2022年1月9日(日)。僕は人生初の「骨折」を体験した。米子駅の跨線橋からホームに降りていく途中、階段の踊り場から足を踏み外し、ホーム上へ転落。その際に転倒したのだ。
診断の結果は「右膝粉砕骨折」。3ヶ月程度の入院が必要という。入院先は米子医療センター。そこから僕の入院&リハビリ生活が始まる。
前回までの展開 --> こちら
夕方に病棟を回ってみる。今回利用した部屋をいくつか見てみた。
最初に利用したのが626号室。比較的安価な個室である。入院した日はこの部屋だけが世界の全てだった。
次は623号室。4人用の大部屋である。個室で2泊した後、手術前後の約1週間利用した部屋である。この部屋は手術前後の患者が利用する部屋らしい、ことは、入院後しばらくして知った。ちなみにこの部屋にいる間も、自分にとっての世界はこの部屋だけであった(トイレにも行けなかったので)
最後に利用したのは632号。この部屋には2ヶ月以上滞在した。一番滞在期間の長い部屋である。因みにこの部屋は一番「まともな」男性患者が集められる部屋らしいことは、しばらくして気が付いた。確かに病院には「変な」人が沢山いるからなぁ・・・。
昼食後は退院準備を進める。また自主トレで病棟内を歩き回る。親しくしてくれた看護師さんが何人も「明日いよいよ退院ですね」「もりつちさんが居なくなる寂しくなるわ」とか言ってくれると、こちらも別れが切なくなる。一方で別の看護師さんからは「もりつちさんが一生懸命努力していたのは皆見てましたよ」とか言われる、ホロッとしてしまう。オジサンは涙腺が脆いんだよ。
夕方には入院期間で最後の風呂に入る。シャワー室前のアヒルの標識。気に入っていたのにこれで見納めかと思うと、また涙腺が・・・。
自主トレ等の合間に外の景色を写真に収めた。海に向かって広がる田園風景、あるいは雪を被った伯耆大山も一旦は見納めだ。だけど今年中に絶対再訪してやる、と、強く心に誓う。
夕食のメニューはトンカツだった。奇しくも入院した日の最初の夕食もトンカツ。最後の夕食もトンカツであった。単なる偶然に過ぎないのだが・・・。
ちなみに今日の歩行歩数は9104歩。これまでの入院期間では最高記録を更新した。これまで9,000歩前後歩いた日は、決まって夜に脚が痛くなり、看護師さんに氷を出してもらっていた。果して今晩はどうか・・・。
夜はちょっとおセンチな気持ちになったので、某アイドルのPVをYouTubeで見続けた。
午前中はシャワーを浴びたり、病院内で最後の歩行訓練をする。特に大きな荷物を背負って歩く訓練や病衣ではなく普段着で歩行する練習を重点的に行う。その途中で親しくして頂いていた看護師さんから「今日で退院ですね」と声を掛けられる。泣きそうになる。
その他には空き時間を利用して病院内の風景や外の景色を写真に収める。
午後になって入院費の請求額がやってきた。やはりかなり高額だが、保険その他で何とか賄えるはず。ギリギリか、ちょっと足が出るかもしれないが。14時に担当の看護師さんがやってきて「では降りましょう」ということになる。その時、エレベーターの前で看護師長さんや看護師さん、さらには親しくなった患者さん達が見送ってくれた。嬉しかった。以前にも言ったが、今回の入院で主治医の先生、リハビリ担当の皆さん、そして看護師さん達には本当に助けられた。心からお礼を申し上げたい。
病院のコンビニから荷物を出す。今日担当の看護師さんとお別れをし、タクシーで米子駅前に移動した。米子駅前のホテルが今日の宿である。明日の切符を受け取るために徒歩5分(普通のペースで歩いた場合)の米子駅に行く。オープンフィールドを松葉杖で歩くのは緊張したが、何とか「ミッションコンプリート」。切符を取得した。
あとはホテルでマッタリする、はずだが、着座姿勢でも足が痛い。これが退院することなのか、と、これからの厳しい日々に思いを馳せる。
夕食はホテルの和食レストラン。ビールを飲もうかとも思ったが、安全第一で止めにした。
米子発0621の特急「やくも4号」に乗る。贅沢してグリーン車に乗った。発車してしばらくすると、左手に昨日まで過ごしていた米子医療センターが見える。今日もスタッフの皆さんが一生懸命に働いているのかと思うと、感無量になる。
