もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

タグ:織田信長

表紙


「孤高の信長:一五七〇」(以下、本作)は、2022年に発表されたGame Journal#82の付録ゲームである。テーマは織田信長による全国平定戦。プレイヤーは織田信長となり、信長包囲網と戦う。
基本システムはカードドリブンで、山札からランダムに1枚引いてきて、カードで示された陣営が活動する。カードには織田方・反織田方の武将が記されており、織田方武将を引いた場合にはプレイヤーが該当する武将を自由に活動させることができる。逆に反織田方武将を引いた場合には、ルールに従って自動的に活動する。

今回、本作をプレイしてみた。なお、以下でTurnと書かれているのは、山札を切り直したタイミングをTurnの区切りとしている。本作にTurnという概念はない。

Turn00


1Turn

まずは最大の脅威となる浅井・朝倉を叩くべく北近江へ進攻する。当初は浅井・朝倉に先手を取られて(姉川の合戦)苦戦したが、明智光秀、羽柴秀吉、さらに信長公直率の兵で反撃し、浅井、朝倉軍に大損害を与えた。

Turn01


2Turn

小谷が落城し、浅井が滅亡した。明智光秀、羽柴秀吉麾下の計12戦力(約3万)が越前に侵攻する。その頃、東の甲斐を出陣してきた武田信玄が遠江に進出。徳川領内を侵しつつあった。

Turn02


3Turn

越前北ノ庄が陥落し、朝倉も滅亡した。さらに柴田勝家、徳川家康の連合軍が長島一向宗を制圧した。石山本願寺を攻めている丹波長秀、松永久秀も本願寺勢を追い詰めつつある。

Turn03


4Turn

織田側4将が石山本願寺攻めに集結した。圧倒的な兵力で石山本願寺勢を一掃。同地を占領する。この4将集結の形ができれば、織田方の勝利は固い。

Turn04


5Turn

武田信玄が遠江を制圧した。織田方は主力部隊で紀伊を制圧して雑賀孫一を追い払った。その後主力部隊は一旦北近江に引き返し、武田の西進に備える。徳川家康は三河に戻り、防衛体制を固める。

Turn05


6Turn

三河に攻め込んだ武田勢を長篠の地で迎え撃った織田・徳川連合軍は、圧倒的な兵力で武田勢を撃破した。武田の脅威は一掃されたが、まだ武田家が滅んだわけではない。

Turn06


7Turn

武田が滅んだ。織田側の全力攻撃の前にはひとたまりもない。残るは上杉、毛利、宇喜多、三好である。織田軍主力は南近江に再集結し、次の攻勢に備えて兵力を補充する。

8Turn

織田軍主力は加賀に侵攻。一向一揆勢をなで斬りにした後、南へ転進する。目指すは四国三好の本拠である阿波国。これまで松永久秀が三好と鍔迫り合いを続けていたが、織田の大軍の前には三好もひとたまりもなかった。

9Turn

北陸で上杉謙信が動き始めた。先手を取った織田方は全兵力を北へ向かわせた越中の地で上杉軍の対峙した織田側。さすがに謙信は強く、織田勢も多大な損害を強いられたが、最終的には圧倒的な兵力に抗すべくもなく上杉勢は壊滅する。その頃、西の播磨では毛利・宇喜多勢が播磨を制圧し、京を目指して進みつつあった。

Turn09


10Turn

宇喜多勢が摂津に侵入してきた。織田側は全戦力を集結して摂津に出陣。宇喜多勢を殲滅する。しかし続いて毛利勢が摂津に侵入してきた。毛利と織田の決戦が始まる。

Turn10


11Turn

摂津表での毛利と織田の決戦は、兵力に勝る織田側の勝利に終わった。この機会を逃さじ。織田側の主力あ西に向けて進撃を開始する。

Turn11


感想

この後は掃討戦である。宇喜多、毛利主力を相次いで撃破し、山陽道を制圧。その後は織田軍主力が神速で山陰道に向かい、最後は鳥取城に吉川広家を囲んで殲滅した。

Turn12


以下感想。ただしルール解釈ミスが含まれている場合もあるので、その点はご容赦下さい。
まず序盤。何もしないでサドンデス負け食らう可能性があります。つまり織田方の武将を引く前に「浅井・朝倉」を引けば、そのまま浅井軍が西美濃に進入し、そのままアウトです。これを避けるためには、とにかく浅井の動きを封じるため北近江に攻め込む必要があります。
浅井、朝倉を制圧すれば、後は織田方の4将をスタックさせて機動戦力全部をそこに投入。あとは圧倒的兵力に物を言わせて畿内に近づいて来た敵を各個撃破すればOK。今回でいえば4Turnの状況になれば、あとは掃討戦。プレイヤー(織田方)が負ける余地は殆どないように思われます。そういった意味で本作は、ソロプレイ用ゲームとしてはかなり「緩い」ゲームと言えるのではないでしょうか。

