もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

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Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

前号までは --> こちら

12月22日

真冬のアルデンヌ高原。ドイツ軍の大攻勢が始まっていた。後に「バルジの戦い」と呼ばれる攻撃作戦である。我が第4機甲師団は米空挺部隊が守るベルギーのバストーニュ目指して前進していた。私も新たな戦車M4A3E8(76)W、通称イージーエイトを受け取った。その戦車に「マンチカン」という名前をつけた我々は、曇り空の下、意気揚々と前進していく。
正午ごろ、敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けた。タスクフォースの先頭を進む「マンチカン」は至近距離からドイツ88ミリ砲を浴びせかけられた。煙幕によって危うく命中を免れたが、危ない所だった。

12月23日

翌日は晴天となった。この日もバストーニュ目指して進撃する「パットンズベスト」達。我々のタスクフォースは対戦車砲2門、トラック2両等を撃破したが、対戦車砲の待ち伏せ攻撃によってシャーマン戦車1両が撃破された。

12月24日

クリスマスイブ。しかし「クリスマスまでに戦争を終わらせる」と言っていた偉いさん達。終わらなかったじゃないか・・・。
昨日の晴天から打って変わって悪天候。しかし戦争に天気は関係ない。我々はバストーニュに向けて前進を続けている。その日の夕刻、先頭を進んでいた「マンチカン」は、ドイツ軍対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けた。反応する間もなく大型徹甲弾が車体前面に命中する。シャーマン戦車の前面装甲を苦も無く貫通した88mm徹甲弾は車内で炸裂した。被弾によってアシストドライバーが軽傷を負ったが、幸い「マンチカン」は誘爆しなかった。全員脱出。アシストドライバーの傷も大したことはなく、幸い全クルーが無事ベイルアウトに成功した。
結果的に「マンチカン」は何ら戦果を挙げることなく、僅か4日間で戦線離脱を余儀なくされてしまう。

12月25日

我々は新しい戦車を手に入れた。重装甲で76mm砲搭載のシャーマン・ジャンボ。M4A3E2(76)Wだ。私にとってこの「ジャンボ」に乗るのは2度目だ。私はこの大型戦車に「ジャイアン」という名前をつけた。
昨日の悪天候から今日は晴天。我々はバストーニュに向けて最後の進撃を行う。我が「ジャイアン」はその重装甲を買われて部隊の先頭を走ることが多い。そのため、一度は敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けて75mm徹甲弾を車体前面に食らったが、分厚い装甲は何事もなくそれに耐えた。一方で「ジャイアン」はドイツ軍のトラックに76mm榴弾を命中させ、これを撃破して初戦果を飾った。

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12月26日

この日、我々はバストーニュに突入する。その日は未明から雪が降っていた。幸い夜明けとともに雪が止んだ。我々は白銀に染まったアルデンヌ高原を前進する。我々は何度か敵の抵抗を受けたが、そのほとんどを支援射撃によって撃破し、我々の前に直接姿を現したドイツ軍は殆どなかった。
この日我々は味方の損害なしで戦車1両、突撃砲1両、対戦車砲2門その他の撃破を確認した。
そして友軍のエイブラムス中佐指揮の戦車大隊がバストーニュに突入し、バストーニュの友軍と連絡がつながった。

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12月31日

大晦日である。我々はバストーニュ前面でドイツ軍の反撃を迎え撃った。我々は戦車2両、突撃砲/駆逐戦車2両を撃破したが、「ジャイアン」の戦果は歩兵1部隊のみであった。

1月1日

年が明けて1945年。激しく雪が降っている。雪で視界が効かないので激しい格闘戦になった。
午前中には敵歩兵部隊と交戦。「ジャイアン」は機銃を駆使して敵歩兵と交戦。6ユニットを撃破した。
午後に入ると多数の敵戦車と交戦。「ジャイアン」は激戦の中、75mm徹甲弾2発以上を車体前面に食らうも、分厚い装甲がその全てを跳ね返した。その一方で「ジャイアン」は、パンター戦車2両を撃破し、4号戦車も1両を撃破した。他の友軍部隊も奮戦し、その日1日、我々のタスクフォース全体で敵戦闘車両8両、歩兵部隊10個を撃破した。タスクフォースの損害は、損失戦車こそなかったが、歩兵部隊7個を失い、その損害は決して少なくはなかった。あまりの激戦のため、戦闘が終わった時、「ジャイアン」に残っていた徹甲弾は僅かに9発のみだったという。

この日の戦果で私は「銅星章」を受章した。

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1月12日

バルジの戦いは連合軍の勝利のうちに終わった。その後数日平穏な日々が続いたが、1月12日になってドイツ軍が反撃を仕掛けてきた。友軍部隊はパンター戦車2両を撃破したが、「ジャイアン」の戦果はなかった。

