もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

タグ:戦国時代

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本土決戦1945 が終わった後、余った時間を利用してプレイしたのが「八王子城攻城戦」WGJ#15)だ。ゲームの概要やシステムについては、 こちらの記事 を参照されたい。
今回私は攻撃側である豊臣側を担当した。

攻撃側は5つの部隊、大道寺、依田、真田、上杉、前田の各部隊が登場する。豊臣側の攻め口は一番南の御零谷川口、そのやや北側の大手口、そして搦手口ともいうべき北浅川からの進入路がある。我々は一番南の御零谷川口に上杉勢を配置し、その北の大手口には大道寺勢と前田勢、そして搦手には真田と依田を配置した。

北条方はアシダ曲輪から御主殿といった山裾の主要部に鉄砲隊や弓隊といった火力部隊と白兵戦に優れた侍武将を配置し、守りの主力を置いた。
豊臣側も大兵力を誇る上杉、前田勢を山裾の激戦区に投入したので、山裾は血を血で洗う激闘になった。上杉や前田の有名武将も次々と討ち取られる大激戦となる。

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一方搦手から攻める真田、依田製は、狭い山道に苦しみながらも徐々に本丸に迫る。真田信繁らが激しい戦いの中負傷して後退していくなか、依田康勝、真田昌幸らが東側稜線に立ち、正面に見える本丸を望む。

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最終的には前田勢の猛攻で山裾の御主殿が陥落し、本丸を守る北条方守備兵力も底を尽きかけてきたので、北条側の投了でゲーム終了となった。

感想

作戦面で言えば、北条方は本丸を中心とした山頂部を強く守るのが良いと思う。山裾は兵力の大きな豊臣側が勝利を収めることは確実なので、山裾の戦いは時間稼ぎと割り切る。その代わり地形が狭隘で大兵力の展開が難しい本丸付近で火力戦を挑み豊臣側を迎え撃つ。この戦術なら豊臣側もかなり苦戦が予想される(と思う)。

ゲームについていえば、簡単なルールで攻城戦の雰囲気を楽しめる好ゲームである。やや両陣営の消耗が激しすぎるような気がするが(特に攻城側)、攻城側についてはユニット除去を「討死」ではなく「戦闘不能で後退」と考えれば、それほど違和感はなくなる。ダイス目の影響が大きい点もやや気になるが、手軽に遊べるゲームなので、機会があれば再戦してみたい作品だ。

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「武田騎馬軍団」(以下、本作)は、1988年にエポック社から発売されたシミュレーションゲームである。テーマは武田騎馬軍団が戦った個々の合戦で、上田原、戸石、川中島、三方ヶ原等、計7つの合戦がシナリオ化されている。

本作は少し変わった手順を採用している。いわゆる「アイゴー、ユーゴー」システムではない。まずダイスで主導権判定を行い、主導権を取った側が移動順(先か後か)を決定する。そして両軍が順番に麾下のユニットを移動させる。両軍の移動が終わった時点で隣接したユニット同士で射撃戦、白兵戦が行われるので、一般的には後で動いた方が有利である。主導権はダイス(D6)を振り合って大きい側の勝ち。主将の軍略値によって有利・不利がある(例えば「上田原の合戦」では、軍略値で村上勢が1有利になっている)。

移動ルールには少し捻りが加えてある。それは追撃の概念だ。移動中の敵が友軍ユニットのZOCから離脱した場合、その友軍ユニットは離脱したユニットを追撃する。追撃というのは敵の移動経路を追う形で移動すること。この追撃は原則として強制なので、わざとZOCから抜け出して敵の追撃を誘い、敵を罠にはめることもできる。しかし武将が存在するスタックは、武将が戦術力チェックに成功すると、追撃を止めることができる。この追撃ルールが本作を面白く、また難しくしている。

射撃戦闘は1ユニット単位で隣接ヘクスの敵ユニットを射撃する。命中が得られると目標に混乱レベルが加算される。命中のし易さや命中時の効果は鉄砲かそれ以外かで異なっている(当然鉄砲の方が当たりやすい)。
白兵戦闘はいわゆる「マストアタック」で、隣接するユニット同士で「戦闘組」を作り、突撃力の差によって個別に白兵戦を解決する。白兵戦の結果はどちらか一方が混乱して後退する(稀にEX=両方混乱の結果あり)。白兵戦に勝った側は、移動の場合と同じく追撃を強制される。

