米海軍公式レポートに見るレイテ沖海戦(1)
以前にこのブログで「レイテ沖海戦」が話題になった時、ちょっと米軍側の状態も調べてみたくなってネットで漁ってみました。以前に紹介したTF34の戦闘詳報もその時見つけたものの1つなのですが、それに関連してもう少し大きな情報を見つけてきました。
タイトルは「BATTLE EXPERIENCE - BATTLE FOR LEYTE GULF」。訳すると「レイテ湾海戦における戦闘経験」(そのまんまやんか)とでもなるのでしょうか?。レイテ戦における米軍の戦訓をまとめた資料だと解釈できるように思います。日付は1945年4月1日ですから、レイテ海戦から半年以内にまとめた資料ということになるのでしょう。そういった意味からは極めて史料性の高い内容だと理解することができます。
そこで今回から数回に渡ってこの資料の中身を紹介し、同海戦で米軍がどのような戦訓を得たかについて考えて行きたいと思います。しかしながら、何分にもかなり大量の文書です。全訳できればそれに越したことはないのですが、残念ながら私の英語力ではどれほど時間がかかるか皆目わかりません。そこで取りあえず「面白そうな所」あるいは「わかりやすい所」から順次読み込んで行きたいと思います。まあ気長にボチボチ続けて行きますので、お付き合いの程、よろしくお願いします。
そこで今回から数回に渡ってこの資料の中身を紹介し、同海戦で米軍がどのような戦訓を得たかについて考えて行きたいと思います。しかしながら、何分にもかなり大量の文書です。全訳できればそれに越したことはないのですが、残念ながら私の英語力ではどれほど時間がかかるか皆目わかりません。そこで取りあえず「面白そうな所」あるいは「わかりやすい所」から順次読み込んで行きたいと思います。まあ気長にボチボチ続けて行きますので、お付き合いの程、よろしくお願いします。
これはレイテ沖海戦に参加した彼我の兵力を列記したものです。スリガオ海峡海戦、サマール島沖海戦、エンガノ岬沖海戦の3つについてそれぞれ彼我の参加艦艇が記載されています。
この史料で特筆すべきことは、日本側艦艇に関する情報の正確さです。例えばスリガオ海峡海戦についていえば、西村中将の第2遊撃部隊(「山城」「扶桑」「最上」、駆逐4)については、個艦名も含めてピッタリです。特に駆逐艦の艦名をピタリと当てたのは恐れ入ります。後続の志摩艦隊については、やや不正確な内容になっていますが(旗艦の重巡「那智」が抜けている)、それでも作戦指揮を行う上で問題になるような不正確さではありません。
サマール島沖海戦については、戦艦については隻数・艦名ともに完璧。重巡は「鳥海」と「妙高」を間違えていたり、「熊野」が抜けていたりと若干の誤差はありますが、ほぼ正解。駆逐艦に関しても11隻という隻数はほぼ正解に近い数値です(サマール島沖海戦に参加した日本駆逐艦の正確な隻数は、たしか10隻だと思います)。
エンガノ岬沖海戦については、空母、戦艦については、艦名・隻数ともに完璧です。「伊勢」「日向」が航空戦艦に改造されていることも彼らは知っていました。(ついでに「最上」が航空巡洋艦になったことも知っていたようです)。巡洋艦以下については若干の誤差がありますが(志摩艦隊にいたはずの「那智」がここにいました)、まあ許容範囲でしょう。
この史料で特筆すべきことは、日本側艦艇に関する情報の正確さです。例えばスリガオ海峡海戦についていえば、西村中将の第2遊撃部隊(「山城」「扶桑」「最上」、駆逐4)については、個艦名も含めてピッタリです。特に駆逐艦の艦名をピタリと当てたのは恐れ入ります。後続の志摩艦隊については、やや不正確な内容になっていますが(旗艦の重巡「那智」が抜けている)、それでも作戦指揮を行う上で問題になるような不正確さではありません。
サマール島沖海戦については、戦艦については隻数・艦名ともに完璧。重巡は「鳥海」と「妙高」を間違えていたり、「熊野」が抜けていたりと若干の誤差はありますが、ほぼ正解。駆逐艦に関しても11隻という隻数はほぼ正解に近い数値です(サマール島沖海戦に参加した日本駆逐艦の正確な隻数は、たしか10隻だと思います)。
エンガノ岬沖海戦については、空母、戦艦については、艦名・隻数ともに完璧です。「伊勢」「日向」が航空戦艦に改造されていることも彼らは知っていました。(ついでに「最上」が航空巡洋艦になったことも知っていたようです)。巡洋艦以下については若干の誤差がありますが(志摩艦隊にいたはずの「那智」がここにいました)、まあ許容範囲でしょう。
次にこのページを見てください。
これはレイテ沖海戦での彼我の戦果と損害を記載したものです。米側の損害については置いておいて、日本側の損害を見てみましょう。
