Russian Front(以下、本作)は1985年に米国The Avalon Hill Game社(TAHGC)から発表されたシミュレーションゲームである。テーマは独ソ戦。1941年6月から始まる独ソ戦を、1Turn=1ヶ月、1Hex=25マイル(40km)、1ユニット=軍団(枢軸)~軍(ソ連)の規模で再現する。日本でもHobby Japan社からライセンス発売された。
なお、陸上ユニットの後退ルールについて、日本語訳による解釈から一部混乱を招いているようである。基本的には「常識的な」判断が正しいのだが、日本語訳での「補給源に近づく」という一言が混乱のもとになっている。要するに「真っすぐ行った先に補給源ヘクスが存在する方向へ後退しなさい」という意味(敵の方向へ後退してはいけない)なのだが、日本語ルールを素直に読むと誤った解釈になる可能性がある。対人戦の際には、事前に調整しておくべきだろう(相手が頑固なら、英文ルール(ネットで入手可能)を用意しておくことをお奨めする)。
今回、本作をVASSLでソロプレイしてみた。シナリオは1941年6月から始まる標準シナリオで、ルールは選択ルールを含めて全て採用した。
ここまでの展開は --> こちら
41年12月
本格的なロシアの冬がやってきた。全ての地域で天候が雪になる。このような天候ではドイツ軍の攻勢は難しく、僅かにドニエプロペトロフスクの奪回を試みたが、失敗に終わった。ソ連側は例によって兵力に物を言わせた攻勢で、レニングラード正面でのドイツ軍部隊は1ユニットを失って後退。南方では、ソ連軍がハリコフの両翼を突破してハリコフを包囲する態勢に入る。
42年1月
新たな年を迎えたが、相変わらずロシア平原には雪が降り続いている。ソ連軍は全戦線で反撃を実施。モスクワ正面ではスモレンスク、ブリヤンスクに攻撃を実施し、ブリヤンスクを奪回した。南方ではハリコフを包囲し、その付近でドイツ軍の装甲軍団1個を撃破した。
42年2月
戦場はなおも雪が降り続いている。ドイツ軍は損害を被った歩兵部隊を回復させるのが精一杯だ。このままでは兵力に勝るソ連軍の攻撃によって壊滅的な打撃を受けてしまう。勿体ないが、包囲されつつあるハリコフを放棄し、前線を大きく後退させることにした。とはいえ、前線で敵と交錯している部隊を後退させるのは容易ではない。敵中に孤立している部隊等は、反応移動によって敵の接敵を許してしまうからだ。一部の部隊を見捨てて後退するか、それとも可能な限り多くの部隊を後退させるのか。難しい決断に迫られる。まず北方。バルト海沿岸のナルヴァは死守の構え。正面のソ連軍部隊が比較的弱体(4-3-6)であることを見越してだ。しかしノブゴルド前面には強力なショックアーミー(6-5-4)が迫っているので、ノブゴルドを放棄して敵との距離を取る。
中央では、スモレンスクは空軍基地があるので死守の構えだ。この方面で重要なのは、ヴィルナからドヴィンスク、ヴィテブスクを経てスモレンスクに至る鉄道線だ。ドイツ軍の中央軍集団の全てを支える重要な補給ルートである。このラインを切られたら中央軍集団は壊滅を免れない。そこでドイツ軍の防衛ラインはこの鉄道線を守る形で敷かれる。そのため、南方軍集団との間隙はある程度空いてしまうことになるが、仕方がない。
南方軍集団は、やはり鉄道線が軸になるが、その鉄道線はキエフから二手に分かれており、北側のルートはキエフからほぼ真東に進んでクルスクに至る。南側のルートはキエフからドニエプル川沿いに南東へ進み、途中で二手に分かれてそれぞれドニエプロペトロフスクとハリコフに至る。いずれのルートにもソ連軍の脅威が迫っている。そこでドイツ軍は歩兵部隊は全面後退して鉄道線沿いに再展開する。そして後退を掩護するために装甲部隊による局部反撃を実施した。装甲部隊は攻撃後に再移動ができるので、前線から撤収することが可能なのだ。