上記以外に士気に関するルールがある。士気はそれぞれの陣営で一律に与えられており、自軍ユニットが後退、壊滅する毎、あるいは自軍武将が討死、負傷する毎に低下する。逆に時々士気が上昇することもあるが、多くの場合は士気は下がっていく。自軍の士気はまた麾下のユニットがどれだけの混乱を耐えられるかをも決める指標となっており、例えば士気値が31~40の場合、麾下のユニットは混乱レベル4まで耐えられる(混乱レベル5以上で壊滅)。これが例えば士気値が10~19になると、混乱レベル2までしか耐えられない。

基本システムは以上(他に本陣に関するルールもあるが、ルール自体はシンプル)である。ルール自体はシンプルであり、理解し易いが、ルールブックの書き方が一部曖昧で判断に迷う所がある。その事については、後にまとめて記載したい。

今回、本作のシナリオ2「上田原の戦い」をソロプレイしてみた。戦国時代について「一般人」程度の知識しかない私のとって、「上田原の戦い」といっても「なんか聞いたことがあるかも」程度の理解でしかない。Wikipediaによると、上田原というのは今の上田市あたりのことで、武田信玄はライバル村上義清に手痛い敗北を喫したそうな。はてさて・・・。

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1Turn

武田方が川沿いに向けて前進。川(浦野川?)を挟んで武田と村上勢が対峙する。赤が武田勢、青が村上勢である。

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2Turn

主導権は村上方が獲得した。しかし両軍とも川沿いに沿ったまま様子を見る。

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3Turn

村上勢が川の上流(写真上の方)を渡河して武田勢に襲い掛かる。村上勢の武将西条義忠が川を渡って武田勢を攻める。武田勢は川向うに後退して態勢を立て直す。

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4Turn

武田勢が主導権を握った。上流部に対しては、武田勢は板垣信方、飯富虎昌らを派遣するが、村上勢も屋代政国、屋代道斉、西条義忠らで攻勢を強める。
下流部では武田勢が村上本陣へ攻勢を開始。武田晴信が本陣を構え、小山田信有、甘利虎康らが川を渡って村上義清の本隊を目指す。

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5Turn

村上勢が主導権を取り返した。後攻を取った村上勢は武田勢を自らの懐に引きずり込んで殲滅を図る。しかし兵力に勝る武田勢は、合戦のダイスにも恵まれた。村上方の武将である森村清秀、西条義忠が相次いで負傷。戦線を離れる。このTurn、武田勢の士気値は32まで低下したが(元々は40)、村上勢はそれを下回る士気値30まで落ち込んだ。

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6Turn

主導権を取ったのは武田勢である。兵力に勝る武田勢は、先攻を取って一気に攻め込む。村上勢は何とか対抗しようとするが、部隊の多くが混乱状態にあり、武田勢をまともに戦える状態ではなかった。次々と討ち取られる村上の雑兵達。このTurn、村上勢は、屋代道斉が負傷退場し、合計7ユニットが討ち取られた。村上勢に残ったのは、主将である村上義清、屋代政国、そして雑兵6ユニットのみである。

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7Turn

武田勢が弓矢の一斉射撃で村上勢を猛攻。既に大きな損害を受けていた村上勢はそれに耐えられなかった。屋代政国討死。村上義清も負傷退場。ここに上田原の戦いは終了した。武田勢の完全勝利である。

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感想

ゲームとしては面白いと思う。エポックのゲームらしく、やや演出過剰な雰囲気もあるが、当時の合戦に詳しくない私のような人物にとっては「それっぽさ」を感じた。
基本システムはシンプルだが、追撃ルールの使い方が難しい。慣れたプレイヤーなら後退戦術を上手く使って敵を引きずり込んで分断・撃破という技が使えるかもしれない。私にはまだまだムリだが・・・。
あと士気が少しずつ落ちてきて、ある時突然「ががー」っと士気が崩れて全軍崩壊していく雰囲気が楽しい。今回のゲームでは、第5~6Turnの村上勢が正にそれである。