1月15日

3日後、晴天下でドイツ軍機甲部隊の反撃を受けた。「ジャイアン」は大活躍し、4号戦車1両、4号駆逐戦車1両を撃破した。この戦いが終わった後、私はこれまでの戦功により少尉に昇進した。

1月21日

さらに6日後、敵との交戦があった。この日「ジャイアン」は軽駆逐戦車ヘッツァー1両を撃破した。

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1月25日

この日も敵機甲部隊の反撃を迎え撃った。「ジャイアン」は4号戦車1両、3号突撃砲1両を葬った。

1月27日

パンター1両を撃破。

2月1日

2月に入っても激戦は続いている。この日「ジャイアン」はパンター戦車1両を撃破。その後敵歩兵部隊の猛攻を受けたが、友軍部隊の活躍で歩兵部隊7個を撃破した。

2月2日

翌日、我々は前進を開始した。ドイツ軍の抵抗を概ね撃破したこと。さらにやや寒気が遠のいたため前進に好都合となったからである。とは言え、地表は深い雪に覆われており、我々の前進は捗らなかった。「ジャイアン」は敵装甲車1両を徹甲弾で始末した他、他の友軍部隊が突撃砲1両、対戦車砲1門を撃破した。

2月22日

天気=深雪。
3週間の休暇の後、我々は戦場に戻ってきた。我々は前進中に敵の抵抗線と3度遭遇。「ジャイアン」は敵歩兵1、ヘッツァー駆逐戦車1両撃破。

2月23日

天気=晴れ。
敵との交戦が2度あったが、いずれも事前の砲爆撃で制圧し、「ジャイアン」に戦果はなかった。

3月15日

3月になっても我々の前進は続いていたが、ドイツ軍の抵抗は乏しく、交戦の機会は殆どなかった。
この日はモーゼル川を渡河し、クロイゼナッハで久しぶりにドイツ軍の抵抗を受けた。しかしこれまでの戦い同様、ドイツ軍は歩兵中心の部隊が殆どで、事前の砲爆撃のよってその大半が撃破された。この日「ジャイアン」に戦果はなかった。

3月27日

久しぶりにドイツ軍の反撃を迎え撃った。「ジャイアン」はこの日大活躍。戦車2両(4号戦車とパンター戦車各1両)と突撃砲1両を撃破した。ただし敵の反撃で友軍戦車1両を失う。

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4月18日

その後我々は何度か敵との遭遇があったが、その大半はドイツ軍の歩兵部隊であり、脅威となる対戦車砲や戦車、突撃砲等との遭遇は殆どなかった。「ジャイアン」では密かにストックしているHVAP(高速徹甲)弾も、利用する機会がなく貯まっていく一方。今や「ジャイアン」の弾庫には23発ものHVAP弾が収納されていた。
4月18日も守りについていた我々に対してドイツ軍は反撃を仕掛けてきたが、その大半は歩兵部隊で、3号突撃砲1両が姿を見せたが、友軍戦車の反撃によって即座に撃破された。

4月18日が我々にとって最後の戦闘となった。その後我々はチェコスロバキア進攻に備えて後方待機となった。5月に入ってドイツは連合軍に降伏。我々のチェコスロバキア進攻作戦も幻となり、私にとっての戦争は終わった。

この戦争の全期間を通じて私の戦果は、撃破車両=戦車22両、突撃砲/駆逐戦車12両、トラック/装甲車4両の計38両。他に対戦車砲1門、歩兵29個分隊を撃破した。特に最後に乗車した「ジャイアン」での戦果が目覚ましく、戦車9両、突撃砲/駆逐戦車5両の計14両を撃破し、全戦果の40%以上が「ジャイアン」による戦果である。

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一方で損害だが、乗車していた戦車5両が撃破され、1名が重傷を負って本国に送還された。戦車の損失理由は、戦車砲によるもの3両、対戦車砲によるもの2両である。

感想

結構時間がかかってしまった。トータルのプレイ時間は50~60時間ぐらいである。戦車同士のドッグファイトになると結構ワクワクしてくる。相手の側面を狙い、敵に狙わないように煙幕を張る。ハッチから身を乗り出して対空機関砲で敵歩兵を撃つ。するとどこからともなく敵砲兵射撃が始まり、破片が戦車長に命中してドキっとすることも再三あった。

少し気になることは、米軍に時間的な制約がないことである。要するにどれだけ時間をかけて攻撃してもペナルティがない。極端な例を挙げれば、プレイヤーが朝から晩まで弾薬補給を繰り返して時間つぶしをしても、別段ペナルティはない(そんなゲームが楽しいかどうかは別としてだが・・・)。だから冬場の戦い以降は、新しいエリアに進入する度に援護射撃は腹一杯実施することにした。特に乗車車両がシャーマンジャンボになった後は、一番怖いのは敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃なので、とにかく間接射撃と前進射撃は怠らないようにした。おかげで最後に乗った「ジャイアン」は敵に撃破されずに戦い抜くことができたが、モタモタすることによるペナルティがないので、モタモタし放題なのだ。
ゲームとしては結構面白かった。チームの一員として戦車を率いる立場を体験できる。せっかくなので北アフリカ編とかドイツ軍バージョン等も見てみたい気がするが、今なら叶わぬ夢なんだろうなぁ・・・。ま、いいか・・・。

