もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

タグ:百名城

あれから 2週間後に再び岡城址を訪れてみた。紅葉についてはやや色づいたようにも思えるが、果たして。あるいはもう散ってしまったのか。

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こちらは夕方の写真。丁度夕陽が沈む時間で、綺麗な夕陽が撮れました。

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この岡城址。豊後竹田の駅から歩くと20~30分とちょっと遠く感じます。ただ実際に歩いてみるとそれほどでもなく、所要時間2時間見ておけば十分に見学できます。
実際に見てみると、思いのほか大迫力でビックリすること請け合い。もしまだ行ったことがなければ、一度訪ねてみては如何でしょうか。

お奨め度★★★★

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大分県豊後竹田市にある岡城址。荒城の月で有名なこの城は、見るものを圧倒する迫力があります。私自身これまで何度かこの城を訪れましたが、今回、秋の紅葉を狙って訪れてみました。

駐車場に着いたのは午前7時過ぎ。まだ朝早い時間のため観光客の姿は殆どありません。紅葉の方は、外から見た感じだと今一つの感じ。ちょっと早かったかな、というのが正直な所です。

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正面の大きな石垣の所から大手門に入っていくと、少しずつ紅葉が見えてきました。黄色く見えるのはイチョウかケヤキか。花音痴の私には判断がつきませんです。

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坂を上り切ると岡城址の城跡が広がっています。一見した所城の上の方はそこそこ色が着いていますが、城の下に広がる谷間の方はまだまだ青々としています。

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5分程歩いた所が本丸で、滝廉太郎の銅像などもあります。

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西の丸の方に戻ってきて少しブラブラしました。このあたりも写真が撮れる場所があります。次はベストの時期に攻めてみたいですが、さてさて・・・。

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全体で30分ほどの散策になりました。紅葉はそこそこ綺麗でしたが、ベストではなかったのが少し残念です。

「はなまる」で寿司を堪能した あと、レンタカーを駆って根室市内を散策してみました。根室市内といっても納沙布岬の端まで含んでいるので結構広いです。ちなみに私が根室市内に足を踏み入れたのは、18年ぶり。さらに東の納沙布岬に行ったのは多分四半世紀ぶりぐらいだと思います。

根室駅

日本最果ての駅です。最東端は1つ手前の東根室駅ですが、東の果ては間違いなくこの駅です。最果て感が半端ない。

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納沙布岬

根室市街からさらに東へ向かうと納沙布岬への平原地帯です。どこまでも続く大平原。しかも両サイドは海と正に最高の景観です。冷戦時代は旧ソ連軍が納沙布岬に上陸し、そこから根室、釧路経由で帯広方面に侵攻することを企図していました。今は平和なこのあたりも、冷戦時代は東西対立の接点でした。
ちなみに根室と言えば忘れてはいけない北方領土。市内や納沙布岬へ向かう道路には「返せ北方領土」といった看板が数多く目立ちます。しかし前回(20世紀末)に訪れた際に目にしたソ連兵を形どった過激な看板は姿を消し、ゆるキャラを描いた可愛い感じの看板がメインでした。

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根室市内から車で20分ほど走った所に納沙布岬があります。文字通り(不法占領されている北方領土を除けば)日本最東端の地です。海を挟んだ向こう側には歯舞群島や国後島が見えています。ちなみにオーロラタワーといって高い所から北方領土を見ることができるタワーもあるのですが、コロナ禍の影響なのか休館していました。

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ヲンネモトチャシ跡

アイヌの人たちが築いた城郭をチャシというそうです。根室半島にはその種の「チャシ」がたくさん残っているとのこと。その中でも一番原型がハッキリしているのが、このヲンネモトチャシ跡だそうです。
納沙布岬から車で約2kmほど走った所にあります。車だとほんの一瞬ですが、歩くとちょっときつそう。城跡といっても石垣も天守もなく、ただ小高い丘があるだけ。ちょっと拍子抜けする感じです。
目の前に広がる根室海峡。海には国籍不明の巡視船が浮かび、ここが日露国境の最前線であることを知らしてくれます。

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ここには何度か来ていますが、桜の季節がメインで、それ以外の時期に訪れたことはあまりなかったような・・・。
今回行った時には、石垣修復工事のため天守閣が城の中央付近に仮置きされた状態でした。本来ならば天守が石垣のすぐ上にあるのですが・・・。

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天守自体は江戸時代から続いている状態のままで、内部の構造も往時のままです。天守内部は三層構造になっており、最上部からは周囲の景観が見渡すことができます。

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城自体は相変わらず大きな城で、本丸から見える岩木山が雄大でした。
石垣の修理については、当初「令和3年完了」となっていたところが、今では「令和7年完了」と後ろ倒しになっているとのこと。例によって石垣を修理してみると、色々と歴史的に重要な史料が出てきたので、そのたびに工事がストップするからだとか・・。

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ともあれ、弘前城の修理。早く終わってまたかつての美しい姿を見たいものです。

お奨め度★★★

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ウォーゲームをプレイする我々にとって、七尾城と畠山氏とは、上洛を目指す上杉謙信の側面を脅威する「厄介な存在」という描かれ方をすることが多い。そして多くの場合、上杉謙信の猛攻を受け、落城壊滅し、「時間稼ぎをして良かったね」的な扱いに終わる。

史実における七尾城も上杉謙信の包囲攻撃を受けて落城という所は上記の通りなのだが、その交戦期間が1年にも及んだということだから恐れ入る。1Turn1年の「信長、最大の危機」ならプレイ可能だが、1Turn10日間の「謙信上洛」ならゲーム終了まで落ちないということになる。いやはや。

余談はさておき、その七尾城に3月のとある週末に出かけてみた。

七尾駅前に着いたのは午前9時半。小雨の中、タクシーで七尾城史資料館へ行く。雨が少し強くなってきたので雨具を付けて歩き始めたのが9時50分頃。案内板に沿って七尾城趾を目指す。

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畑の間をしばらく歩くと、山の中に入っていき、途中から完全な山道になる。登山道としては緩やかな道だが、雨が降っているので油断はならない。慎重に登っていく。途中で視界が開けてきて、七尾市街や七尾湾の景観が見えてくる。

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30分ほど歩くと七尾城の中核部に近づいてくる、やがて前方に石垣が。これが七尾城本丸跡の石垣だ。

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登り始めて約40分で七尾城本丸跡に到着。天守のようなものはないが、往時を十分に偲ばせてくれる景観であった。

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帰りは稜線沿いに降りていく。稜線沿いに作られた二ノ丸、三の丸跡が続き、典型的な山城の景観となっている。

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城山神社まで戻ってくると、そこからは元来た道を戻る。

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帰りは緩やかな下り坂を下りていくだけだから難儀はない。雨が鬱陶しいが、それも平地を歩くのと大した違いはない。2.4kmの道を30分弱で降りきり、1113発のバスに間に合った。

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