1回のプレイも1~2時間で終わるため、軽くプレイしてみるのも良いのではないかと。

信長最大の危機紹介

YouTubeチャンネル「もりつちのウォーゲーム情報」Game Journal誌別冊「信長最大の危機」 の紹介動画を作成しました。

こんな感じです。



今回は、自作ゲームを離れ、市販ゲームの紹介動画にチャレンジしてみました。次回作は未定ですが、市販ゲームの紹介又は自作ゲームの紹介動画をアップしたいと思います。予定では、2週間後の水曜日20時に公開を予定しています。
今後ともよろしくお願いいたします。

写真20


時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。

前回までの展開は --> こちら

13Turn(1月第1週)

14Turn(1月第2週)

馬場信春年が変わった。武田勢は遠江から三河に侵攻する。さらに勢いは止まらず遂に尾張へ進入した。織田方は畿内戦線から明智光秀と滝川一益を急遽尾張に急派し、兵力の増強を図る。これにより尾張国内の織田・徳川連合軍は、徳川麾下の14ステップ(14,000人)と織田家臣団が18ステップ(18,000人)となり、合計32,000人。尾張・三河方面の武田勢は合計34ステップ(34,000人)で、両者はほぼ拮抗した。

写真13


畿内では観音寺城を守る一向一揆勢を丹波長秀、羽柴秀吉の連合軍が攻め立てる。観音寺城の守将は一向一揆勢の下間頼廉(2-0-2★)。集中攻撃を受けて壊滅的な損害を被っていた。

写真14


15Turn(1月第3週)

16Turn(1月第4週)

下間仲孝下間頼廉が織田方の集中攻撃を受けて討ち取られた。一向一揆勢も残るは下間仲孝(2-0-2★)の率いる軍勢だけである。下間仲孝は単独で織田方に抗するのは不利と判断し、観音寺城に守備隊を残し、残りは北近江の浅井勢と合流すべく北上する。

写真15


尾張・三河国境では、武田勢の主力と織田・徳川連合軍の機動戦が続いている。両軍とも兵力はほぼ互角なので、決め手を欠きつつ丁々発止の駆け引きが続いている。

写真16


17Turn(2月第1週)

18Turn(2月第2週)

浅井長政和議が成立し浅井長政が反織田勢から脱落した。反織田勢で残っているのは、一向一揆勢と武田勢のみである。大勢は決した。下間仲孝率いる一向一揆勢は北近江の虎御前山付近で追い詰められ、四方から織田勢の集中攻撃を受けるに至っている。尾張に侵攻した武田勢は短期決戦を求めて岐阜に向けて進撃するが、決戦を急ぐ必要がない織田勢は適当にあしらいつつ、武田勢主力を東美濃で後方を遮断した。

写真17


19Turn(2月第3週)

20Turn(2月第4週)

武田信玄 武田勢は最後の奇跡を求めて岐阜城下に向けて進撃する。織田・徳川連合軍は岐阜城の東方3里の位置に達した武田勢に対し、迎撃部隊を差し向けた。武田勢は28ステップ(28,000人)。対する織田・徳川連合軍は、徳川家康14ステップ(14,000人)、明智光秀12ステップ(12,000人)、柴田勝家10ステップ(10,000人)の計36,000人。さらに織田勢は鉄砲装備でも武田勢を上回っていた。
兵力に劣る武田勢であったが、奮戦した。最初の2ラウンドは武田と織田・徳川軍はそれぞれ同数の損害で一歩も引かなかった。しかし第3ラウンドで織田・徳川方が僅かに戦闘結果で勝り、武田勢は総崩れとなった。この撤退の最中で大損害を受けた武田勢は。それでも東美濃の山中に向けて後退を続けたが、最後は岐阜から追ってきた徳川家康と明智光秀らの退路をふさがれ、哀れ、武田信玄。東美濃の山中であえない最期を遂げたのである。

