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筑後川昇開橋は、かつて国鉄佐賀線が走っていた鉄道橋。昇開橋という名前の通り、橋の中央が上がり下がりします。その目的はロンドン橋と同じく船舶の通路を確保するため。普段は橋の中央が上がっていて、背の高い船舶が通過できるようになっています。また橋の上を鉄道が通過する時には、橋が橋脚部分まで下がってきて、その上を鉄道が走ります。

国鉄佐賀線は昭和時代後期に廃止となり、筑後川昇開橋は用済みとなりましたが、その独特の外観を惜しむ声が大きかったようで、鉄道廃線後も遺構として残されることになりました。
現在では橋の上は遊歩道として整備されており、歩いて橋を渡ることができます。また橋の中央が上下する機能は今でも残されており、観光客に対してはサービスで橋が上がり下がりする様を見せてくれます。

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実は筑後川昇開橋を見たら、ここから立ち去るつもりだったのですが、近くに三重津海軍所跡というものがあると聞いたので立ち寄りことしました。海軍という言葉にはどうも反応してしまいます。
三重津海軍所とは、幕末に佐賀藩が独自で蒸気船建造と藩が保有する洋式蒸気船整備のための施設としてつくられたものです。日本で初めてドライドックがつくられ、その中で洋式蒸気船の整備が行われていたそうです。
今では海軍所跡といっても何か残っている訳ではないのですが、跡地が公園として整備されています。

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海軍所跡が見える所に「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」という箱モノがあります。内部は三重津海軍所の歴史についての展示や3DCGによるシアターがあり、三重津海軍所について視覚的に学ぶことができます。
また佐野常民についてですが、佐野常民とは幕末期から明治期に活躍した人物で、元々は蘭学者で三重津海軍所での蒸気船建造や整備に尽力したそうです。さらにはパリ万博、ウィーン万博での活躍、さらに西南戦争を通じて日本赤十字社の設立に尽力したそうです。

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お奨め度★★★★

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