その後、リハビリの山形先生(仮名)がやってきた。今日から車椅子に乗ってみる。まだおっかなビックリだが、それでも車椅子に乗れたのは大きい。これでトイレにも自由に行けるようになるはず。看護師さんの見守り付きだが、トイレに立てるようになった。

写真06


入院10日目(1/18火)

午前中に大林先生(仮名)が包帯交換にやってきた。CTの結果は「若干の隙間は残っているが、再手術は不要」とのこと。一番気になるのは車の運転への影響だが、全治後は運転に支障はないとのこと。朗報である。レンタカーを借りることができれば、ドライブ旅行の範囲は広がる。
その後、リハビリ。今日の担当は今中先生(仮名)。車椅子で初めてリハビリ室に移動し、主に片足歩行時の筋トレを行う。
午後には今回の入院2回目の部屋移動があった。今までは爺さん中心の部屋だったのでリハビリの進捗は僕が一番早かったのだが、この部屋はリハビリが比較的進んでいる人たちの部屋らしく、他の人の声が皆元気だ。以前の部屋では僕が一番「元気」だったか、この部屋では僕が一番「役立たず」である。

写真07


夕方ごろから右膝の痛みが酷くなってきた。食事の時に痛み止めを飲んだのでその効果に期待したが、あまり効果がなさそう。ちょっと不安になる。

入院11日目(1/19水)

入院してから夜の眠りが浅い。就寝時間が2100なのでその後は寝付けるのだが、だいたい1~2時間に1回ぐらい目が覚めて、2時頃に目が覚めるともう眠れない。1時間ほど本を読んだ後、3時頃に看護師さんから痛み止めを貰い、それを飲むと2~3時間眠れる。まあ運動量が少ないので眠りが浅いのは仕方がない。リハビリが本格化すればもう少し眠りが深くなるのだろうと思う。

昨晩は大雪が降ったようで、窓の外が真っ白であった。病院の窓からも白く染まった米子平野が見える、写真の奥は皆生温泉。退院したら真っ先に行ってみたい所だ。

写真08


ちなみに水曜日は回診の日。「白い巨塔」でお馴染みの偉い先生がやってきて患者を見て回るというやつだ。こういうのが本当にあったというのが少し驚き。

1000頃からリハビリがあり、左足と両腕の筋力強化を行った。思ったよりもきつかった。
午後には初めてトイレで用を済ませた。今までは「寝たきり状態」だったのでトイレの始末が大変だったが、制限付きとはいえ、トイレで用を足せるのは大きい。
さらにその後は車椅子で少しドライブし、自販機でコーヒーを購入する。自販機を使うのは入院して以来初めてだ。少しずつだが活動範囲が広がるのが嬉しい。

写真09


昨日気になっていた右足の痛みも、今日は左程酷くはなく、徐々にではあるが、治癒に向かいつつあるように思える。


入院12日目(1/20木)

今日で術後1週間になる。通常なら術後1週間で採血があるとのことだが、今日の予定にはないらしい。
午前中は包帯交換があっただけ。後はブログ記事をネット経由でまとめて書き込んだ。従来はブログ記事については概ね2~3週間先を目安に予約していた。しかし現在はノートPC1個に依存している環境なので従来よりもPC環境停止のリスクが高い。例えば自宅でPCが壊れても手間さえ惜しまなければ比較的容易に復旧可能だ。しかしここでノートPCが壊れたら、退院するまでは復旧が困難になる(不可能ではないが、さすがにAmazonでノートPCを発注して病院に送ってもらう気にはなれない)。だから万一ノートPCが壊れたら、退院するまではPCなしになる。

写真10


午後にリハビリがあった。今日はリハビリ室へ移動して筋トレを20分ほど行う。まだまだ序の口で、これからどんどんリハビリが厳しくなるんだろうなぁ、と、思う。

写真11


今の所、結構快適な生活をしている。好きな音楽は聴きたい放題だし、好きな本は読みたい放題だし、SNSでお喋りできるし、メールやLineも使えるし、たとえるなら、サイアム・ビストにでもなった気分である。難点はトイレに自由に行けないこと、メシが不味いことぐらいかな。風呂や酒もNGだけど、それはまあ贅沢品ということで。

入院13日目(1/21金)