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Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

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9月26日-10月2日

私が負傷のため戦場を離れている間、私のチームは別の戦車長によって指揮されていたらしい。重傷を負った操縦手は本国へ帰った。練度の著しく低下した私の「元」チームは、新たな戦車を手にした。車種は今度もM4A3(76)である。

26日の戦闘では、敵戦車部隊を迎え撃ち、4号戦車1両、3号突撃砲1両を撃破した。

29日の戦闘では、再び敵戦車部隊を迎え撃ち、軽駆逐戦車ヘッツァー1両を撃破したものの、敵戦車砲を受けてまたもや乗車が撃破されてしまう。今回も幸運に恵まれてクルーは全員脱出に成功したらしい。

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10月に入って1度戦闘があり、その日は1日で敵戦車2両、突撃砲2両を撃破するという大戦果を挙げたらしい。しかもこちらの車種は新型の76mm砲装備ではなく、旧式の75mm砲搭載車だということだから恐れ入る。結局、私が負傷療養している1週間の間に、私のチームは戦車1両を失いながらも、敵戦車3両、突撃砲/駆逐戦車4両を撃破するという戦果を挙げた。撃破した敵戦車の中には、強力な5号戦車「パンター」1両も含まれている。

10月7日

1週間の休暇療養を経て私が戦場に復帰したのは、10月3日のことであった。私が指揮することになる戦車はM4A3(75)W。75mm砲搭載タイプのシャーマンである。愛称は「ジュピター」。前戦車長が付けた名前らしいが、私の趣味ではない。負傷前に乗っていた76mm砲タイプに比べて主砲の砲弾搭載数では勝るが、砲の貫通力では劣っている。さてさてどうしたものか。

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我々が敵と交戦したのは10月7日のことであった。敵の反撃を迎え撃った我々は進撃してくる敵機械化歩兵部隊を迎え撃つ。「ジュピター」の戦果は歩兵1部隊のみ。また敵の準備砲撃によって我が軍の随伴歩兵が多大な損害を被ってしまう。
そして我々は休暇に入った。今度は約1ヶ月に渡る長い休暇である。

11月9日

休暇を終えて我々が戦場に戻ってきたのは11月9日のことであった。既に西ヨーロッパの秋は深まり、雪がチラホラ舞っている。8月の戦いで負傷した装填手コバヤシも我々のチームに戻ってきた。
我々は新しい戦車を手に入れた。最新鋭の76mm砲搭載のシャーマン・ジャンボ。M4A3E2(76)Wだ。強力な76mm砲を搭載し、装甲厚もこれまでのシャーマン戦車を遥かに凌駕した重戦車である。これならドイツのパンターやティーガーとも互角に戦うことが可能だ。私はこの大型戦車に「オハイオ」という名前をつけた。この「オハイオ」と共に激戦として後世に伝えられるメス攻防戦に我々は参加することになる。

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戦場復帰初日から我々は激戦に身を投じることとなった。進撃を続けていた我々はその日2度に渡って敵と交戦する。我々の「オハイオ」は敵のパンター戦車1両を撃破。他の友軍戦車が突撃砲/駆逐戦車を2両撃破したが、友軍も戦車1両を失った。

11月10日

この日も交戦があった。ちなみに11月に入ると日照時間が短くなり、8月は約13時間の日照時間が11月には約9時間まで減少する。そのため1日の交戦機会も少なくなり、この日も敵歩兵や対戦車砲と2度の交戦があっただけであった。「オハイオ」は戦果なしである。

11月12日


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2日後、我々は敵の大規模な反撃に遭遇した。午前11時過ぎには戦車3両を含むドイツ軍の攻撃を受けた。「オハイオ」はまず距離760ヤードの位置にいたパンター戦車の側面を射撃。1発のAP弾と1発のHVAP弾を命中させてこれを撃破した。

「まだだ、次が来るぞ」

「敵戦車、右後方420ヤード」

4号戦車がこちらに砲塔を向けてきた。危ない。こちらが先に発砲。しかし外れ。敵発砲。

「来るぞ」

次の瞬間、強い衝撃が襲った。敵命中。車体が揺さぶられる。しかしそれ以上は何も起こらない。シャーマンジャンボの分厚い装甲が4号戦車の放った75mm徹甲弾に辛うじて耐えたのだ。