ドイツ軍の後退作戦は概ね成功し、軽歩兵1個軍団(3-2-6)を失い、山岳兵(5-5-6)1個軍が退路を断たれて包囲されたにとどまった。
一方のソ連軍は例によって物量にモノを言わせた総花的攻撃を実施。ハリコフ、スモレンスク、ナルヴァを奪回し、ドイツ軍の歩兵1個軍団(4-3-6)を葬った。
42年3月
春になってもロシア平原は雪が降り続いている(天候ダイスがドイツ軍にとって最悪の"6"だった)。ドイツ軍はこのTurnなけなしの補充ポイントをはたいて航空部隊(4-3-6)を購入した。局地的に制空権を確保して戦闘を有利に進めようとする魂胆である。独軍は前Turnと同様前面後退する。ただし後退を援護するため装甲部隊で局地反撃を実施し、ソ連軍1個戦車軍を撃破した。ソ連軍は慎重に前進する。
ここでルールミス発覚。赤色以外の駒は再建不可能であることを忘れていた。おかげで盤上には赤色以外のユニットが多く残ることになる。しかし彼らが次のTurnに全て撤収することになる。
42年4月
春がやってきた。ロシアの大地は泥濘のため動きが取れなくなる。ドイツ軍は中央軍集団戦区のヴィテブスク正面で限定的な反撃を実施し、ソ連軍歩兵2個軍(5-4-4)に痛打を与えた。取り合えず成功である。
そしてソ連軍は再建不能部隊に指定されている歩兵と戦車が全部撤退する。先のルールミスによって本来は再建不能部隊を優先して復活させていた結果、このTurn実に23個ものソ連軍ユニットが去っていく。盤面が一気に寂しくなるソ連軍なのであった。兵力を大きく減じたソ連軍は、このTurnは攻撃を行わずに様子を見る。
42年5月
全戦線に渡って晴れ上がった。再びドイツ軍の季節がやってきたのである。ソ連軍はここで初めてパルチザンを使用し、ドイツ軍の鉄道線を妨害する。ドイツ軍の鉄道輸送力が2点減少する。ドイツ軍は装甲部隊を主体とする反撃を開始した。とはいえ、使用できる装甲部隊が前年の半数程度まで減少しているので、あくまでも限定的な反撃だ。
中央軍集団戦区では、スモレンスクに対する奪回作戦を開始。スモレンスクの両翼を突破して同市を半包囲したものの、スモレンスクそのものの奪取には失敗した。
南方軍集団戦区では、ドニエプロペトロフスクとハリコフに向けた攻勢を開始。装甲部隊が少ないので、航空兵力を主体とする火力戦で前進する。さらにクリミア半島入口でも攻勢を行ったが、ソ連軍守備隊の抵抗により突破に失敗した。
ソ連軍は南方戦線では後退させつつ、中央戦線ではスモレンスク付近で小規模反撃を実施した。航空戦力2個を投入した作戦であったが、ドイツ空軍の反撃を受けて航空部隊が壊滅した。反撃自体も失敗に終わる。
このTurnで再びVP判定が入る。ゲーム開始時に枢軸軍が支配しているのは計10点(ドイツ5、フィンランド1、ハンガリー1、ルーマニア3)。ソ連領内で枢軸軍の占領した大都市、要塞都市は、ブレスト、ルボフ、ヴィーンヌィツャ、キエフ、ゴメリ、オデッサ、ヴィルナ、ミンスク、ヴィテブスク、リガ、プスコフ、タリン、ハンゴの13ヶ所。さらに補充ポイントがミンスク、キエフで計2点、合計25点だ。勝利レベルはS2。現在はソ連軍の限定勝利である。
つづく
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