ウォーゲームの元が図上演習と呼ばれる軍隊の演習であったことはウォーゲーマーの多くがご存じであろう。というよりも、図上演習=ウォーゲーム(の一形式)というのが本来の姿だ。例えば 米海軍大学校のHPには、 Wargamingというセクションがあり、そこには体育館のような場所を使ってユトランド海戦に興じる(??)人々の姿が描かれている。

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(Photo by, https://usnwc.edu/Research-and-Wargaming/Wargaming)

今から10年ほど前に放映されたNHKのドラマ「坂の上の雲」では主人公が海軍大学校で図上演習を指導する場面が描かれているが、そのようなことを持ち出すまでもなく日本陸海軍で各種のウォーゲームが実際に用いられていたことは今更言うまでもないだろう。

旧海軍が行ったウォーゲームで有名なのが、日米開戦前に聯合艦隊が行った一般図上演習とハワイ作戦図上演習、あるいはミッドウェー作戦前にやはり聯合艦隊が実施した第二段階作戦図上演習等がある。特に第二段階図上演習では、ミッドウェー作戦に対して不安を感じさせる場面が出たにもかかわらず演習結果を無理矢理裁定して「バラ色の未来」を演出したとして批判されることが多い。しかし実際の結果は周知の通りで、図らずもウォーゲームの再現性の高さが皮肉な形で証明されたことになる。
再現性といえば、先に挙げた「ハワイ作戦図上演習」は、現時点で見ても驚くほど正確に実際の真珠湾攻撃の結果を予測している。実松譲著「海軍大学教育」(光人社NF文庫)によれば、同演習で日本機動部隊は合計360機を真珠湾攻撃に放ち、戦艦4隻撃沈1隻大破、空母2隻撃沈1隻大破等の戦果を挙げたとされている(在ハワイの基地機による反撃によって空母2隻沈没等の被害を被ったが・・・)。
史実では真珠湾に米空母が不在であったために空母に対する戦果は皆無であったが、戦艦の撃沈・大破数については、事前の図上演習と史実との結果が完全に一致しており、巡洋艦やその他に対する戦果も史実から大きく乖離していない。つまり真珠湾攻撃の戦果は、事前のウォーゲームが予測した結果とかなり近い精度で一致している。
一般に真珠湾攻撃での戦果が予想以上に大きかったこと(及びマレー沖で英戦艦2隻が航空攻撃によって撃沈されたこと)を以て戦艦主兵から航空主兵へ切り替わったとされているが、ウォーゲームというツール上では、戦争開始前から既に航空機の有効性は半ば以上証明されていたともいえるのである。

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photo by Wikipedia

ところで日本海軍以上に「ウォーゲーム大好き」なのが米海軍である。小説「坂の上の雲」でも示されている通り、そもそも図上演習(兵棋演習)を熱心に取り入れていたのは米海軍である。太平洋艦隊を率いて日本海軍と戦ったニミッツ提督はいみじくも以下のような言葉を残している。

「日本との戦争は、かつて海軍大学のウォーゲーム講堂において、多くの学生によって実施されてきたウォーゲームの再演であった。戦争を通じて、我々の予期しなかった事象が生起したことは、戦争末期における神風攻撃を除き、皆無であった。」 

当時のニミッツ提督が海軍大学においてどのようなウォーゲームを実施してきたかについて今では知る由もない。しかし図上ではなく実動演習の記録ならば残っている。Fleet Problemと呼ばれるもので、Wikipediaによれば、1923年に実施したFleet Problem Iから、1940年のFleet Problem XXIまで、計21回の実動演習が行われたとされている。それらの実動演習で主役を演じたのは空母であり、演習の内容もパナマ運河防衛やハワイ防衛、さらには太平洋方面への進攻作戦等であった。空母同士の対抗演習では後の空母決戦に似たような場面が演習によって実施されており、空母の有効性と脆弱性とが確かめられていたのである。
これらの実動演習や図上演習(ウォーゲーム)を通じて米海軍は空母の有効性を確認し、未来の戦争における空母の役割について予見していたのである。と同時にこれらの演習を通じて航空攻撃に対する水上艦艇の脆弱性に気づき、戦闘機や対空火器を用いた艦隊防空を急いで発展させていくことになる。そしてそのことはやがて実戦において実を結ぶことになる。
戦間期における米海軍の空母運用や艦隊対空防御についての急速な発展を見た時、「航空主兵か戦艦主兵か」といった議論が実に些細なことに思われてくる。彼ら(米海軍)の考え方はもっと実戦的で、「戦艦でも空母でも使える物は使う」という考え方だ。真珠湾攻撃で戦艦が潰されたから空母を主体としたタスクフォースで戦い、戦艦が復活してきたら対地支援や水上打撃戦、対空防御に戦艦を有効活用する。日本海軍における「航空機か戦艦か」といった議論が「どちらが王様か」といった些か子供じみた印象を持ってしまうのに対し、米海軍はもっと実戦的かつドライに考えているという印象を受ける。

太平洋戦争時、米海軍にはパイロット資格を持つ高級将校が多くいて、彼らの活躍が戦史に際立っている。アーネスト・キング、ウィリアム・ハルゼー、マーク・ミッチャーなどがその代表例だ。しかしその一方でパイロット資格を持たず、航空端出身ではない高級士官達であっても、巧みに空母や航空部隊を運用し、勝利に貢献している例が多いことにも気づく。先に挙げたニミッツ提督はもちろん、珊瑚海や第2次ソロモン海戦で日本機動部隊と互角の戦いを演じたフランク・フレッチャー、ミッドウェーで「奇跡の勝利」を演出したレイモンド・スプルーアンス、マーク・ミッチャーの参謀長としてマリアナ、レイテの二大海戦を戦い、日本軍の囮作戦を見抜いたアーレイ・バーク等。彼らは航空機の専門家ではなかったが、戦前の演習(ウォーゲーム)を通じて航空機や空母の有効性を知っていたので、それらを巧みに操ることができたのである。

太平洋戦争における米海軍の勝利。それはウォーゲームが大きな役割を果たしていたと考えて間違いないだろう。

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1930年、Fleet Problem Xの一場面
photo by https://navy-matters.blogspot.com/2020/06/fleet-problems-then-and-now.html