「次弾装填急げ」

こちらから立て続けに2発の徹甲弾を放った。いずれも命中。したかと思ったが、76mm徹甲弾はハルダウンしている敵戦車の車体付近に着弾。土煙を上げただけだった。

「畜生」

「まだ敵がこちらを狙っています」

次の瞬間、またもや強い衝撃が走った。しかし今度は先ほどとは違う。車内に爆発音が上がった。敵の徹甲弾が砲塔正面装甲を貫いて車内に飛び込んだのだ。幸い恐れていた車体爆発は起こらなかった。しかしいつ車体が火を噴くかわからない。私は命令を下した。

「全員脱出」

私はハッチから飛び出した。地面に飛び降りた瞬間、着地の仕方が悪かったのか、足首に激痛が走った。骨折?。いや、幸い骨折ではなかった。が、捻挫である。それでも足を引きずりながら戦車から離れた。部下が駆け寄って私に手をかけてくれた。私の負傷は全治1週間と診断された。こうして私は、今度の戦争で2度目の負傷退場となった。それにしても期待新鋭重戦車が僅か3日間の戦闘で撃破されてしまうとは・・・。

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11月13日~18日

私が負傷療養している間、私のチームは新たな戦車を手に入れた。M4A3E8(76)W。イージーエイトと呼ばれる新型である。前回のジャンボに比べて車体装甲では劣るが、速度性能では優れていた。チーム内の愛称は「ファルコン」である。
11月15日には激しい激戦に巻き込まれ、我々の部隊は敵戦車/自走砲6両、対戦車砲2門等を撃破する戦果を挙げた。「ファルコン」もパンター戦車と3号突撃砲各1両を撃破している。

11月24日

私がチームに復帰したのは11月19日であった。その後数日間は敵との遭遇はなく順調な前進が続いていた。
復帰後初の交戦は、24日のザール川渡河作戦であった。しかしその日の戦いでは、殆どの場合、敵と交戦する前の準備砲撃によって敵部隊は既に退散又は撃破されており、直接戦闘の機会は少なかった。

11月25日

ドイツ軍の反撃に遭遇した。戦車2両を中核とするドイツ軍部隊である。側面を晒した4号戦車に対して76mm徹甲弾を発射した。外れ。直ちに次弾装填。発射。命中。効果を確かめる間もなく2発目を発射。これもまた命中した。2発の徹甲弾を受けた4号戦車はその場に停止した。目標撃破。
次は強敵パンターである。初弾外れ。次。敵は背面を見せて逃げ始めた。これはチャンス。じっくり狙え。とその時、パンターが爆発した。友軍戦車がこれに命中弾を与えて撃破したのである。ちぇ。獲物が横取りされた。

12月1日

それから約1週間後。季節は真冬の12月に入っていた。ザールへの攻撃に参加した我々は、冬の晴天下、久しぶりに快進撃を行った。タスクフォース全体では戦車3両(うち2両はパンターとティーガー)、自走砲/駆逐戦車2両、装甲車2両等を撃破。私自身もマーダー2駆逐戦車1両を撃破した。しかし味方の損害も大きく、シャーマン戦車1両と歩兵3個分隊が失われていた。

12月5日

4日後、我々は大規模な作戦に参加した。ビニングの戦いである。この日、私の戦車はマーダー3駆逐戦車1両を撃破。タスクフォース全体では自走砲/駆逐戦車3両と対戦車砲2門を撃破し、損失はシャーマン戦車2両であった。

写真30_Marder2


12月6日

ビニングの戦い2日目である。この日が終われば、我々は休暇に入る予定だ。そんな日に限って朝から激戦に巻き込まれる。
午前11時、正面至近距離にドイツのパンター戦車が側面を見せつつ出現した。チャンス。すかさず高速徹甲弾を放った。命中。パンター撃破。久しぶりの金星だ。
しかし喜んでいるのもつかの間、いきなり左側面に衝撃が走る。命中。隠れていた88mm対戦車砲が「ファルコン」に命中弾を浴びせてきたのだ。車内で小さな爆発音が上がった。ヤバイ。脱出だ。

「全員脱出、急げ」

クルーが次々と脱出する。砲手のトーゴ―が負傷していたが、他のクルーは皆無事だ。操縦手のセイラは着弾のショックで少し青ざめていたが・・・。
こうして私の愛車「ファルコン」は対戦車砲の直撃によって撃破された。実働期間は1ヶ月弱。戦果は戦車2両撃破、駆逐戦車2両撃破、装甲車1両撃破、歩兵3部隊撃破である。

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つづく

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Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

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9月19日

この日、私は軍曹に昇進した。そして撃破された戦車に代わる新しい戦車を手に入れた。タイプは前車と同じくM4A3(76)である。また前回重傷を負った装填手に代わる補充要員が到着した。
この日は後に「アランコートの戦い」と呼ばれる激戦の幕開けである。私は新たな戦車に新たな愛称をつけた。「デイトン」。私の故郷である。

