
前回のレポートでは、途中までプレイしてルールミスで終了、という形になった。そこで今回はソロプレイで最初からやり直してみた。ちなみにルールやシステムの概要については前回のレポートを参照されたい。
1Turn(1939年冬)

このTurn、イタリアが枢軸陣営に参加して参戦する。
2Turn(1940年夏)

ドイツ軍の装甲部隊が「電撃戦」でパリに侵攻する。空軍の支援もあってパリは陥落。フランスが連合軍陣営から脱落した。さらにドイツ軍がデンマーク、ノルウェーに侵攻する。デンマークが陥落した。
このTurn、ルーマニアが枢軸陣営に参加して参戦する。
3Turn(1940年冬)

ドイツ軍はバルカン半島に侵攻する。「電撃戦」でユーゴスラビアが陥落。さらにギリシアに侵攻するドイツ軍であったが、攻撃の出目が振るわずギリシアは持ちこたえた。
英軍は本土の守りを固める一方、エジプトに兵力を集中し、守りを固める。
このTurn、ノルウェーが陥落。ハンガリーが枢軸陣営に参加して参戦する。
4Turn(1941年夏)

ソ連が連合軍側に立って参戦する。ギリシアを制圧したドイツ軍はバルカン半島を北上。ルーマニアからウクライナに進入した。ソ連軍を撃破したドイツ軍はウクライナを制圧する。
北アフリカではエジプトを出撃した英軍がリビアに進入。イタリア軍を撃破してリビアを制圧した。さらに西へ進む英軍はチュニジアに進出する。ドイツ軍は装甲部隊や航空部隊をアルジェリアに派遣。アルジェリアからチュニジアに逆侵攻して英軍を撃退した。
ロシアの大平原から北アフリカの砂漠地帯へ。戦争は拡大していく。
5Turn(1941年冬)

ドイツ海軍が北大西洋で通商破壊戦を仕掛けた。しかし出目振るわず僅かに連合軍の手札1枚を減らしたのみ。その後の英海軍対潜部隊の反撃によってUボート部隊は一時的に壊滅状態に陥ってしまう。
ロシア戦線ではドイツ軍装甲部隊がレニングラードに侵攻した。しかし極寒のロシア平原、ロシア軍の待ち伏せ戦術等によって大損害を被ったドイツ軍によるレニングラード攻略は失敗に終わる。
6Turn(1942年夏)


遂に戦略カードで連合軍が優位に立った。そしてアメリカ合衆国が連合軍側に立って参戦する。米軍部隊が続々とヨーロッパ戦線に登場する。大西洋でのUボートと米英対潜部隊の激しい戦い。今回も連合軍側の勝利に終わる。
7Turn(1942年冬)

連合軍の長距離戦闘機が実用化され、航空機の攻撃半径が3エリアまで増えた。その結果、ドイツ西部ルール工業地帯が英本土を発進する米英航空部隊の爆撃圏内となった。パリ、ルール、ローマが戦略爆撃の目標となり、次々と撃破されていく。
米英軍はトーチ作戦を発動。西アフリカに上陸した。しかしチュニジアから反転してきたドイツSS装甲軍団が西アフリカ戦線に到着。その圧倒的破壊力によって米英軍を撃破した。
このTurn、ポルトガルが連合軍側に立って参戦する。
8Turn(1943年夏)

このTurnも戦略爆撃が実施されたが、パリが制圧されたのみでドイツ軍が失ったカードは1枚だけであった。東部戦線では赤軍がバルト三国で反攻に転じ、一時的にせよバルト三国を奪い返した。ドイツ軍の反応は素早く、精鋭SS装甲軍団をバルト三国に派遣し、赤軍部隊を撃破してバルト三国を取り返した。
しかし東部戦線でドイツ軍が苦戦している頃、北アフリカでは米英軍による反撃が再度実施された。航空兵力を主力としてチュニジアに侵攻する米英地上部隊。海からは米英の艦隊が西地中海に進入し、ヴィシーフランス海軍を撃破していた。西地中海の制海権を失った枢軸軍は北アフリカ植民地への補給線を断たれる。孤立したアフリカ軍団はチュニジアで米英軍に惨敗。アルジェリアまで後退する。チュニジアは連合軍の支配するところとなった。

9Turn(1943年冬)

連合軍の戦略爆撃が猛威を振るった。パリ、ローマ、ベルリン、ワルシャワ、ルーマニアが爆撃の犠牲となる。ドイツ軍は一挙に5枚の戦略カードを失い、その行動能力が大幅に掣肘されてしまう。
ちなみにこの時の戦略爆撃はルール違反であった。そのことについては後に触れる。


ドイツ軍が十分に弱った所で米英の装甲部隊がパリへ進攻。英仏海峡を渡って北フランスに上陸してきた部隊もパリ攻撃に加わる。数倍の敵による攻撃を受けたSS装甲軍団はベルギー領内に向けて後退を始める。
(つづく)








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