早朝に採血があり、その結果、右足に血栓が出来ている可能性が高いという。血栓ついてはWikipediaあたりで調べておくとして、まあ体にとって有害なものであることは間違いないらしい。飲み薬乃至点滴による治療が必要になるという。嫌な話だが、病気は治すしかないと腹を括る。

午後にAmazonに注文していたマウスとケーブルが到着した。病院でAmazonを注文するのも初めてだが、本当に届くというのも驚き。しかも配送日その日に手元に着いた。ポケットWi-Fiは2~3日待たされたので、さすがはAmazonといった所か。

写真12


1400過ぎに血栓の検査があるということで専用の検査室に移動。足に血栓があるかどうかを検査する。検査の結果は、「古い血栓はあるが、新しい血栓は見つからない」とのこと。要するに「異常なし」だ。良かった良かった。

またこの後車椅子の単独使用許可が出た。これは大きい。自分で好きな時に好きな所は行ける。何と言ってもトイレに自由に行けるのが大きい。何だかんだと言っても若い女性に手伝ってもらいながらトイレをするのは、抵抗がないと言えば嘘になる(勿論、怪我の間はそんなことは言っていられないが・・・)。少しずつ人間らしい生活になっているのかな、と、思う。

缶コーヒーで乾杯!!

つづく

米子医療センター


2022年1月9日(日)。僕は人生初の「骨折」を体験した。米子駅の跨線橋からホームに降りていく途中、階段の踊り場から足を踏み外し、ホーム上へ転落。その際に転倒したのだ。
診断の結果は「右膝粉砕骨折」。3ヶ月程度の入院が必要という。入院先は米子医療センター。そこから僕の入院&リハビリ生活が始まる。

前回までの展開 --> こちら

入院2日目(1/10月)

昨日はTVを見る気力もなかったが、折角の個室なのでTVをつけてみる。昨日は右足を少し動かしただけで激痛に襲われたが、今日はそんなこともない。勿論痛みが全くないと言えば嘘になるが、痛み止めで我慢できる範囲だ。スマホやiPad、ノートPCによる作業も可能になり、今回の経緯をまとめたり、会社への報告文書を作成したりする。

写真00

昼頃に家族がやってきて必要な荷物を置いていった。コロナ禍で面会謝絶なので、メールで簡単なやり取りをする。
手術は1/13(木)に決まった。手術まであと3日。3日は長いなぁ。早く手術を受けて動けるようになりたいというのが本音。

入院3日目(1/11火)

今日から連休明けで平日になる。まずは会社に電話して仔細を連絡する。入院3ヶ月というのは会社側でも少しビックリした様子。ただ同僚の入院期間でも半年以上というのも珍しくないので、それほど異常でもない。まあ

「人が変わっても正常に機能するのが健全な組織」

なので(そうなるように日頃から行動してきたつもり)、私がいなくても部下が何とかしてくれるはず。

午前中に麻酔の検査があり、その後部屋の移動があった。今の個室部屋が気に入っていたので移動は正直嫌だったが、病院側の都合ならしょうがない。移動先は大部屋。4人部屋だ。幸い窓際だったので、窓外風景を見て気分転換できるのは有難い。

写真01


入院4日目(1/12水)

なんやかんやいっても手術日前日である。午前中に麻酔医師からのリスク説明がある。全身麻酔は以前にも経験済みだが、やはりこういう話は気持ちの良いものではない。足の痛みはそれほど強くないが、術後の痛みってどうなんだろう?。
ちなみに手術前の最後の晩餐は以下の通り。

写真02


入院5日目(1/13木)

起床0400。今日はいよいよ手術当日である。昼過ぎに大林先生(仮名)がやってきて、手術の見通しを聞いた。話によると完全に元通りになる可能性は五分以下。1~2割ぐらいで杖が必要になる可能性があるという。あーあ。まぁしゃないか。山は無理でも何とか車の運転だけでもできるようになりたい。あとはキツくない山歩きぐらいは出来そうだと勝手に楽観しておく。

写真03


1430過ぎに手術室に移動し、手術開始は1500頃。手術が終わったのは1830であった。かなり大規模な手術だったが、ほぼ予定通り終わった。

部屋に戻る。麻酔が残っていて変に眠い。違和感を感じながら2時間我慢し、ようやく2030頃に普通の感覚が戻ってきた。まだ体中に管だらけ。喉が湧いたのでお茶を飲んだが、緑茶がこんなに美味いとは・・・。痛みは特になたっかたが、眠気がすごかった。。

入院6日目(1/14金)