今日の天気は霧である。視界が効かず接近戦になる。午前中は敵との交戦もなく、平和な進軍であった。しかし午後に市街地を進撃中にドイツ軍の抵抗線に接触した。戦車2両、機関銃チーム1からなるドイツ軍部隊である。

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まず側面に接近してきた4号戦車に対して「デイトン」は76mm主砲で射撃。徹甲弾が目標に命中して、この4号戦車を撃破した。もう1両は強敵パンター。至近距離から虎の子HVAP弾を発射したが、これは外れ。その間、友軍戦車1両がパンターの射撃を受けて撃破される。友軍のシャーマンはパンターを包囲し、四方八方から射弾を浴びせてこれを撃破した。

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結局、この日の交戦はこれだけで、やがて日没が訪れた。
・今日の決算
消費した砲弾:HE=35、AP=2、HVAP=1
友軍の戦果:歩兵1、4号戦車1両、5号戦車1両、占領7ヶ所、合計51VP(自車の戦果は4号戦車1両)
友軍の損害:戦車1(-5VP)

9月20日

翌日もまた戦闘である。これで6日間連続だ。いい加減、休みをくれ。幸い天候は晴天。
午前8時過ぎ。ドイツ軍の装甲部隊と遭遇する。友軍が煙幕を展開して視界が遮られる中、至近距離に現れたのはドイツ軍の「軍馬」4号戦車だ。幸い脆弱な横っ腹を晒している。チェンス。

「徹甲弾。目標前方400ヤード。ファイア」

初弾から目標を捉えた。76mm徹甲弾は砲塔基部を貫いて車体内部で爆発。砲塔を吹き飛ばされた4号戦車はその場で停止した。

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午後に再び有力なドイツ軍と遭遇した。対戦車砲を含む戦車部隊である。対戦車砲は友軍砲兵部隊による間接射撃で撃破。戦車1両(4号戦車)は、我が「デイトン」が撃破した。もう1両の敵戦車(4号戦車)は煙幕の陰に隠れて姿を晦ませたが、後方から現れた友軍戦車が主砲射撃でこれを撃破した。

・今日の決算
消費した砲弾:HE=28、AP=6、HVAP=0
友軍の戦果:トラック2、装甲車1、対戦車砲1門、4号戦車3両、突撃砲/駆逐戦車1両、占領8ヶ所、合計91VP(自車の戦果は4号戦車2両)
友軍の損害:なし

9月21日

翌日もまた戦闘である。今やアランコートの戦いは最高潮を迎えている。しかしこの日は3度の交戦があったもの、いずれも友軍部隊がこれを撃破又は撃退し、私自身の戦果はなかった。

9月22日

翌日もまた戦闘である。これで8日連続だ。しかも天候は雨模様。最悪の1日にならなければ良いが・・・。
結果から言えば、この日は散々な1日だった。ドイツ人が言う所の「パックフロント」、つまり対戦車陣地帯に入りこんでしまったのである。敵対戦車砲との交戦で友軍は戦車3両を失った。戦果は対戦車砲6門その他だから決して小さくはなかったが、私自身の戦果は歩兵1部隊のみ。そして戦闘の終盤には主砲照準器に砲弾の破片を食らって主砲が使えなくなってしまったのだ。

そしてこの日を最後に我々は2日間の短い休暇を得たのである。

9月25日

本当に2日しか休みがなかった。ドイツ軍が強力な反撃を仕掛けてきたのである。ただ有難い事に「デイトン」が苦手としている対戦車砲の相手をする必要がない。アンブッシュは「デイトン」の得意とする所だ。天候は曇りである。
ところが・・・、早朝早くも敵戦車が前方に現れた。それは・・・、何と強敵ティーガー重戦車である。敵はまだこちらに気づいていない。初弾発射。通常の徹甲弾である。シャーマンの76mm砲ではティーガー正面装甲を貫けない。しかしその射撃は次の射撃の修正情報になる。初弾命中。予想通り徹甲弾はティーガーの正面装甲に弾き飛ばされたが、照準は正確だ。よし、切り札を出そう。

「次弾装填。弾種はHVAP。急げ」

HVAP、つまり高速徹甲弾だ。これならティーガーの正面装甲でも貫通できる可能性がある。

「ファイア!」

期待の一撃。しかし射弾は大きく目標を逸れた。なぜ?。照準は正確な筈なのに・・・。

「主砲が故障しました」

砲手の悲痛な叫びが響く。修理急げ、それを叫ぶ前に操縦手が叫んだ。

「敵はこちらを狙っています」

次の瞬間、衝撃が「デイトン」の車体を揺るがす。車内に悲鳴が上がった。操縦手がやられた。徹甲弾が砲塔を貫き、飛び散った破片が操縦手を傷つけたらしい。

「全員脱出だ」

急いで車外に出る。敵の跳弾によって私は軽傷を負った。続いて3人が次々と脱出する。しかし重傷を負った操縦手が出てこない。動けないようだ。

「俺が助けに行く」

炎上しそうな戦車に駆け寄り、中からうめき声を上げている操縦手を救い出す。戦車から離れようとした時、機銃弾が私の肩を貫いた。うっ。思わずうめき声を上げてしまう。
安全な距離まで離れた所で点呼を取る。全員無事だ。しかし重傷を負った操縦手はしばらく復帰できそうにない。その他、私自身と装填手が軽傷を負っている。振り返ると「デイトン」が激しく炎上している。危ない所だった。

