Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。
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12月22日
真冬のアルデンヌ高原。ドイツ軍の大攻勢が始まっていた。後に「バルジの戦い」と呼ばれる攻撃作戦である。我が第4機甲師団は米空挺部隊が守るベルギーのバストーニュ目指して前進していた。私も新たな戦車M4A3E8(76)W、通称イージーエイトを受け取った。その戦車に「マンチカン」という名前をつけた我々は、曇り空の下、意気揚々と前進していく。正午ごろ、敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けた。タスクフォースの先頭を進む「マンチカン」は至近距離からドイツ88ミリ砲を浴びせかけられた。煙幕によって危うく命中を免れたが、危ない所だった。
12月23日
翌日は晴天となった。この日もバストーニュ目指して進撃する「パットンズベスト」達。我々のタスクフォースは対戦車砲2門、トラック2両等を撃破したが、対戦車砲の待ち伏せ攻撃によってシャーマン戦車1両が撃破された。12月24日
クリスマスイブ。しかし「クリスマスまでに戦争を終わらせる」と言っていた偉いさん達。終わらなかったじゃないか・・・。昨日の晴天から打って変わって悪天候。しかし戦争に天気は関係ない。我々はバストーニュに向けて前進を続けている。その日の夕刻、先頭を進んでいた「マンチカン」は、ドイツ軍対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けた。反応する間もなく大型徹甲弾が車体前面に命中する。シャーマン戦車の前面装甲を苦も無く貫通した88mm徹甲弾は車内で炸裂した。被弾によってアシストドライバーが軽傷を負ったが、幸い「マンチカン」は誘爆しなかった。全員脱出。アシストドライバーの傷も大したことはなく、幸い全クルーが無事ベイルアウトに成功した。
結果的に「マンチカン」は何ら戦果を挙げることなく、僅か4日間で戦線離脱を余儀なくされてしまう。
12月25日
我々は新しい戦車を手に入れた。重装甲で76mm砲搭載のシャーマン・ジャンボ。M4A3E2(76)Wだ。私にとってこの「ジャンボ」に乗るのは2度目だ。私はこの大型戦車に「ジャイアン」という名前をつけた。昨日の悪天候から今日は晴天。我々はバストーニュに向けて最後の進撃を行う。我が「ジャイアン」はその重装甲を買われて部隊の先頭を走ることが多い。そのため、一度は敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けて75mm徹甲弾を車体前面に食らったが、分厚い装甲は何事もなくそれに耐えた。一方で「ジャイアン」はドイツ軍のトラックに76mm榴弾を命中させ、これを撃破して初戦果を飾った。
12月26日
この日、我々はバストーニュに突入する。その日は未明から雪が降っていた。幸い夜明けとともに雪が止んだ。我々は白銀に染まったアルデンヌ高原を前進する。我々は何度か敵の抵抗を受けたが、そのほとんどを支援射撃によって撃破し、我々の前に直接姿を現したドイツ軍は殆どなかった。この日我々は味方の損害なしで戦車1両、突撃砲1両、対戦車砲2門その他の撃破を確認した。
そして友軍のエイブラムス中佐指揮の戦車大隊がバストーニュに突入し、バストーニュの友軍と連絡がつながった。
12月31日
大晦日である。我々はバストーニュ前面でドイツ軍の反撃を迎え撃った。我々は戦車2両、突撃砲/駆逐戦車2両を撃破したが、「ジャイアン」の戦果は歩兵1部隊のみであった。1月1日
年が明けて1945年。激しく雪が降っている。雪で視界が効かないので激しい格闘戦になった。午前中には敵歩兵部隊と交戦。「ジャイアン」は機銃を駆使して敵歩兵と交戦。6ユニットを撃破した。
午後に入ると多数の敵戦車と交戦。「ジャイアン」は激戦の中、75mm徹甲弾2発以上を車体前面に食らうも、分厚い装甲がその全てを跳ね返した。その一方で「ジャイアン」は、パンター戦車2両を撃破し、4号戦車も1両を撃破した。他の友軍部隊も奮戦し、その日1日、我々のタスクフォース全体で敵戦闘車両8両、歩兵部隊10個を撃破した。タスクフォースの損害は、損失戦車こそなかったが、歩兵部隊7個を失い、その損害は決して少なくはなかった。あまりの激戦のため、戦闘が終わった時、「ジャイアン」に残っていた徹甲弾は僅かに9発のみだったという。
この日の戦果で私は「銅星章」を受章した。
1月12日
バルジの戦いは連合軍の勝利のうちに終わった。その後数日平穏な日々が続いたが、1月12日になってドイツ軍が反撃を仕掛けてきた。友軍部隊はパンター戦車2両を撃破したが、「ジャイアン」の戦果はなかった。1月15日