まずスリガオ海峡海戦。若干の水増しが見られます。撃沈した戦艦、重巡の数は艦名も含めて正確です。ただし駆逐艦は水増しがあります。「時雨又は野分を撃沈」とありますが、これは共に誤り。時雨は生還していますし、野分はスリガオ海峡海戦には参加していません。他にも重巡「足柄」損傷とか軽巡「鬼怒」損傷とかいった記述もありますが、これも間違いでしょう。
サマール島沖海戦については、逆にやや過小評価になっています。シブヤン海における空襲やパラワン水道での潜水艦攻撃を含めた戦果として、撃沈が重巡6、軽巡1、駆逐艦1となっていますが、駆逐艦はもっと多くが沈んでいます。また戦艦「武蔵」についても撃沈ではなく撃破としており、その横にひっそりと「sunk?」と書いてあるあたり、何か奥ゆかしさ(笑)を感じる内容になっていまsy。
エンガノ岬沖海戦については、撃沈した軽巡の艦名を間違えている(実際に沈んだのは「多摩」で、それがここでは「長良」になっている)ことを除けば概ね正確。撃沈駆逐艦2隻というも、実際に沈んだのが「秋月」と「初月」の2隻でしたから、正確だったと言えるでしょう。
まずスリガオ海峡海戦。若干の水増しが見られます。撃沈した戦艦、重巡の数は艦名も含めて正確です。ただし駆逐艦は水増しがあります。「時雨又は野分を撃沈」とありますが、これは共に誤り。時雨は生還していますし、野分はスリガオ海峡海戦には参加していません。他にも重巡「足柄」損傷とか軽巡「鬼怒」損傷とかいった記述もありますが、これも間違いでしょう。
サマール島沖海戦については、逆にやや過小評価になっています。シブヤン海における空襲やパラワン水道での潜水艦攻撃を含めた戦果として、撃沈が重巡6、軽巡1、駆逐艦1となっていますが、駆逐艦はもっと多くが沈んでいます。また戦艦「武蔵」についても撃沈ではなく撃破としており、その横にひっそりと「sunk?」と書いてあるあたり、何か奥ゆかしさ(笑)を感じる内容になっていまsy。
エンガノ岬沖海戦については、撃沈した軽巡の艦名を間違えている(実際に沈んだのは「多摩」で、それがここでは「長良」になっている)ことを除けば概ね正確。撃沈駆逐艦2隻というも、実際に沈んだのが「秋月」と「初月」の2隻でしたから、正確だったと言えるでしょう。
総じて、レイテ沖海戦における米軍の戦力・損害評価は極めて正確であると言えます。未だ戦争中にも関らず、自らの敵に関してこれだけ正確な情報を入手していた米軍の情報戦能力には恐れ入った次第です。
さて、では日本側の情報戦能力は如何に?。こちらについては十分な調査をしたことがないので断言はできませんが、少なくともこの史料で見える米軍のそれとは格段の差があったのではないかと想像できます。もちろん専門の情報戦部隊(例えば大和田通信隊)等ではそれなりに確度の高い情報を入手していた可能性は否定できませんし、恐らく米軍各部隊の個艦名やそれぞれの指揮官等の詳細情報についても、ある程度は判明していたと想像することができます。
しかしそのような情報が、実際に前線で戦う実戦部隊にどれほど浸透していたか、という話になると、甚だ心もとない状況ではなかったのかな、と推察できます。事実、レイテ沖海戦から引き上げてくる栗田艦隊は、サマール島沖の戦場で「エンタープライズ型を含む敵空母3~4隻撃沈」という戦果報告を本気で信じていた節があります。台湾沖航空戦の誇大戦果についても、その真相を知るのは海軍の極一部だけで、国民の多くや陸軍ですら台湾沖航空戦での「大勝利」をかなり長期にわたって信じていました。
結局の所、情報戦における日本軍の弱点は、個々の情報収集能力とその処理能力の不足にあったことは間違いないのですが、それと同様に個々の情報を友軍内部で共有するという「情報共有」の面でも米軍に相当遅れていたように思われます。
しかしそのような情報が、実際に前線で戦う実戦部隊にどれほど浸透していたか、という話になると、甚だ心もとない状況ではなかったのかな、と推察できます。事実、レイテ沖海戦から引き上げてくる栗田艦隊は、サマール島沖の戦場で「エンタープライズ型を含む敵空母3~4隻撃沈」という戦果報告を本気で信じていた節があります。台湾沖航空戦の誇大戦果についても、その真相を知るのは海軍の極一部だけで、国民の多くや陸軍ですら台湾沖航空戦での「大勝利」をかなり長期にわたって信じていました。
結局の所、情報戦における日本軍の弱点は、個々の情報収集能力とその処理能力の不足にあったことは間違いないのですが、それと同様に個々の情報を友軍内部で共有するという「情報共有」の面でも米軍に相当遅れていたように思われます。
次回は「米軍が見た日本軍の砲雷撃技術」について考察してみることにします。
空母エンタープライズ 上巻: ビッグE


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