写真18
写真19

感想

今回も織田・徳川方の勝利になったが、バランス上どちらが有利かは判然としない。特に一向一揆の補充力が巨大なので、織田方が簡単に勝てるという訳でもないと思う。
一向一揆勢は連絡線が不要なので、盤上どこでも暴れまわることができる。それに対して織田方が一向一揆勢に対して攻勢を仕掛けるためには、最低打撃力を有する2個軍団以上は欲しい所だ。しかし織田・徳川連合軍が保有する機動打撃兵力は、織田が4個、徳川が1個の計5個に過ぎない。その中から2個を一向一揆勢のために割くのは如何にもキツイ。また武田本隊の決戦には最低2個軍団以上が必要になる。そう考えると、織田・徳川方もギリギリの線で戦っていることがわかる。
今回織田方で失敗したと思ったのは、京を早期に放棄したこと。7VP確保すれば浅井・朝倉が脱落する確率が最高になるので、その後は兵力節約のために京から撤退したが、これは少し早すぎた。一向一揆勢や武田の攻勢によって織田・徳川方の城が落ちると同陣営のVPが減るので、2つほど城が落ちると安全圏を割ってしまう。何よりも京との連絡線を保持しないと織田方にとってVPを獲得する手段がなくなってしまう。従って織田方にとって京との連絡線はギリギリまで粘った方が良かったかもしれない。
とはいえ、武田本隊が急進してくると、織田方としても決戦兵力を捻出するしかない。武田と少なくとも互角に戦うためには、9ユニット(1.5個軍団)程度の織田軍勢を徳川に加勢する必要がある。もう少し少ないユニット数(例えば1個軍団6ユニット)でも戦えなくはないが、勝率は下がってしまう。武田との決戦はゲームの勝敗に直結するので、織田方にとっては難しい判断が迫られる。

一方の武田勢は、主導権が織田方にあることを認識して「ライヘンバッハプラン」のような戦い方が有効と考える。織田方は、その気になれば武田軍主力を撃破し得る兵力を集中できる。ただし決戦を回避するだけの機動力が武田方にはある。従って武田方としては、織田方の兵力展開を見極めつつ、「押しては引き、引いては押す」戦略が有効と考える。

上にも書いたが、本作で勝敗に大きくかかわるのが織田・徳川連合軍と武田本隊との決戦である。この決戦はダイス勝負になるので、最後は運に頼ることになる。ただし勝敗の確率は状況によって変動させることができる。
まず兵力。言うまでもないが兵力が多いほうが有利である。これについては武田勢が一定以上の兵力を集結させることができないのに対し(一向一揆勢と合流することは可能)、織田・徳川連合軍は自由に兵力を融通できる。従って決戦場に展開可能な兵力で言えば、織田・徳川連合軍が主導権を握っている。ただし50戦力以上集めても実質的な意味がないので、武田勢も現有兵力である程度は対抗可能だ。
次に野戦能力。これは武田信玄と徳川家康がいずれも野戦修正3なので互角。ただし徳川家康が本拠地(浜松)との連絡線を断たれた状態で戦うことが多くなるので、やや不利になる。徳川家康の連絡線対策は、第4ステージ終了時に城に籠城させるのが有効と思われる。
最後に連絡線。連絡線を切られると士気値が-1される。先にも書いたが徳川家康が連絡線を切られているのでやや不利。一方武田勢は状況による。後方の城を押さえながら慎重に前進するとか、遠江などの武田領地に近い場所で決戦する分にはあまり心配する必要がないが、尾張、美濃に急進した場合、織田方の小部隊によって連絡線を遮断される危険がある。兵力不足で機動力の高い部隊を分派させ辛い武田方にとって、織田方の小兵力機動作戦はかなり鬱陶しいだろうと思う。
いずれにしても上記の状況を勘案し、自軍が有利な状態に持ち込んで、あとはダイスに全てを賭けるしかない。それで敗れれば運がなかったと思って諦めよう。また互角の状況や自身が不利な状況で決戦に挑むかどうかはプレイヤーの性格による。決戦は両者の合意の元で行うのが原則なので、プレイヤーの性格が出る場面だ。

いずれにしても「信玄上洛」は面白い。何か裏技があるのかもれないが、素直にプレイする分には両プレイヤー共楽しめる傑作ゲームだと思う。

写真00


時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。

前回のソロプレイ では、武田軍が初期にギャンブルに出て、それが裏目に出たため僅か5Turnで武田信玄討死という結果になってしまった。そこで今回は両軍ともギャンブルを避けて慎重なプレイに徹することにした。また前回のプレイでルールミスがあったため(一向一揆勢が毎ステージにフリーで1回補充できることを失念)、その点もちゃんとやり直したいと思っていた。
それでは早速プレイを始めよう。

1Turn(10月第1週)

2Turn(10月第2週)

武田信玄武田軍が国境を越えて遠江に進入する。山県昌景(7-2-4★、戦闘力-野戦修正-行動力-指揮順位、以下同じ)は、石川数正(3-2-3★)が守る浜松城を包囲し、穴山信君(2-1-3★)は北の二俣城を包囲する。武田信玄(2-3-4★★)麾下の武田勢主力は、三河に進入して野田城を囲む。さらに信濃南部からは秋山信友(7-1-3★)が織田方の岩村城を囲んだ。

写真01


伊勢湾方面からは願証寺証恵(2-0-2★)率いる一向一揆勢が織田の本拠地である岐阜城に向けて北上する。それに対して織田方は猛将柴田勝家(3-2-4★)が迎撃に向かう。一向一揆勢は織田の重要拠点である清州城を囲んだ。