冒頭で書いたが、ルールに一部解釈に迷う所がある。それについて書いておく。
 (1)白兵戦で上限を上回る混乱を受けた時、後退の結果を受けて後退した後壊滅するのか、それとも即座に壊滅するのか。--> 即座に壊滅すると解釈した。
 (2)白兵戦で敵が壊滅した場合、追撃はどこまで行うのか。--> 壊滅した敵ユニットがいたヘクスまでと解釈した。
 (3)2ユニットで追撃する場合、追撃中の味方を乗り越えて追撃を強制されるのか。--> 味方の乗り越え追撃はないと解釈した。
 (4)主導権ダイスが同じ目の場合はどうするのか。--> 振り直しと解釈した。

なお、対人戦の場合、最初の陣形は両軍とも秘密裏に配置することになる。このことにより陣形を考える楽しみがあるが、今回はソロプレイなのでその楽しさは味わえなかった。少し残念である。
あともう1つ。これも旧エポックゲームの特徴なのだが、ユニットのデザインが少し寂しい。20世紀のゲームだから仕方がない面もあるが、もし再販される場合にはユニットデザインは一新して欲しい所だ。

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時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。

前回までの展開は --> こちら

13Turn(1月第1週)

14Turn(1月第2週)

馬場信春年が変わった。武田勢は遠江から三河に侵攻する。さらに勢いは止まらず遂に尾張へ進入した。織田方は畿内戦線から明智光秀と滝川一益を急遽尾張に急派し、兵力の増強を図る。これにより尾張国内の織田・徳川連合軍は、徳川麾下の14ステップ(14,000人)と織田家臣団が18ステップ(18,000人)となり、合計32,000人。尾張・三河方面の武田勢は合計34ステップ(34,000人)で、両者はほぼ拮抗した。

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畿内では観音寺城を守る一向一揆勢を丹波長秀、羽柴秀吉の連合軍が攻め立てる。観音寺城の守将は一向一揆勢の下間頼廉(2-0-2★)。集中攻撃を受けて壊滅的な損害を被っていた。

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15Turn(1月第3週)

16Turn(1月第4週)

下間仲孝下間頼廉が織田方の集中攻撃を受けて討ち取られた。一向一揆勢も残るは下間仲孝(2-0-2★)の率いる軍勢だけである。下間仲孝は単独で織田方に抗するのは不利と判断し、観音寺城に守備隊を残し、残りは北近江の浅井勢と合流すべく北上する。

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尾張・三河国境では、武田勢の主力と織田・徳川連合軍の機動戦が続いている。両軍とも兵力はほぼ互角なので、決め手を欠きつつ丁々発止の駆け引きが続いている。

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17Turn(2月第1週)

18Turn(2月第2週)

浅井長政和議が成立し浅井長政が反織田勢から脱落した。反織田勢で残っているのは、一向一揆勢と武田勢のみである。大勢は決した。下間仲孝率いる一向一揆勢は北近江の虎御前山付近で追い詰められ、四方から織田勢の集中攻撃を受けるに至っている。尾張に侵攻した武田勢は短期決戦を求めて岐阜に向けて進撃するが、決戦を急ぐ必要がない織田勢は適当にあしらいつつ、武田勢主力を東美濃で後方を遮断した。

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19Turn(2月第3週)

20Turn(2月第4週)

武田信玄 武田勢は最後の奇跡を求めて岐阜城下に向けて進撃する。織田・徳川連合軍は岐阜城の東方3里の位置に達した武田勢に対し、迎撃部隊を差し向けた。武田勢は28ステップ(28,000人)。対する織田・徳川連合軍は、徳川家康14ステップ(14,000人)、明智光秀12ステップ(12,000人)、柴田勝家10ステップ(10,000人)の計36,000人。さらに織田勢は鉄砲装備でも武田勢を上回っていた。
兵力に劣る武田勢であったが、奮戦した。最初の2ラウンドは武田と織田・徳川軍はそれぞれ同数の損害で一歩も引かなかった。しかし第3ラウンドで織田・徳川方が僅かに戦闘結果で勝り、武田勢は総崩れとなった。この撤退の最中で大損害を受けた武田勢は。それでも東美濃の山中に向けて後退を続けたが、最後は岐阜から追ってきた徳川家康と明智光秀らの退路をふさがれ、哀れ、武田信玄。東美濃の山中であえない最期を遂げたのである。

