もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

タグ:城攻め

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岡豊城に行った 後、時間が余ったので高知城にも出かけてみました。

高知城については、 3年前に行った 時以来2度目の来訪になります。前回の来訪もやはり12月。四国に来るのは5~6月か、12月が多いようです。前回は入明駅から歩きましたが、今回は高知駅から徒歩移動。当然ながら高知駅からの方が距離が遠く、片道20分ほどかかりました。

前回は北側から入りましたが、今回は大手門ともいうべき南東側から入門。だんだん高知城の天守閣が大きくなってくるのは気持ちが良いです。

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ちなみに、訪れたのは12月初旬でしたが、丁度紅葉が見頃で綺麗。赤・黄色といった様々な色の紅葉が楽しませてくれました。

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高知城。いつ来てみても良い城だなぁ、と、改めて実感しました。

お奨め度★★★★

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高知駅から車で約30分。土佐一之宮の少し向こうに岡豊城跡があります。かつて四国を支配した長宗我部元親が本拠とした城郭で、往時は土佐の中心地でありました。

城下にある駐車場に着いたのは午前8時頃。駐車場からは遊歩道が伸びていて岡豊城の本丸跡まで簡単に歩いていくことができます。ちなみに遊歩道の入口には若き日の長宗我部元親像。

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歩いて5分程で本丸跡に到着。ここは山の最頂部に位置している所で、眼下には広大な高知平野が一望の下です。長宗我部元親ならずともこの岡豊の地に本拠を構えたくなる気持ちもわかります。

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本丸から少し下がった所が三ノ段、四ノ段と呼ばれる前哨地隊になっています。各段には土塁が積み上げられ、典型的な中世の山城といった感を呈しています。大規模な石垣などはなく、あくまでも中世風のつくりです。

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下の写真は虎口かな?。四国で虎口が設置されたのは、この岡豊城が最初だったとか・・・。

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下の写真は横堀です。

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これは伝厠趾曲輪。本城から西に張り出したアウトポストのような役割を果たしていたそうです。

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一周回ってだいたい30~45分ぐらいの所要時間です。なお、駐車場付近には高知県歴史民俗資料館という施設がありますから、時間があれば立ち寄ってみるのも一興かと思います。


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熊本市の北部に隣接する菊池市は、熊本市の中心部から約30kmという近くにありながら、温泉や渓谷等自然豊かな観光都市です。

その菊池市の北部丘陵地帯に鞠智城跡があります。古代大和朝廷の頃、大和朝廷が朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍に敗れたことが契機となり、唐・新羅連合軍が九州へ攻めてくる公算が高まったことから、九州各地に築かれた数多くの城郭。その1つが今回紹介する鞠智城です。

菊池市街中心地から北西に向かい、丘陵地帯を大きく迂回して北に回り込むと、そこから鞠智城への登り道になります。登り切った所が広間のようになっていて、そこが鞠智城趾です。

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最初に行ったのが温故創生館という展示施設。入館は無料。館内では鞠智城の概要や歴史を知ることができます。

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外に出ると復元された鞠智城の建造物が見えます。鼓楼と呼ばれる八角形の建物は鞠智城のシンボル的な存在で、その役割はその名の通り見張台のようなものだったのでしょう。その他、米蔵、兵舎、武器庫等が再現されて城内に展示されています。

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眼下に広がる菊池盆地の景観を見ながら、古代の城郭に思いを馳せてみるのもまた一興かと・・・

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筑後川昇開橋は、かつて国鉄佐賀線が走っていた鉄道橋。昇開橋という名前の通り、橋の中央が上がり下がりします。その目的はロンドン橋と同じく船舶の通路を確保するため。普段は橋の中央が上がっていて、背の高い船舶が通過できるようになっています。また橋の上を鉄道が通過する時には、橋が橋脚部分まで下がってきて、その上を鉄道が走ります。

国鉄佐賀線は昭和時代後期に廃止となり、筑後川昇開橋は用済みとなりましたが、その独特の外観を惜しむ声が大きかったようで、鉄道廃線後も遺構として残されることになりました。
現在では橋の上は遊歩道として整備されており、歩いて橋を渡ることができます。また橋の中央が上下する機能は今でも残されており、観光客に対してはサービスで橋が上がり下がりする様を見せてくれます。

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実は筑後川昇開橋を見たら、ここから立ち去るつもりだったのですが、近くに三重津海軍所跡というものがあると聞いたので立ち寄りことしました。海軍という言葉にはどうも反応してしまいます。
三重津海軍所とは、幕末に佐賀藩が独自で蒸気船建造と藩が保有する洋式蒸気船整備のための施設としてつくられたものです。日本で初めてドライドックがつくられ、その中で洋式蒸気船の整備が行われていたそうです。
今では海軍所跡といっても何か残っている訳ではないのですが、跡地が公園として整備されています。

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海軍所跡が見える所に「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」という箱モノがあります。内部は三重津海軍所の歴史についての展示や3DCGによるシアターがあり、三重津海軍所について視覚的に学ぶことができます。
また佐野常民についてですが、佐野常民とは幕末期から明治期に活躍した人物で、元々は蘭学者で三重津海軍所での蒸気船建造や整備に尽力したそうです。さらにはパリ万博、ウィーン万博での活躍、さらに西南戦争を通じて日本赤十字社の設立に尽力したそうです。

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お奨め度★★★★

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久留米市は福岡県南部に位置し、福岡県内では第3位の人口を有している。
久留米城は市の中心地にあり、近くには久留米大学病院や久留米大学のキャンパスがある。
遺構としては大きな石垣と内堀が残っているが、石垣の中は篠山神社になっており、天主等は残っていない。また城域自体も比較的こじんまりとしている。

戦国時代には大友と龍造寺の激戦地となった久留米城。立ち寄ってみるのも悪くない。

お奨め度★★★

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