もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

カテゴリ:日本国内 > 02関東

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沼田城を見た あと、車で5分ほどの場所にあるとんかつ「とみた」に行ってみました。別名「日本ロマンチック街道」と呼ばれる国道120号線沿いにあるとんかつ屋さんです。上ロースカツ定食(1,850円+税)を注文。普通のロースカツ定食に比べると肉の量が多く、また良い肉を使っているとのことでした。

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食べてみると、確かに肉厚でボリュームがあり、また中の肉も柔らかくて美味しかったです。肉の量が多めで。若いころならとにかく、今では少し持て余すぐらいの量でした。

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店の窓からは有名な「沼田の河岸段丘」が一望でき、向こうに見える関越道の大道路橋も見えていました。

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お奨め度★★★

つづく

名胡桃城を見た あと、車で5分ほどの場所にある沼田城に行ってみました。沼田城は、戦国期に上杉、北条、武田、真田といった武将たちの争奪戦の舞台となった城郭です。

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名胡桃城は室町時代に沼田城の支城として沼田氏により築かれたのがはじまりとされています。しかしこの城が有名になったのは、真田氏の支配下になった後で、秀吉の小田原征伐の一因ともなった名胡桃事件の舞台として有名です。

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城跡は公園(沼田公園)として整備されており、往時の面影を残すものを見つけるのは難しいです。

つづく

奥会津の景観を楽しんだ あと、長岡から関越道に入って南下。関越トンネルを抜けて群馬側に出て、最初に立ち寄ったのが名胡桃城です。

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名胡桃城は室町時代に沼田城の支城として沼田氏により築かれたのがはじまりとされています。しかしこの城が有名になったのは、真田氏の支配下になった後で、秀吉の小田原征伐の一因ともなった名胡桃事件の舞台として有名です。

月夜野ICから国道17号線を北へ少し戻った所に名胡桃城跡があります。城跡といっても天守閣等がある訳でもなく、堀と郭の跡地が残っているだけです。国道に面した側は平坦地になっており、攻めるに難くはなさそうですが、その反対側は急峻な斜面になっており、攻め難いように思えます。

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城跡としてみた場合、規模も小さく見るべき点はそれほど多くありませんが、歴史的には有名な城でもあり、そういった面では興味深いです。

つづく

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土浦城 に続いて、同じ茨城県にある笠間城に行きました。車で走ると1時間弱の距離です。

土浦城は平城でしたが、この笠間城は山城です。元々は鎌倉時代における僧兵同士の争いの際に築かれた城でしたが、南北朝の戦いや戦国期でも幾たびが戦いが行われたそうです。

JR水戸線の笠間駅から車で10分ほど。美術館や古風な街並みが並ぶ笠間の中心地。そこにそびえる標高約200mの佐白山が笠間城です。駐車場から少し上がったところが登城口になります。

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登城口からは山道。その日は雨だったので傘をさして山道を登っていく。標高差は100mと少しあったので、そこそこの山登りになります。斜面を登りきると平坦な場所に出て、そこからは頂上まであと一息。

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山頂は祠が立っており、そこが笠間城跡です。

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帰りは往路の逆になります。全般的な感想としては縦に長い稜線に構築された山城なので守り易く攻め難い城のように思いました。山頂からは周囲の景観が望めますが、木々に邪魔されてやや視界が遮られているのが残念です。

つづく

正直な所、土浦城といってもあまりピンと来ません。なんでも室町時代から存在していたそうで、江戸時代には土浦藩の主城となり、南常陸一帯を支配したそうな。

7月の4連休。その後半2日を利用して、北関東方面の城巡りに出かけました。

JR土浦駅から約1km。市街地の中心部に亀城公園と呼ばれる土浦城址があります。城の周囲は水堀で囲まれていますが、土塁の高さは低く、防御能力はさほど高くはなさそうです。軍事用の城塞というよりは政治用の平城といった趣が強そう。

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橋を渡って中に入ると、広い公園になっています。天守閣のようなものもなく、ただ櫓がいくつか残っているだけ。

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公園から少し離れた所には土浦市立博物館があり、土浦の歴史について展示物が置いてありました。霞ヶ浦で活躍した舟の模型等も飾ってあり、興味深かったです。

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つづく

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