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感想

今回も織田・徳川方の勝利になったが、バランス上どちらが有利かは判然としない。特に一向一揆の補充力が巨大なので、織田方が簡単に勝てるという訳でもないと思う。
一向一揆勢は連絡線が不要なので、盤上どこでも暴れまわることができる。それに対して織田方が一向一揆勢に対して攻勢を仕掛けるためには、最低打撃力を有する2個軍団以上は欲しい所だ。しかし織田・徳川連合軍が保有する機動打撃兵力は、織田が4個、徳川が1個の計5個に過ぎない。その中から2個を一向一揆勢のために割くのは如何にもキツイ。また武田本隊の決戦には最低2個軍団以上が必要になる。そう考えると、織田・徳川方もギリギリの線で戦っていることがわかる。
今回織田方で失敗したと思ったのは、京を早期に放棄したこと。7VP確保すれば浅井・朝倉が脱落する確率が最高になるので、その後は兵力節約のために京から撤退したが、これは少し早すぎた。一向一揆勢や武田の攻勢によって織田・徳川方の城が落ちると同陣営のVPが減るので、2つほど城が落ちると安全圏を割ってしまう。何よりも京との連絡線を保持しないと織田方にとってVPを獲得する手段がなくなってしまう。従って織田方にとって京との連絡線はギリギリまで粘った方が良かったかもしれない。
とはいえ、武田本隊が急進してくると、織田方としても決戦兵力を捻出するしかない。武田と少なくとも互角に戦うためには、9ユニット(1.5個軍団)程度の織田軍勢を徳川に加勢する必要がある。もう少し少ないユニット数(例えば1個軍団6ユニット)でも戦えなくはないが、勝率は下がってしまう。武田との決戦はゲームの勝敗に直結するので、織田方にとっては難しい判断が迫られる。

一方の武田勢は、主導権が織田方にあることを認識して「ライヘンバッハプラン」のような戦い方が有効と考える。織田方は、その気になれば武田軍主力を撃破し得る兵力を集中できる。ただし決戦を回避するだけの機動力が武田方にはある。従って武田方としては、織田方の兵力展開を見極めつつ、「押しては引き、引いては押す」戦略が有効と考える。

上にも書いたが、本作で勝敗に大きくかかわるのが織田・徳川連合軍と武田本隊との決戦である。この決戦はダイス勝負になるので、最後は運に頼ることになる。ただし勝敗の確率は状況によって変動させることができる。
まず兵力。言うまでもないが兵力が多いほうが有利である。これについては武田勢が一定以上の兵力を集結させることができないのに対し(一向一揆勢と合流することは可能)、織田・徳川連合軍は自由に兵力を融通できる。従って決戦場に展開可能な兵力で言えば、織田・徳川連合軍が主導権を握っている。ただし50戦力以上集めても実質的な意味がないので、武田勢も現有兵力である程度は対抗可能だ。
次に野戦能力。これは武田信玄と徳川家康がいずれも野戦修正3なので互角。ただし徳川家康が本拠地(浜松)との連絡線を断たれた状態で戦うことが多くなるので、やや不利になる。徳川家康の連絡線対策は、第4ステージ終了時に城に籠城させるのが有効と思われる。
最後に連絡線。連絡線を切られると士気値が-1される。先にも書いたが徳川家康が連絡線を切られているのでやや不利。一方武田勢は状況による。後方の城を押さえながら慎重に前進するとか、遠江などの武田領地に近い場所で決戦する分にはあまり心配する必要がないが、尾張、美濃に急進した場合、織田方の小部隊によって連絡線を遮断される危険がある。兵力不足で機動力の高い部隊を分派させ辛い武田方にとって、織田方の小兵力機動作戦はかなり鬱陶しいだろうと思う。
いずれにしても上記の状況を勘案し、自軍が有利な状態に持ち込んで、あとはダイスに全てを賭けるしかない。それで敗れれば運がなかったと思って諦めよう。また互角の状況や自身が不利な状況で決戦に挑むかどうかはプレイヤーの性格による。決戦は両者の合意の元で行うのが原則なので、プレイヤーの性格が出る場面だ。