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つづく

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Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

前号までは --> こちら

9月13日

翌日も敵の反撃に遭遇した。朝から交戦が始まり、まずはアンブッシュで4号戦車1両を撃破した。さらに目標を変更して3号突撃砲を狙い撃ち。これも撃破する。この間僅かに2分。消費した76mm徹甲弾は僅か4発に過ぎなかった。全弾が目標に命中している。
さらに正面1500ヤードに横っ腹を見せた4号戦車を発見。これに徹甲弾2発を発射。いずれも命中。撃破。我々はたった3分で3両の敵戦車を撃破した。

「ば、化け物か・・・」

午後にはさらに4号戦車1両を撃破した。これでこの日の撃破数は4両。あと1両撃破すれば「ワンデイズエース」になるのだが・・・。
結局この日はそのまま日没を迎えた。

・今日の決算
消費した砲弾:HE弾20、AP弾9
友軍の戦果:歩兵6、3号突撃砲1両、4号戦車3両、合計66VP(そのうち自車の戦果は左記のうち歩兵4を除く全て)
友軍の損害:歩兵2(-6VP)

9月15日

この日はクレヴィックでドイツ軍と激しい戦いとなった。午前11時頃にドイツ軍の先鋒部隊と接触したが、友軍の砲爆撃によってこれを撃退する。
正午過ぎに新たな敵と遭遇した。マルダー3対戦車自走砲を含む敵部隊である。マルダーの75mm徹甲弾が私の戦車に命中した。距離が遠かったことが幸いし、砲弾は砲塔前面装甲で弾き飛ばした。危ない危ない。

「あのマルダーをやれ、ファイア」

76mm長砲身から熱い徹甲弾が発射された。しかし弾は無情にも外れ。ヤバイ。敵発砲。こちらを狙ってやがる・・・。

ガーン。車体に衝撃が走る。75mm徹甲弾が薄い車体側面に命中したのだ。やられたのか・・・。
しかし幸いにして徹甲弾は車体装甲を斜めにかすめて飛び去った。まさに危機一髪の瞬間である。
次の瞬間、我々を狙っていたマルダーが突然爆発した。友軍のシャーマンが撃ったのである。危機一髪と言いたいところだが・・・。
「この野郎、俺の獲物を横取りしやがって・・・」

午後に入ってもドイツ軍の抵抗は続き、午後4時過ぎにも大規模なドイツ軍の反撃と遭遇したが、ドイツ軍が歩兵中心の部隊であったために比較的容易に撃退できた。しかし私自身の戦果はゼロ。待ち伏せと進攻戦の違いを痛感させられた1日であった。(攻撃の出目も悪かったけど・・・)

・今日の決算
消費した砲弾:HE弾25、AP弾2
友軍の戦果:歩兵4、突撃砲/駆逐戦車2両、対戦車砲1門、占領7ヶ所、合計54VP(自車の戦果はなし)
友軍の損害:なし

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9月16日

翌日も激しい戦いとなった。ルヌヴィル付近での戦いである。天候は快晴。今日もルーズベルト日和である。午後に入って突如敵の激しい砲撃を受け、歩兵部隊が3部隊を失う。さらに対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けて友軍戦車1両、さらに1両が炎上する。その間、私の戦車は成す術なし。
結局この日も私は全く戦果を挙げることはなく、また私自身の戦車は無傷であった。友軍は大損害を受けていたとしても・・・。

・今日の決算
消費した砲弾:HE弾32
友軍の戦果:歩兵6、対戦車砲3門、占領6ヶ所、合計50VP(自車の戦果はなし)
友軍の損害:歩兵3、戦車2(-19VP)

9月17日

その翌日も戦いである。天候は晴。今日もルーズベルト日和である。正午過ぎにドイツ軍と遭遇。4号戦車である。これは好物。距離1400ヤードから徹甲弾を放ったが、外れ。次弾装填。その刹那、4号戦車が爆発した。畜生。またもや獲物を横取りされた・・・。
午後になると新たなドイツ軍と接触。5号戦車パンターを距離1300ヤードで捕捉した。側面を見せたパンターに対して徹甲弾を発射。続いて虎の子のHVAP(高速徹甲弾)を発射したが、両方とも外れ。逆にパンターがこちらに砲を向けて撃ってきたので、あわやという場面もあった。最終的にはパンターが後退したため、友軍戦車1両が撃破されただけに終わった。

