衝撃の転倒
2022年1月9日(日)。僕は人生初の「骨折」を体験した。米子駅の跨線橋からホームに降りていく途中、階段の踊り場から足を踏み外し、ホーム上へ転落。その際に転倒したのだ。最初は、「まあ大したことないかな」とやや高をくくっていたが、右足の脛に激痛が走って起き上がれない。時間がたてば収まるだろうと思っていたが、いつまで経っても痛みは引く気配がない。ワラワラと人が集まってきて、そのうち駅員さんが「救急車を呼びましょうか?」と声をかけてくれたが、まだ旅行を継続できるつもりでいたので「大丈夫です」と固辞していた。
しかしやはり変なので、「すいません、救急車を呼んでください」と、泣きついた。その間、ホームに蹲っている僕の目の前を、次に乗る予定であった伯備線新見行き824M列車が無情にも発車していく。伯備線特有の黄色の国鉄型115系2両編成だ。我を忘れて階段を走らせるだけの魅力を持つこの列車。その魅力にハマったことが、今回の事件の遠因となってしまった。
救急隊員が来る迄20分ほど時間がかかったと思う。担架に乗せられて階段を上り下りし、駅の外に出て(青春18切符を持っていたのでノーチェックだった)、駅前に待機していた救急車に乗る。救急車に乗って走ること約15分。近くの病院らしき建物へ移動した。その途中、救急車の中で名前、年齢、住所等基本的なことを聞かれる。また救急隊員の人に「どれくらい治療にかかりますか?」と聞いてみたが、「人それぞれですけど、手術がなければ取り敢えず動けるようにはしてくれますよ」という返事。旅行継続は無理でも、連休明けまでには神奈川には戻れそうだという希望を持つ。
ちなみに担架も救急車も僕にとっては人生初体験であった。
まさかの長期入院
「右足の骨がバラバラです」衝撃的な一言を告げられたのは、CT検査が終わった後、後に主治医になる大林先生(仮名)からであった。岸田総理に似た風貌のダンディな先生である。膝の骨が複数個所で分断して切れているという。
私が搬送されたのは、米子医療センター。米子市東部、日野川沿いに立つ国立の医療設備だ。高層階からは伯耆大山や皆生温泉、さらには日本海が見える風光明媚な場所に位置している。
いきなりの衝撃的な一言でショックを隠せない私。連休明けまでに神奈川への帰宅は勿論、この冬の予定は全部キャンセルしなければならない。否、それよりもそもそも歩けるようになるのか?。山登りはどうなる?。いくつもの雑念が脳裏をかすめる。
「手術が必要ですか?」(我ながら愚問)?
「まあそうですね。だけど他に手術が立て込んでいてすぐには」
(大林先生の答えは相変わらずジム的だ)
「入院期間は?」
「まあ3ヶ月ぐらいですね」
3ヶ月ってなんだよ。こんな山陰の田舎(地元の人、ごめん)に3ヶ月も。第一、「3ヶ月」って最低なのか最大なのか平均なのか、どうなんだよ。
「歩けるようになりますか?」
「若干の障害は残るかもしれませんが、車椅子ということはないと思います」
取り敢えず一安心
「山登りはできるようになりますか?」
僕のこの質問を聞いてちょっと苦笑いした先生。
「山登りねぇ・・・、まあ高尾山ぐらいなら大丈夫かもね。僕、高尾山登ったことないけどね」
ここでギャグなんかいらねえんだよ、先生。おい、俺の登山人生大ピンチじゃねえか。
その後、新型コロナの検査があり、結果は当然ながら陰性。検査結果を待つ間、関係機関にスマホで連絡を取る。大阪に住んでいる家族には入院に必要な品物を送ってもらうよう手配した。
1500頃に病室へ移動。お金が勿体無いので大部屋を希望したが、病院スタッフとしては個室に入れたいらしい。他府県、しかもリスクの高い神奈川県民なのでコロナ感染を嫌がっていたようである。結局1日3,300円の比較的安価な個室に案内された。これなら保険の範囲内で賄えそう。
個室に移動した後も苦悶の時間は続く。右足を少しでも動かすと、まるで脳天を突き刺すような痛みに襲われる。痛みの持続時間はせいぜい2~3分ぐらいなのだが、その痛みに一度襲われると、まるでこの痛みが永遠に続くような錯覚に襲われる。
夕方になって大林先生(仮名)がやってきて右足首に金属の針を通した。局部麻酔を行いながらの処置だが、処置の際に右膝を動かす度に激痛に襲われる。この時の処置で右足に重さ5kgの錘がぶら下げられた。これは右足が自由に動かないように引っ張っておくためらしい(専門外なので間違っていたらゴメン)。右足に針金を通す、と、聞いただけでゾッとするが、この処置のおかげで右足が固定されたため、以後激痛に襲われることはなくなった。
この処置が終わった後に夕食が運ばれてきた。看護師の方から「食べられますか?」と心配そうに声を掛けられる。食欲なんてあるはずもないが、メニューがトンカツで結構美味しそうだったので、食べることにした。疲れていたので御飯が美味しかったのを覚えている。
その夜は「絶対に熟睡できねぇな」との予想に反し、意外と熟睡できた。途中で何度が目が覚めたような気がしたが、最終的には8時間以上の睡眠時間を確保できたように思う。
という訳で僕の入院&リハビリ生活が始まった訳だが、将来のことはとにかく、今回の骨折は僕にとっては貴重な教訓を得る場となった。そのいくつかを挙げる。
・山で足を骨折すると完全に動けなくなる危険がある。今回の経験をするまで私はたとえ脚部を骨折しても「杖を使えば時間をかけて下山できる」と甘く考えていた。しかし腕部なら兎に角、脚部の骨折は致命的で、悪化すればその場から動けなくなること必至。特に今回ぐらい酷い怪我の場合、担架なしでは絶対移動できない。従って負傷時には兎に角動ける間に救助要請可能な地点に移動し、そこで速やかに救助要請する必要がある。
・海外での病気、怪我は厄介という話をしばしば聞いたが、特に今回のような脚部の負傷の場合、全く動けずに現地滞在ということになる危険がある。さらに現在のように感染症が広まっていると、ちょっとした風邪であっても「搭乗拒否」を食らって国外退去不可能になる危険性がある。従って海外旅行では健康に特に留意する必要があるが(生水は飲まない等)、特に脚部に負傷は要注意である。
・旅行時の持参品に「予備の薬」は必須。今回はギリギリの数だったので、もし最終日に負傷したら薬の説明に苦労するところだった。ベストはお薬手帳かな。
つづく
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