いずれにしても「信玄上洛」は面白い。何か裏技があるのかもれないが、素直にプレイする分には両プレイヤー共楽しめる傑作ゲームだと思う。

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時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。

前回のソロプレイ では、武田軍が初期にギャンブルに出て、それが裏目に出たため僅か5Turnで武田信玄討死という結果になってしまった。そこで今回は両軍ともギャンブルを避けて慎重なプレイに徹することにした。また前回のプレイでルールミスがあったため(一向一揆勢が毎ステージにフリーで1回補充できることを失念)、その点もちゃんとやり直したいと思っていた。
それでは早速プレイを始めよう。

1Turn(10月第1週)

2Turn(10月第2週)

武田信玄武田軍が国境を越えて遠江に進入する。山県昌景(7-2-4★、戦闘力-野戦修正-行動力-指揮順位、以下同じ)は、石川数正(3-2-3★)が守る浜松城を包囲し、穴山信君(2-1-3★)は北の二俣城を包囲する。武田信玄(2-3-4★★)麾下の武田勢主力は、三河に進入して野田城を囲む。さらに信濃南部からは秋山信友(7-1-3★)が織田方の岩村城を囲んだ。

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伊勢湾方面からは願証寺証恵(2-0-2★)率いる一向一揆勢が織田の本拠地である岐阜城に向けて北上する。それに対して織田方は猛将柴田勝家(3-2-4★)が迎撃に向かう。一向一揆勢は織田の重要拠点である清州城を囲んだ。

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畿内方面でも一向一揆勢が京に向けて進撃を開始し、それを羽柴秀吉(3-1-4★★)、丹波長秀(3-2-4★★)らがそれを迎え撃つ。また北からは浅井・朝倉勢が明智光秀(3-3-4★★)、滝川一益(3-1-4★★)らと対峙する。
しかし第2Turnに朝倉と織田の間で和議が成立。朝倉が反織田戦線から脱落した。これにより少し織田勢が兵力運用に余裕が出てきた。

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3Turn(10月第3週)

願証寺証恵織田勢は戦線縮小の為、京都を放棄し関ヶ原の線まで撤退する。そして関ヶ原を丹波長秀が守る。近江以西は織田方の軍事力が及ばない地域となった。その間隙を付いて一向一揆勢が坂本、大津の2城を囲む。


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尾張では明智光秀、柴田勝家、そして徳川家康(3-3-4★★)が一向一揆制圧に動く。一揆勢は織田・徳川正規軍の攻撃を受けるとさすがに耐え切れず、清州の囲みを解いて後退していく。

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4Turn(10月第4週)

5Turn(11月第1週)

羽柴秀吉織田方は尾張平野で跋扈する一向一揆勢を制圧しつつ、織田信長(3-1-4★★)、羽柴秀吉(3-1-4★)、徳川家康の3名を三河方面に向かわせる。その任務は武田信玄との決戦にある。兵力は信長直率が6ステップ(6,000人)、秀吉麾下が12ステップ(12,000人)、家康麾下の三河勢が14ステップ(14,000人)である。合計32ステップ(32,000人)で、武田軍主力の32,000人と拮抗する。

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また柴田勝家麾下の12,000人は中仙道を東に向かい、岩村城を囲む武田勢の秋山信友と対峙する。
尾張平野では明智光秀が一向一揆を追い回すが、無限の補充能力を持つ一揆勢に苦戦を強いられている。
そして関ヶ原では丹波長秀が守りを固めている。
関ヶ原の西側では織田勢が姿を消したため、一揆勢がやりたい放題。坂本城と大津城を囲んだ一揆勢は陥落まであと一歩に追い込んだ。また浅井長政(2-3-4★★)も鳥なき里の蝙蝠よろしく、近江における織田方の出城である横山城を包囲した。

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6Turn(11月第2週)

