「翔ぶが如く(7)」 司馬遼太郎

「翔ぶが如く」は第7巻、第8巻まで読み終わりました。今回は第7巻の紹介。まずはそのあらすじです。

神風連の乱は1日で鎮圧されたが、さらに萩の乱、そして思案橋事件と、相次いで旧士族の反乱が起きてくる。それらを短時間のうちに鎮圧した明治政府は、その矛先をいよいよ薩摩の西郷隆盛に向けてきた。密偵を放って薩摩の動きを牽制する大警視川路利良。大挙薩摩に入国してきた警官達に対し、薩摩側は「東京獅子(あずまじし)」と名づけて警戒を強めていった。
政府の陰謀か、あるいは薩摩側の疑心暗鬼が生んだ幻想か、「西郷暗殺命令」の噂が薩摩の広まった時、事態は急速に悪化していった。私学校生徒による政府火薬庫の襲撃。政府側の戦闘準備。追い詰められた薩摩側は、遂に兵を上げた。ここに西南の役と呼ばれる日本最後の内戦が幕を開ける。

とまあ、こういう感じで西南戦争へと突入していくわけですが、今回は一触即発の状況から戦争突入に至るまでの過程を丹念に描いています。ここで注目したいのは政府側の薩摩に対する挑発行動の過激さです。特に大警視川路の「嫌がらせ」は凄まじいものがあり、「政府が薩摩を挑発して暴発させた」という見解もあながち嘘ではないようにも思います。

他に注目すべき点として、当時の明治政府が旧士族にも農民にも民権運動家にも極端に「嫌われていた」ということ。そして当時の薩摩軍あるいは西郷隆盛という存在は、ある意味「反政府勢力」にとって一番頼もしい存在だったということです。今風に言えば「右も左も」(右は旧士族、左は民権派、農民はどっちになるんだろ?)西郷の決起に期待し、だからこそ西南戦争の折、農民も民権派もこぞって西郷軍に加わっていったのです。歴史の教科書では「四民平等によって特権を失った旧士族達による反乱」として扱われることの多い「西南戦争」も、見方を変えれば「革命戦争」的な側面を持っていたのですね。驚きです。

それにしても川路利良の薩摩に対する謀略を現在の北朝鮮情勢にオーバーラップして考えてみるとなかなか興味深いものがあります。川路は薩摩を挑発し、暴発せざるを得ないようにまで追い詰めた後、暴発した薩摩を軍事力で叩き潰す、という手を使いました。もし同じコトを米国あたりが考えた場合、
(1) 北朝鮮を挑発して1発目を打たせる
(2) 北が核兵器なり化学兵器なりを使ってくれれば、こちらも報復を名目にして核反撃を行う
(3) 圧倒的な軍事力を背景にして北朝鮮を制圧
(4) 金政権の打倒
とまあ、こんな感じになりそうです。
我が国でもこれぐらいの陰謀は考えていても良さそうなのですが、多分そこまで深くは考えていないでしょうね・・・。というよりも今ならこんなシナリオ描くことは絶対できそうにありません。
つくづく
「日本は平和で良かったな」
と思います。