3日後、晴天下でドイツ軍機甲部隊の反撃を受けた。「ジャイアン」は大活躍し、4号戦車1両、4号駆逐戦車1両を撃破した。この戦いが終わった後、私はこれまでの戦功により少尉に昇進した。1月21日
さらに6日後、敵との交戦があった。この日「ジャイアン」は軽駆逐戦車ヘッツァー1両を撃破した。1月25日
この日も敵機甲部隊の反撃を迎え撃った。「ジャイアン」は4号戦車1両、3号突撃砲1両を葬った。1月27日
パンター1両を撃破。2月1日
2月に入っても激戦は続いている。この日「ジャイアン」はパンター戦車1両を撃破。その後敵歩兵部隊の猛攻を受けたが、友軍部隊の活躍で歩兵部隊7個を撃破した。2月2日
翌日、我々は前進を開始した。ドイツ軍の抵抗を概ね撃破したこと。さらにやや寒気が遠のいたため前進に好都合となったからである。とは言え、地表は深い雪に覆われており、我々の前進は捗らなかった。「ジャイアン」は敵装甲車1両を徹甲弾で始末した他、他の友軍部隊が突撃砲1両、対戦車砲1門を撃破した。2月22日
天気=深雪。3週間の休暇の後、我々は戦場に戻ってきた。我々は前進中に敵の抵抗線と3度遭遇。「ジャイアン」は敵歩兵1、ヘッツァー駆逐戦車1両撃破。
2月23日
天気=晴れ。敵との交戦が2度あったが、いずれも事前の砲爆撃で制圧し、「ジャイアン」に戦果はなかった。
3月15日
3月になっても我々の前進は続いていたが、ドイツ軍の抵抗は乏しく、交戦の機会は殆どなかった。この日はモーゼル川を渡河し、クロイゼナッハで久しぶりにドイツ軍の抵抗を受けた。しかしこれまでの戦い同様、ドイツ軍は歩兵中心の部隊が殆どで、事前の砲爆撃のよってその大半が撃破された。この日「ジャイアン」に戦果はなかった。
3月27日
久しぶりにドイツ軍の反撃を迎え撃った。「ジャイアン」はこの日大活躍。戦車2両(4号戦車とパンター戦車各1両)と突撃砲1両を撃破した。ただし敵の反撃で友軍戦車1両を失う。4月18日
その後我々は何度か敵との遭遇があったが、その大半はドイツ軍の歩兵部隊であり、脅威となる対戦車砲や戦車、突撃砲等との遭遇は殆どなかった。「ジャイアン」では密かにストックしているHVAP(高速徹甲)弾も、利用する機会がなく貯まっていく一方。今や「ジャイアン」の弾庫には23発ものHVAP弾が収納されていた。4月18日も守りについていた我々に対してドイツ軍は反撃を仕掛けてきたが、その大半は歩兵部隊で、3号突撃砲1両が姿を見せたが、友軍戦車の反撃によって即座に撃破された。
4月18日が我々にとって最後の戦闘となった。その後我々はチェコスロバキア進攻に備えて後方待機となった。5月に入ってドイツは連合軍に降伏。我々のチェコスロバキア進攻作戦も幻となり、私にとっての戦争は終わった。
この戦争の全期間を通じて私の戦果は、撃破車両=戦車22両、突撃砲/駆逐戦車12両、トラック/装甲車4両の計38両。他に対戦車砲1門、歩兵29個分隊を撃破した。特に最後に乗車した「ジャイアン」での戦果が目覚ましく、戦車9両、突撃砲/駆逐戦車5両の計14両を撃破し、全戦果の40%以上が「ジャイアン」による戦果である。
一方で損害だが、乗車していた戦車5両が撃破され、1名が重傷を負って本国に送還された。戦車の損失理由は、戦車砲によるもの3両、対戦車砲によるもの2両である。
感想
結構時間がかかってしまった。トータルのプレイ時間は50~60時間ぐらいである。戦車同士のドッグファイトになると結構ワクワクしてくる。相手の側面を狙い、敵に狙わないように煙幕を張る。ハッチから身を乗り出して対空機関砲で敵歩兵を撃つ。するとどこからともなく敵砲兵射撃が始まり、破片が戦車長に命中してドキっとすることも再三あった。少し気になることは、米軍に時間的な制約がないことである。要するにどれだけ時間をかけて攻撃してもペナルティがない。極端な例を挙げれば、プレイヤーが朝から晩まで弾薬補給を繰り返して時間つぶしをしても、別段ペナルティはない(そんなゲームが楽しいかどうかは別としてだが・・・)。だから冬場の戦い以降は、新しいエリアに進入する度に援護射撃は腹一杯実施することにした。特に乗車車両がシャーマンジャンボになった後は、一番怖いのは敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃なので、とにかく間接射撃と前進射撃は怠らないようにした。おかげで最後に乗った「ジャイアン」は敵に撃破されずに戦い抜くことができたが、モタモタすることによるペナルティがないので、モタモタし放題なのだ。
ゲームとしては結構面白かった。チームの一員として戦車を率いる立場を体験できる。せっかくなので北アフリカ編とかドイツ軍バージョン等も見てみたい気がするが、今なら叶わぬ夢なんだろうなぁ・・・。ま、いいか・・・。
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