日没直前に我々はドイツ軍の抵抗線と接触した。対戦車砲と駆逐戦車、そして歩兵からなる部隊である。対戦車砲や歩兵は友軍の砲撃や他の戦車が撃破したが、厄介なのは4号駆逐戦車だ。75mm砲を装備したこの駆逐戦車は、分厚い前面装甲と強力な火砲を持つうえ、車体が極めて小さいために命中させるのが困難であった。この駆逐戦車が正面から突っ込んでくる。

「砲塔を敵に向けろ」
「徹甲弾、撃て」

しかし76mm徹甲弾は空しく目標の手前で着弾する。

「次弾、高速徹甲(HVAP)弾装填、急げ」
「操縦手、全速前進、敵の側面に回り込め」

敵駆逐戦車はこちらの接近を見て後退する。が、その一瞬で隙を見せた。最も脆弱な車体後面をこちらに晒したのだ。

「いまだ、高速徹甲弾、撃て」
命中。次弾装填。
「撃て」
またもや命中。2発の徹甲弾が目標車体後部に吸い込まれた。重装甲を誇る4号駆逐戦車も弱点を狙われたらひとたまりもない。爆発炎上する。

写真19


・今日の決算
消費した砲弾:HE=36、A P=5、HVAP=2
友軍の戦果:歩兵1、装甲車2、対戦車砲2門、4号戦車1両、突撃砲/駆逐戦車3両、占領7ヶ所、合計72VP(自車の戦果は4号駆逐戦車1両、装甲車1両)
友軍の損害:戦車2(-10VP)

9月18日

その翌日も戦いである。これで4日連続の戦いとなる。天候は悪天候。空は黒い雲が垂れ込めていて、いつ雨が降ってもおかしくない天気である。この天気では航空支援は期待できない。
早朝から雨が降ったり止んだりで、路面もぬかるんでしまった。雨の中前進していたら、我々は突然敵の待ち伏せ攻撃を受けた。1両の友軍戦車が敵対戦車砲の射撃を受けて爆発炎上する。
直ちに反撃。我に後ろを見せた敵戦車はドイツの誇る重戦車ティーガーである。距離800ヤード。先手必勝。砲塔を回して敵を狙う。発射。命中。続けて射撃。またもや命中。徹甲弾1発、高速徹甲弾1発がハルダウンしたティーガーの砲塔に命中した。砲弾はいずれも装甲を貫通した。ティーガー撃破。

写真20

写真21


しかし、その2時間後、不幸が我々を襲った。またもや88mm対戦車砲の待ち伏せを受けた我々は、あろうことか私自身の戦車を狙ってきたのである。1発の88mm高速徹甲弾が我が戦車の砲塔側面に命中した。徹甲弾はシャーマンの砲塔装甲を難なく貫通。私は次に来るものを予想して身を固くした・・・・が、幸いに車体爆発は起こらなかった。副操縦士が軽傷を負ったものの、他の乗員は無事である。

「全員脱出、急げ」

私はハッチから身を乗り出して外に出る。敵に撃たれないように身をかがめる。他の乗員もハッチからそれぞれ身を乗り出す。脱出の際に敵に撃たれた装填手が全治2ヶ月の重傷を負った。他に2名が軽傷を負ったが、戦闘には支障がない。乗員全員が脱出した直後に我々の戦車が激しく燃え上がった。危ない所であったが、今回も全員生還できたのは幸いであった。

つづく

写真00


Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

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8月29日

翌日も晴天であった。我々はまたもや敵の抵抗線にぶつかってしまう。最初に遭遇したのは50mm対戦車砲。サイズが小さい対戦車砲は実に厄介である。75mm榴弾5発を撃ち込んで漸くこれを仕留めた。
一息つく間もなく新たな敵と遭遇。ドイツの誇る5号戦車「パンター」である。パンターの初弾が自車の真上をかすめた。アブねぇ・・・。

「全速後退、急げ」

重装甲を誇るパンターとまともに撃ち合えば勝ち目はない。煙幕を巻きながら後退する。距離を取りつつ敵車の側面に回り込む。重装甲を誇るパンターと言えども、側面装甲なら撃破可能だ。

「敵の側面に回り込め」

前進。敵戦車の側面に回り込んだ。よし、いまだ。距離約400ヤード。

「徹甲弾、装填。ファイア」

命中。続けて撃て。またもや命中。2発の75mm徹甲弾がパンター戦車の側面装甲に吸い込まれた。爆発。1発目はパンターの装甲板に弾き飛ばされたが、2発目はパンターの砲塔基部に命中。砲塔が誘爆したパンターは2つに裂けてその場に停止した。パンター撃破。大殊勲である。