それにしても「やくも」は揺れる揺れる。考えてみたら曲線区間を高速通過するべく開発された振り子式車両だ。揺れるのもアタリマエ。しかし振り子のように吹っ飛ばされて車内で転倒、なんて洒落にもならないので、岡山に着くまでは座席で我慢していようと腹をくくる。
岡山で新幹線に乗り換える。予め車椅子による介助を手配していたので、新幹線ホームまでは車椅子で移動した。乗り換え時間が少しあったので、駅の売店で「あなごめし」を購入。これが今日最初に口にする食事となった。
新幹線は岡山から「のぞみ6号」、名古屋で「こだま714号」に乗り継ぐ。今回はグリーン車を利用したが、「のぞみ」はそこそこ客が乗っていたが、「こだま」の方は殆どガラガラ状態であった。
熱海で在来線に乗り換える。在来線内で昼食の駅弁を食べた。最寄り駅には14時前に到着。連絡の手違いがあって車いすなしでホームを少し歩くことになったが、すぐに気づいてくれた。駅からはタクシー。恐れていた自宅の階段も難なくクリアし、無事に帰宅できた。取りあえずはホッと一息。まずは第1段階クリアである。
今後もリハビリが続くことにはなるが、僕のリハビリ日記は一旦ここで終了としたい。
診断の結果は「右膝粉砕骨折」。3ヶ月程度の入院が必要という。入院先は米子医療センター。そこから僕の入院&リハビリ生活が始まる。
前回までの展開 --> こちら
入院76日目(3/25金)
今日のリハビリでこれまで担当していてくれた山形さん(仮名)が場所移動になるとのこと。従って今日が山形さんとの最後のリハビリになる。退院が近づくのは嬉しいことだが、これまでお世話になった看護師さんや理学療法士さんとの別れはやはり悲しい。夕方に病棟を回ってみる。今回利用した部屋をいくつか見てみた。
最初に利用したのが626号室。比較的安価な個室である。入院した日はこの部屋だけが世界の全てだった。
次は623号室。4人用の大部屋である。個室で2泊した後、手術前後の約1週間利用した部屋である。この部屋は手術前後の患者が利用する部屋らしい、ことは、入院後しばらくして知った。ちなみにこの部屋にいる間も、自分にとっての世界はこの部屋だけであった(トイレにも行けなかったので)
最後に利用したのは632号。この部屋には2ヶ月以上滞在した。一番滞在期間の長い部屋である。因みにこの部屋は一番「まともな」男性患者が集められる部屋らしいことは、しばらくして気が付いた。確かに病院には「変な」人が沢山いるからなぁ・・・。
入院77日目(3/26土)
入院生活最後の週末である。リハビリも休みなので、自主トレの他はYouTube動画をチマチマ作っていた。それからそろそろ荷造り開始。病院内のコンビニで宅急便の伝票を受け取り、さらに余っていた段ボールを融通してもらう。帰宅時には可能な限り荷物を郵送し、身軽な状態で帰宅する予定だ。入院78日目(3/27日)
退院2日前。いよいよゴールが見えてきた。今日夕方の自主トレの最中、入院中に親しくしてくれていた看護師のMさんから「今日で会えるの最後になるからちゃんと挨拶しとくね」と言われた。嬉しかったけど、一抹の寂しさもあった。できれば病院以外のどこかで再会したいと思う。入院79日目(3/28月)
いよいよ退院前日である。今日、午前中に最後のリハビリがあって、初めてリアルな階段の昇り降りを試みた。思いの外上手くできたが、アパートの階段はかなり急なので、油断禁物である。昼食後は退院準備を進める。また自主トレで病棟内を歩き回る。親しくしてくれた看護師さんが何人も「明日いよいよ退院ですね」「もりつちさんが居なくなる寂しくなるわ」とか言ってくれると、こちらも別れが切なくなる。一方で別の看護師さんからは「もりつちさんが一生懸命努力していたのは皆見てましたよ」とか言われる、ホロッとしてしまう。オジサンは涙腺が脆いんだよ。
夕方には入院期間で最後の風呂に入る。シャワー室前のアヒルの標識。気に入っていたのにこれで見納めかと思うと、また涙腺が・・・。
自主トレ等の合間に外の景色を写真に収めた。海に向かって広がる田園風景、あるいは雪を被った伯耆大山も一旦は見納めだ。だけど今年中に絶対再訪してやる、と、強く心に誓う。