写真02


畿内方面でも一向一揆勢が京に向けて進撃を開始し、それを羽柴秀吉(3-1-4★★)、丹波長秀(3-2-4★★)らがそれを迎え撃つ。また北からは浅井・朝倉勢が明智光秀(3-3-4★★)、滝川一益(3-1-4★★)らと対峙する。
しかし第2Turnに朝倉と織田の間で和議が成立。朝倉が反織田戦線から脱落した。これにより少し織田勢が兵力運用に余裕が出てきた。

写真03


3Turn(10月第3週)

願証寺証恵織田勢は戦線縮小の為、京都を放棄し関ヶ原の線まで撤退する。そして関ヶ原を丹波長秀が守る。近江以西は織田方の軍事力が及ばない地域となった。その間隙を付いて一向一揆勢が坂本、大津の2城を囲む。


写真04


尾張では明智光秀、柴田勝家、そして徳川家康(3-3-4★★)が一向一揆制圧に動く。一揆勢は織田・徳川正規軍の攻撃を受けるとさすがに耐え切れず、清州の囲みを解いて後退していく。

写真05


4Turn(10月第4週)

5Turn(11月第1週)

羽柴秀吉織田方は尾張平野で跋扈する一向一揆勢を制圧しつつ、織田信長(3-1-4★★)、羽柴秀吉(3-1-4★)、徳川家康の3名を三河方面に向かわせる。その任務は武田信玄との決戦にある。兵力は信長直率が6ステップ(6,000人)、秀吉麾下が12ステップ(12,000人)、家康麾下の三河勢が14ステップ(14,000人)である。合計32ステップ(32,000人)で、武田軍主力の32,000人と拮抗する。

写真06


また柴田勝家麾下の12,000人は中仙道を東に向かい、岩村城を囲む武田勢の秋山信友と対峙する。
尾張平野では明智光秀が一向一揆を追い回すが、無限の補充能力を持つ一揆勢に苦戦を強いられている。
そして関ヶ原では丹波長秀が守りを固めている。
関ヶ原の西側では織田勢が姿を消したため、一揆勢がやりたい放題。坂本城と大津城を囲んだ一揆勢は陥落まであと一歩に追い込んだ。また浅井長政(2-3-4★★)も鳥なき里の蝙蝠よろしく、近江における織田方の出城である横山城を包囲した。

写真07


6Turn(11月第2週)

織田・徳川連合軍は武田軍主力との決戦に備えてジリジリと浜松に近づく。武田勢は野田、二俣両城の囲みを解いて決戦に備える。
伊勢・近江国境では、明智光秀が遂に一向一揆勢を追い詰めた。服部友定(2-0-2★)を近江山中で討死に追い込んだのである。
畿内では遂に大津城が一揆勢の攻勢を受けて落城した。

7Turn(11月第3週)

織田信長織田・徳川連合軍が浜松城外に到着した。武田勢は浜松に向けて遅退戦術で後退していったが、浜松城下まで後退してきたとき、これ以上後退できないと判断した武田勢はここで決戦を挑んだ。武田勢は32ステップ(32,000人)、対する織田・徳川連合軍は、滝川一益の増援部隊が加わっていたため36ステップ(36,000人)であった。
戦いは織田・徳川連合軍の勝利に終わり、武田勢は実に10ステップもの損害を出したが、除去されたユニットがなかったのは武田にとっては不幸中の幸いであった。

写真08


8Turn(11月第4週)

9Turn(12月第1週)

徳川家康内陸部に雪が降った。雪の降りしきる信濃路に傷ついた武田軍は後退していく。一方の織田・徳川連合軍は、徳川家康が武田本隊追撃のため北に向かう。残り織田軍団は西へ向かう。最後の敵、一向一揆を撃破し、京への連絡路を再度打通するためである。まずは尾張に跋扈していた一向一揆派の願証寺証恵(2-0-2★)を殲滅。尾張平野一帯は織田方の平定するところとなった。

写真09


畿内では、大津城に続いて坂本城が一揆勢の攻撃により落城し、京への東側の入り口が一揆勢に抑えられる形となった。一揆勢はなおも湖東を進み、観音寺城を囲んだ。

写真10


10Turn(12月第2週)

11Turn(12月第3週)

明智光秀信濃路では、本拠地に戻った武田信玄が戦力を回復した。武田勢を追って信濃路まで攻め込んだ徳川家康軍は、逆撃の危機に瀕して後退を開始する。



写真11


畿内では、東近江から一揆勢をすり抜けて明智光秀が京に到達した。

写真12


12Turn(12月第4週)

明智光秀が京を奪回した。一方信濃路では、武田勢の逆撃によって徳川家康本隊は遠江まで撤退を余儀なくされた。

(つづく)

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