織田・徳川連合軍は武田軍主力との決戦に備えてジリジリと浜松に近づく。武田勢は野田、二俣両城の囲みを解いて決戦に備える。
伊勢・近江国境では、明智光秀が遂に一向一揆勢を追い詰めた。服部友定(2-0-2★)を近江山中で討死に追い込んだのである。
畿内では遂に大津城が一揆勢の攻勢を受けて落城した。

7Turn(11月第3週)

織田信長織田・徳川連合軍が浜松城外に到着した。武田勢は浜松に向けて遅退戦術で後退していったが、浜松城下まで後退してきたとき、これ以上後退できないと判断した武田勢はここで決戦を挑んだ。武田勢は32ステップ(32,000人)、対する織田・徳川連合軍は、滝川一益の増援部隊が加わっていたため36ステップ(36,000人)であった。
戦いは織田・徳川連合軍の勝利に終わり、武田勢は実に10ステップもの損害を出したが、除去されたユニットがなかったのは武田にとっては不幸中の幸いであった。

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8Turn(11月第4週)

9Turn(12月第1週)

徳川家康内陸部に雪が降った。雪の降りしきる信濃路に傷ついた武田軍は後退していく。一方の織田・徳川連合軍は、徳川家康が武田本隊追撃のため北に向かう。残り織田軍団は西へ向かう。最後の敵、一向一揆を撃破し、京への連絡路を再度打通するためである。まずは尾張に跋扈していた一向一揆派の願証寺証恵(2-0-2★)を殲滅。尾張平野一帯は織田方の平定するところとなった。

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畿内では、大津城に続いて坂本城が一揆勢の攻撃により落城し、京への東側の入り口が一揆勢に抑えられる形となった。一揆勢はなおも湖東を進み、観音寺城を囲んだ。

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10Turn(12月第2週)

11Turn(12月第3週)

明智光秀信濃路では、本拠地に戻った武田信玄が戦力を回復した。武田勢を追って信濃路まで攻め込んだ徳川家康軍は、逆撃の危機に瀕して後退を開始する。



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畿内では、東近江から一揆勢をすり抜けて明智光秀が京に到達した。

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12Turn(12月第4週)

明智光秀が京を奪回した。一方信濃路では、武田勢の逆撃によって徳川家康本隊は遠江まで撤退を余儀なくされた。

(つづく)

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「西国の雄」 (以下、本作)は、 以前に紹介した「信玄上洛」 と同じく、群雄伝シリーズの作品である。「信玄上洛」が(結果的にではあるが)群雄伝シリーズの第1番目の作品となったのに対し、本作は比較的後期の作品になり、システム的にも洗練されたものになっている。本作の舞台は中国地方における毛利、大内、尼子の三つ巴の戦いで、別々の時期を扱う4本のシナリオが用意されている。
今回、本作を対人戦でプレイすることになった。

前回はシナリオ1「折敷畑の戦い」 について紹介した。

シナリオ3「郡山の戦い」

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尼子晴久時間がまだ十分あったので、もう1本シナリオをやりましょう、ということで、シナリオ3「郡山の戦い」をプレイしてみた。これは若き日の毛利元就の活躍を描いたシナリオで、出雲を支配する尼子氏と毛利氏との戦いを描いたものである。毛利方の兵力は5ユニット10ステップ。対する尼子氏は37ユニット74ステップ。兵力差は圧倒的で、まともに戦えば毛利方に勝ち目はない。しかし毛利方は指揮能力において勝っており、かつ本城である郡山城一点を守っていればよい。自城のヘクスでは合戦を回避できるため、尼子の武将が個別に元就と戦う必要があり、兵力の優位を生かしきれない。また毛利方は本城なので補充能力が高い。従って郡山城に毛利全軍がスタックしている限り、郡山城は難攻不落の要塞になる。

とはいえ、それだけなら単に「岩山に卵をぶつける」だけの単純なゲームになるのだが、そこに一捻り加えているのが面白い所。ゲーム途中から毛利方の友軍として大内勢26ユニット(52ステップ)が登場する。尼子勢はあえて郡山城を落とさなくても、例えば毛利の持ち城である高松城を落として、あとは逃げ切っても勝利条件的には勝利が可能だ。毛利勢は郡山城にいてこそ無敵だが、城から離れた瞬間脆弱な存在となる。そのための大内勢だ。大内の援軍が安芸に到着した時こそ、本当の戦いが始まるといって良い。

