敵対水域-ソ連原潜浮上せず
ピーター・ハクソーゼン他2名、三宅真理訳 文春文庫
詳しくはこちらヤンキー級ソ連弾道ミサイル原潜K-219が1986年にバミューダ沖で沈没した事故を描くノンフィクションです。かつてトムクランシー等のSF作家によって架空のソ連海軍の姿が何度も描かれてきましたが、この著作は事実を描いているという点でこれらの著作と決定的に異なっています(あたりまえですね)。例えば政治士官。フィクションの中での政治士官といえば、「役立たず」とか「威張り散らしている」というイメージで描かれていることが多かったですが、本書の中での政治士官がまさにその通りの人物として描かれているのは面白かったです。また故障が多く信頼性に劣るソ連原潜の実態。ソ連領海を侵犯をしてでも情報を得ようとしている米原潜。やたらとプライドが高く、過度に攻撃的な行動を取りたがる米攻撃型原潜の艦長。老朽貨物船を利用してSOSUS網突破を図るソ連原潜と、それを苦もなく見破る老練な米音響捜索員など、見所満載の作品でした。単なる読み物としても、私生活に問題を抱えつつ職務怠慢により重大事故を引き起こした兵器士官、稼動中の原子炉内に単身乗り込んで制御棒を操作しメルトダウンを阻止した勇敢な水兵、他人を押しのけて真っ先に艦から逃亡した政治士官等、極限状態における人間の愚かさや崇高さが巧みに描かれています。これが単なるフィクションではなく、冷戦時代末期の大西洋上で現実に繰り広げられた実話であることを考えた時、それは一層興味深いものとして感じられます。
本書の中で、私が特に気に入った一説を以下に紹介しましょう。これは原子炉内に単身乗り込んでメルトダウンを阻止し、遂に力尽きた1人のロシア水兵について語った筆者の言葉です。
「栄光のためでも、報酬のためでも、他のためでもなく、ただ彼がその場にいて、彼だけがその方法を知っていたから、彼はそれをやり遂げたのだ」
私も日々怠惰な生活を送っていますが、上の言葉は心の片隅でも良いから持っていたいものですね。
ところでK-219の母港として描かれているガジーヴォ市ってどこなんでしょうね。今まで北海艦隊の原潜基地といえば、ポリャールヌイやムルマンスクが知られていましたが、ガジーヴォという名前は聞いたことがありませんでした。ネットで調べてみると、どうやらムルマンスク近郊の小都市みたいです。冷戦時代には「秘密都市」の1つとして地図からも抹消された軍事都市だったとのこと。人口1万2千人ですから、「横須賀に対する浦賀」みたいな関係なのかも知れません。
本書の中では、米海軍と旧ソ連海軍の力の差があまりに極端に描かれているので(もちろん前者が強い)、最初読んだときは
「またトムクランシーみたいな「アメリカ万歳」的なライターが書いたんじゃないの?」
と半信半疑でした。しかし作者の中に元ソ連潜水艦艦長が加わっているのを見て、
「ひょっとしたら海洋における米ソの力の差は予想以上に大きかったのかもしれないな」
と思ってしまいました。
評価★★★★
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