もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

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230503c_鶴橋風月

お好み焼きとか焼きそばとかは大好きなのですが、自分で焼くと下手くそなのでなかなか美味しく作れない。そんな私にとってこの「鶴橋風月」は店員さんが焼いてくれるので安心して食べることができるお店です。
今回は焼きそばとメガコーラを注文しました。焼きそばは緬がモチモチしていて私の好みです。ソースの味も麺に良く沁みていて美味しかったです。
メガコーラは、「昼間っからビールはちょっと」ということでコーラにしましたが、いきなりのボリューム感に圧倒されました。だけどなんやかんやで飲み切ってしまいました。

お奨め度★★★




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奈良県高取町にある高取城は日本最強の山城らしい。そんな噂を聞いて近鉄壺阪山駅を降りたのは、12月も半ば過ぎのとある日曜日早朝であった。駅前の雰囲気は、昔ながらの郊外型の町で、高齢者が多く住んでいるような感じであった。

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駅前の信号を渡ってすぐに右折。「高取城までは5km」という標識がある。ある程度歩くことを覚悟してきたので5kmでビビることはないが、やはり先は長そうだと気を引き締める。
石畳の街並みを歩いていく。昔ながらの武家屋敷といった佇まい。しばらく歩くと、「夢創館」という観光案内所がある。時間的に早かったので、まだ営業はしていない。

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さらに歩くと児童公園があり、その先にやや広めの道路を渡って砂防公園を過ぎると、いよいよ道は山道に入っていく。ここまでの所要時間は約30分。この時点で距離的には約半分をこなしたことになっている。

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高取城への山道は歩きやすい登山道と言った感じ。普通の道よりも斜度はあるが、道幅が広く、障害物も少ないので歩きやすい。ただし標高差は約400mとちょっとした登山程度はある。雰囲気的には 10月末に歩いた金剛山 をスケールダウンした感じだ。

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1時間ほど歩いて二ノ丸跡に到着。このあたりから高取城の縄張りに入っていく。天守閣のような建物類は残っていないものの、石垣はほのそのまま残されており、それが幾重にも連なっている。高取城が極めて堅固な縄張りを持った城郭であることを伺わせる。

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さらに10分程歩くと高取城の核心部につく。所謂本丸だ。ここも石垣が幾重にも巡らされていて、これでもか、これでもか、とばかりに現れてくる。こちらはただ歩いているだけなのに、「おいおい、一体いつまで石垣が出てくるんだよ」と突っ込みたくなる。

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ようやく高取城の最終地点に到着。駅からここまでの所要時間は約1.5時間だ。恐らく壺阪山の最高地点と思われる場所である(一等三角点が設置されていた)。そこから見る大和盆地の美しさと言ったら・・・。何とも言葉が出ない程である。

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帰りは元来た道を通らずに反対側の車道を降りていく。こちらは往路よりもやや距離的には長い。車道は本丸のすぐ下まで来ているが、柵が置いてあって中には入れない。自動車用の駐車場は遥か下方の壺坂寺の付近にあり、そこからだと往復2時間弱はかかりそうである。

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壺坂寺を横目に見ながらハイキングコースを降りていき、やがて朝と追った街並みを過ぎると近鉄壺坂山駅に到着だ。所要時間3時間10分。軽い登山ともいうべき高取城散策であった。

感想だが、高取城の堅固さが良く分かった。通常の平城と比べても縄張りは遥かに堅固であり、しかも山城だから敵側から城の縄張りはなかなかわからない。そういった意味で「日本一の山城」というのは確かに頷ける話だと思う。

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今回は初冬の訪問となったが、季節を問わず楽しめそうだ。紅葉の方は盛を過ぎて枯葉が地面に敷き詰めらえている状況であったが、それなりに美しかった。もし秋の盛りに来たら、もっと素晴らしい景観だっただろうと思う。
高取城の堅固さは理解できたのだが、何故この場所にこのような堅固な城郭が必要だったのかは、少し疑問を感じた。南北朝時代であれば、吉野へ至る進入路を管制するという意味で重要だったとは思うが、戦国時代だとどうなんだろうか。奈良と和歌山の交通路を扼する、ということだろうか・・・。

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