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下名は毛利・大内側を担当する。

このシナリオについては詳細な記録をつけていなかったので、概略を記するに留める。
尼子久幸序盤、定石通り尼子の大軍が郡山城を囲むが、郡山城に対する攻撃は一向に功を奏さず、徒に尼子側の損害だけが増えてくる。業を煮やした尼子勢は郡山城を後方に残したまま南下。尼子方の武将本城常光(2-2-2★)が高松城を包囲しこれを落城。尼子久幸(2-2-3★)、尼子誠久(2-1-3★)は大内方の城郭である八尾城、神戸城などを伺う。

やがて高松城が陥落。毛利の城が1つでも落城すると大内氏が介入してくる可能性がある。確率は毎Turn1/6であるが、2ターン目に大内参戦の目が出たので、大内の大軍が陶晴賢、江良房栄、吉見正頼らに率いられて安芸国に入る。安芸南部の銀山城、鏡山城、竹原城あたりが焦点となるが、大内が重視した竹原城は、増援部隊の到着が間に合わず、城主である小早川奥景(2-1-2★)は切腹して果てた。

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大内軍は目標を銀山城に変更。銀山城は安芸南部に位置する尼子の城郭である。銀山城が実は安芸から尼子勢を追い出すキーストーンとなるのだが、こんな田舎の小城がまさか戦略的な要域になるとは・・・。だから戦略は難しい。そしてウォーゲームは面白い・・・。

宍戸隆家銀山城を攻め落としたのは、大内きっての名将、陶晴賢。銀山を拠点とした大内勢は北上への道が開ける。また銀山の落城と前後して郡山の毛利が動いた。尼子の出城である日野山と尼子が奪取した高松城の間に毛利方武将である宍戸隆家を出陣させた。

本城常光驚いたのは、高松城を守る尼子方武将本城常光である。いきなり後方連絡線を遮断され、補給切れに陥ってしまう。しかしそれに対処する尼子方の予備兵力も今や乏しい。本城常光は高松城を捨てて後退。石見に向けて北上していく。さらに予備兵力捻出と戦線整理のために安芸南部に布陣していた尼子方の諸将が次々と北上を開始。出雲との国境付近まで後退していく。
高松城に抑えの兵力を残し、陶晴賢が遂に郡山城に入った。これにより郡山城を守っていた毛利元就はフリーハンドになった。いよいよ野戦能力と機動力で他を圧する毛利元就が動き始める。狙いは石見山中を彷徨う尼子方の本城常光。士気が低下したままの状態で回復の目途が立たず、何とか尼子の勢力圏まで後退を図る。その背後を追う毛利元就。本城常光の運命は正に風前の灯火である。

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といった所でお開きとした。尼子側プレイヤーによるとこの時点で勝ち目なしと見たとのこと。私の見た所では、まだ絶望的な状況でもないようにも思えるが・・・。まあ、それはそれとして・・・。

ゲーム終了まで後5Turn残した状態での終了となった。全体で20Turnのシナリオなので、全体の3/4が終了したことになる。プレイ時間はセットアップ等を除いて約3時間であった。1Turnの平均所要時間は10分強といった所か。

陶晴賢今回、対人戦で久しぶりに群雄伝をプレイしてみたが、群雄伝はやはり面白い。特に後期の作品はシステム面で洗練されているだけではなく、シナリオのバランスについても良く練られている。つくづく「ゲームシステムとシチュエーション(シナリオ)のバランスって大事だなぁ」と改めて感じた。
プレイ時間の短さも魅力の1つで、1Turnの所要時間が10~15分程度というのも嬉しい所。最近のゲームでは1Turnの所要時間が1時間を超えるものも少なくないので、本シリーズの「軽さ」は感動的ですらある。本作でも今回プレイしたシナリオ以外にまだ未プレイのシナリオが2本もあるし、他にも「秀吉軍記」「九州三国志」等のシナリオもまだまだプレイしたい。

群雄伝シリーズはやはり傑作だなぁ、と改めて感じた。

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