今日の朝食は普通のメニューだった。

写真04


午前中は点滴管と心電図のセンサーを取り外した。まだ背中には局所麻酔の管が入っている状態である。取り敢えず手術は無事終わったようで一安心である。
手術も終わったので、少し生活にハリを持たせようと思ってポケットWi-Fiをネット経由で注文してみた。病院の中でも使えるらしい。Wi-Fiが使えると少し文化的な生活が送れるようになる。
午後は体ふきと大林先生(仮名)による包帯のまき直しがあった。今日は殆ど痛みを痛みを感じなかったが、どうやら背中から入っている局部麻酔が効いているらしい。
その後、リハビリ担当の山形先生(仮名)がやってきて挨拶。明日からリハビリ開始なのでよろしく、ということ。この山形先生は20~30代ぐらい。なかなか楽しい先生で、こういう人と話をしていると、前途に希望が湧いてくる。

大林先生もリハビリ担当の先生達もそうだが、今回の入院では特に看護師さん達の笑顔には随分救われた。客観的に見れば僕の状況はそこそこ「悲惨な」状況なのだが、看護師さん達の笑顔で自身の境遇についても前向きに捉えることができた。本当に感謝したい。

夕食後、少しVASSALをプレイしてみた。2100に寝る。

入院7日目(1/15土)

術後2日目。今日は背中の管を抜いて局部麻酔を除く。これで体に繋がっていたケーブルや管は全部外れたことになる。ただ局部麻酔が切れるとやはり右膝が痛い。体温も一時38.6度まで上昇した。痛み止めを貰って何とか凌ぐ。
午後リハビリ担当の山形先生(仮名)がやってきてリハビリ開始。初日はベッドの上での筋トレである。まずは両腕と健在な足の筋力をつけて車いす生活ができるようにするのが目標らしい。

つづく

米子駅


衝撃の転倒

2022年1月9日(日)。僕は人生初の「骨折」を体験した。米子駅の跨線橋からホームに降りていく途中、階段の踊り場から足を踏み外し、ホーム上へ転落。その際に転倒したのだ。
最初は、「まあ大したことないかな」とやや高をくくっていたが、右足の脛に激痛が走って起き上がれない。時間がたてば収まるだろうと思っていたが、いつまで経っても痛みは引く気配がない。ワラワラと人が集まってきて、そのうち駅員さんが「救急車を呼びましょうか?」と声をかけてくれたが、まだ旅行を継続できるつもりでいたので「大丈夫です」と固辞していた。
しかしやはり変なので、「すいません、救急車を呼んでください」と、泣きついた。その間、ホームに蹲っている僕の目の前を、次に乗る予定であった伯備線新見行き824M列車が無情にも発車していく。伯備線特有の黄色の国鉄型115系2両編成だ。我を忘れて階段を走らせるだけの魅力を持つこの列車。その魅力にハマったことが、今回の事件の遠因となってしまった。

救急隊員が来る迄20分ほど時間がかかったと思う。担架に乗せられて階段を上り下りし、駅の外に出て(青春18切符を持っていたのでノーチェックだった)、駅前に待機していた救急車に乗る。救急車に乗って走ること約15分。近くの病院らしき建物へ移動した。その途中、救急車の中で名前、年齢、住所等基本的なことを聞かれる。また救急隊員の人に「どれくらい治療にかかりますか?」と聞いてみたが、「人それぞれですけど、手術がなければ取り敢えず動けるようにはしてくれますよ」という返事。旅行継続は無理でも、連休明けまでには神奈川には戻れそうだという希望を持つ。

ちなみに担架も救急車も僕にとっては人生初体験であった。

まさかの長期入院

「右足の骨がバラバラです」

衝撃的な一言を告げられたのは、CT検査が終わった後、後に主治医になる大林先生(仮名)からであった。岸田総理に似た風貌のダンディな先生である。膝の骨が複数個所で分断して切れているという。

私が搬送されたのは、米子医療センター。米子市東部、日野川沿いに立つ国立の医療設備だ。高層階からは伯耆大山や皆生温泉、さらには日本海が見える風光明媚な場所に位置している。

米子医療センター


いきなりの衝撃的な一言でショックを隠せない私。連休明けまでに神奈川への帰宅は勿論、この冬の予定は全部キャンセルしなければならない。否、それよりもそもそも歩けるようになるのか?。山登りはどうなる?。いくつもの雑念が脳裏をかすめる。