写真12
写真13

午後に我々はドイツ軍の待ち伏せに遭遇。前方に突撃砲が出現した。距離1400ヤード。まだ遠い。

「前進。敵の側面へ回り込め」

全速で前進して敵突撃砲の側面に回り込んだ。距離900ヤードまで近づく。敵の姿がはっきり見えてきた。4号駆逐戦車。75mm砲を搭載した対戦車戦闘車両だ。強敵である。

「徹甲弾、装填。ファイア」

しかし徹甲弾は目標をそれた。

「次弾装填、急げ」

「こっちを狙っているぞ・・・」

誰かが叫んだ。敵自走砲は車体を旋回させてこちらを狙っている。やばい。こちらの2発目も外れた。ここまでか・・・。

その時友軍戦車が前進してきて敵駆逐戦車を射撃する。その射弾は外れたが、敵はその味方戦車に車体を向けた。チャンスだ。

「今度こそ当てろよ。ファイア」

しかし無情にも3発目も目標を逸れた。

「何やってんだ砲手!!」
「煙幕が邪魔で敵を上手く狙えません」

何を言い訳してやがる。煙幕なしならこっちがお陀仏だろうが・・・。

5発目、今度こそ当てろよ。心の中で念じる。

命中。さらに引き続いて2発の徹甲弾が目標側面に命中した。1発はハルダウンしている車体前面の土を跳ね上げて、もう1発は砲塔側面に命中したものの装甲板に弾かれた。しかし最後の1発が目標を貫通。漸くこれを撃破した。4号駆逐戦車撃破。

写真14


しかし周囲にはドイツ軍の戦車や対戦車砲などが次々と現れて友軍部隊と交戦している。1両のドイツ軍戦車が爆発。シャーマン戦車の射撃を受けたようだ。
突然機銃弾が私の戦車に浴びせかけられる。体を出して外部を観測していた装填手に機銃弾が命中。肩を射抜かれて悲鳴を上げた。重傷である。砲弾の再装填ができなくなった。やばい。使えるのは今主砲に装填している徹甲弾1発のみ。あとは友軍に期待するしかない。

「後退。ハルダウン姿勢を取れ」
「敵が後に回りました」

やばい。このままではやられる。と思った瞬間。敵の4号駆逐戦車が爆発した。側面に回り込んだ友軍戦車がようやくこれを撃破したのだ。ふーっと一息をつく。にしても装填手を失うと全く何もできなくなるとは・・・。装填手(名前はコバヤシだったかな?)は全治2ヶ月の重傷。直ちに補充兵を受け取る。

日没前に我々はドイツ軍の戦車2両と遭遇した。1両は間接射撃で撃破。もう1両はこちらが後退することで難を逃れた。
さらにその1時間後に戦車2両を含むドイツ軍の抵抗線にぶつかったが、砲撃と友軍戦車の活躍で敵を撃退することができた。

・今日の決算
消費した砲弾:HE弾25、AP弾11
友軍の戦果:歩兵3、対戦車砲2門、突撃砲/駆逐戦車3両、戦車4両、装甲車1両、占領7ヶ所、合計100VP(そのうち自車の戦果はパンター戦車1両、駆逐戦車1両、50mm対戦車砲1門)
友軍の損害:戦車1、歩兵2(-11VP)

写真15



9月12日

1週間の休養期間を経て我々は戦場に戻ってきた。その間、我々は新しい戦車を受け取った。M4A3(76)。後に「イージーエイト」と呼ばれるタイプの原型となった戦車である。主砲は高初速の76mm砲。これまでの75mm砲に比べると砲身が長くなり、貫通力が増した。これまで難敵であったパンターやティーガーといったドイツ軍重戦車に対しても、側面からの射撃であればかなりの確率で貫通が可能となった。さらに新型の高速徹甲弾を用いれば、これら重戦車の正面装甲をも貫通が可能となったのである。

写真16


この日我々はモーゼル川でドイツ軍の反撃を迎え撃った。午前7時前。敵の小部隊が前進してきた。不用意に側面を晒した敵突撃砲に対して必殺の76mm砲が火を噴く。2発の徹甲弾が目標に命中。目標は一撃で沈黙した。しかし敵歩兵の反撃でまたもや装填手が負傷してしまう。負傷者を後送し、直ちに補充兵を受け取る。

午後と夕方にそれぞれ敵の攻撃を受けたが、その時は他の友軍部隊の活躍によって敵を撃退した。結局この日は3度の交戦で以下のような結果となった。

・今日の決算
消費した砲弾:HE弾20、AP弾4
友軍の戦果:歩兵3、突撃砲/駆逐戦車3両、戦車1両、合計42VP(そのうち自車の戦果は突撃砲1両、歩兵2)
友軍の損害:歩兵2(-6VP)

ちなみにこの日の戦果で私が撃破した戦車及び自走砲は計5両となり、タンクキラーエースとなった。

写真17



つづく

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