夕食のメニューはトンカツだった。奇しくも入院した日の最初の夕食もトンカツ。最後の夕食もトンカツであった。単なる偶然に過ぎないのだが・・・。
ちなみに今日の歩行歩数は9104歩。これまでの入院期間では最高記録を更新した。これまで9,000歩前後歩いた日は、決まって夜に脚が痛くなり、看護師さんに氷を出してもらっていた。果して今晩はどうか・・・。
夜はちょっとおセンチな気持ちになったので、某アイドルのPVをYouTubeで見続けた。
入院80日目(3/29火)
いよいよ退院日である。昨晩、脚の痛みは特になかったが、眠れなかった。3時間ほど寝た後零時前に目が覚めて、あとは本を読んだり、ウトウトしたりした。トータル4時間弱ぐらいの睡眠時間だと思う。午前中はシャワーを浴びたり、病院内で最後の歩行訓練をする。特に大きな荷物を背負って歩く訓練や病衣ではなく普段着で歩行する練習を重点的に行う。その途中で親しくして頂いていた看護師さんから「今日で退院ですね」と声を掛けられる。泣きそうになる。
その他には空き時間を利用して病院内の風景や外の景色を写真に収める。
午後になって入院費の請求額がやってきた。やはりかなり高額だが、保険その他で何とか賄えるはず。ギリギリか、ちょっと足が出るかもしれないが。14時に担当の看護師さんがやってきて「では降りましょう」ということになる。その時、エレベーターの前で看護師長さんや看護師さん、さらには親しくなった患者さん達が見送ってくれた。嬉しかった。以前にも言ったが、今回の入院で主治医の先生、リハビリ担当の皆さん、そして看護師さん達には本当に助けられた。心からお礼を申し上げたい。
病院のコンビニから荷物を出す。今日担当の看護師さんとお別れをし、タクシーで米子駅前に移動した。米子駅前のホテルが今日の宿である。明日の切符を受け取るために徒歩5分(普通のペースで歩いた場合)の米子駅に行く。オープンフィールドを松葉杖で歩くのは緊張したが、何とか「ミッションコンプリート」。切符を取得した。
あとはホテルでマッタリする、はずだが、着座姿勢でも足が痛い。これが退院することなのか、と、これからの厳しい日々に思いを馳せる。
夕食はホテルの和食レストラン。ビールを飲もうかとも思ったが、安全第一で止めにした。
(3/30水)
いよいよ帰宅する日である。朝4時に目が覚めて、0545にホテルを後にした。松葉杖で緊張しながら米子駅に到着。駅で待っていると、旅友さん御夫婦がわざわざ見送りに来てくれていた。米子発0621の特急「やくも4号」に乗る。贅沢してグリーン車に乗った。発車してしばらくすると、左手に昨日まで過ごしていた米子医療センターが見える。今日もスタッフの皆さんが一生懸命に働いているのかと思うと、感無量になる。
それにしても「やくも」は揺れる揺れる。考えてみたら曲線区間を高速通過するべく開発された振り子式車両だ。揺れるのもアタリマエ。しかし振り子のように吹っ飛ばされて車内で転倒、なんて洒落にもならないので、岡山に着くまでは座席で我慢していようと腹をくくる。
岡山で新幹線に乗り換える。予め車椅子による介助を手配していたので、新幹線ホームまでは車椅子で移動した。乗り換え時間が少しあったので、駅の売店で「あなごめし」を購入。これが今日最初に口にする食事となった。
新幹線は岡山から「のぞみ6号」、名古屋で「こだま714号」に乗り継ぐ。今回はグリーン車を利用したが、「のぞみ」はそこそこ客が乗っていたが、「こだま」の方は殆どガラガラ状態であった。
熱海で在来線に乗り換える。在来線内で昼食の駅弁を食べた。最寄り駅には14時前に到着。連絡の手違いがあって車いすなしでホームを少し歩くことになったが、すぐに気づいてくれた。駅からはタクシー。恐れていた自宅の階段も難なくクリアし、無事に帰宅できた。取りあえずはホッと一息。まずは第1段階クリアである。
今後もリハビリが続くことにはなるが、僕のリハビリ日記は一旦ここで終了としたい。
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