「手術が必要ですか?」(我ながら愚問)?
「まあそうですね。だけど他に手術が立て込んでいてすぐには」
(大林先生の答えは相変わらずジム的だ)

「入院期間は?」
「まあ3ヶ月ぐらいですね」

3ヶ月ってなんだよ。こんな山陰の田舎(地元の人、ごめん)に3ヶ月も。第一、「3ヶ月」って最低なのか最大なのか平均なのか、どうなんだよ。

「歩けるようになりますか?」
「若干の障害は残るかもしれませんが、車椅子ということはないと思います」

取り敢えず一安心

「山登りはできるようになりますか?」

僕のこの質問を聞いてちょっと苦笑いした先生。

「山登りねぇ・・・、まあ高尾山ぐらいなら大丈夫かもね。僕、高尾山登ったことないけどね」

ここでギャグなんかいらねえんだよ、先生。おい、俺の登山人生大ピンチじゃねえか。

その後、新型コロナの検査があり、結果は当然ながら陰性。検査結果を待つ間、関係機関にスマホで連絡を取る。大阪に住んでいる家族には入院に必要な品物を送ってもらうよう手配した。

1500頃に病室へ移動。お金が勿体無いので大部屋を希望したが、病院スタッフとしては個室に入れたいらしい。他府県、しかもリスクの高い神奈川県民なのでコロナ感染を嫌がっていたようである。結局1日3,300円の比較的安価な個室に案内された。これなら保険の範囲内で賄えそう。

個室に移動した後も苦悶の時間は続く。右足を少しでも動かすと、まるで脳天を突き刺すような痛みに襲われる。痛みの持続時間はせいぜい2~3分ぐらいなのだが、その痛みに一度襲われると、まるでこの痛みが永遠に続くような錯覚に襲われる。

夕方になって大林先生(仮名)がやってきて右足首に金属の針を通した。局部麻酔を行いながらの処置だが、処置の際に右膝を動かす度に激痛に襲われる。この時の処置で右足に重さ5kgの錘がぶら下げられた。これは右足が自由に動かないように引っ張っておくためらしい(専門外なので間違っていたらゴメン)。右足に針金を通す、と、聞いただけでゾッとするが、この処置のおかげで右足が固定されたため、以後激痛に襲われることはなくなった。

この処置が終わった後に夕食が運ばれてきた。看護師の方から「食べられますか?」と心配そうに声を掛けられる。食欲なんてあるはずもないが、メニューがトンカツで結構美味しそうだったので、食べることにした。疲れていたので御飯が美味しかったのを覚えている。

その夜は「絶対に熟睡できねぇな」との予想に反し、意外と熟睡できた。途中で何度が目が覚めたような気がしたが、最終的には8時間以上の睡眠時間を確保できたように思う。

という訳で僕の入院&リハビリ生活が始まった訳だが、将来のことはとにかく、今回の骨折は僕にとっては貴重な教訓を得る場となった。そのいくつかを挙げる。

・山で足を骨折すると完全に動けなくなる危険がある。今回の経験をするまで私はたとえ脚部を骨折しても「杖を使えば時間をかけて下山できる」と甘く考えていた。しかし腕部なら兎に角、脚部の骨折は致命的で、悪化すればその場から動けなくなること必至。特に今回ぐらい酷い怪我の場合、担架なしでは絶対移動できない。従って負傷時には兎に角動ける間に救助要請可能な地点に移動し、そこで速やかに救助要請する必要がある。

・海外での病気、怪我は厄介という話をしばしば聞いたが、特に今回のような脚部の負傷の場合、全く動けずに現地滞在ということになる危険がある。さらに現在のように感染症が広まっていると、ちょっとした風邪であっても「搭乗拒否」を食らって国外退去不可能になる危険性がある。従って海外旅行では健康に特に留意する必要があるが(生水は飲まない等)、特に脚部に負傷は要注意である。

・旅行時の持参品に「予備の薬」は必須。今回はギリギリの数だったので、もし最終日に負傷したら薬の説明に苦労するところだった。ベストはお薬手帳かな。

つづく

報告が遅れました。
右足の負傷でしばらく入院しておりましたが、去る3/29に退院致しました。
まだまだ松葉杖が必要な生活が続きますが、焦らずじっくりと完治を目指して頑張ります。
これからもよろしくお願いします。

↑このページのトップヘ