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ヒ86船団の壊滅

最近は大井篤氏の「海上護衛戦」や木俣滋郎氏の日本軽巡戦史を読んだ影響もあり、太平洋戦争の海上護衛戦に興味を持っています。太平洋戦争の海上護衛戦といえば、日本側から見た場合、兵力面の劣勢のみならず、技量面でも技術面でも敵側に全く及ばず、一方的な惨敗を喫した戦いとして知られています。そして事実もその通りでした。空母戦や水上打撃戦の場合、最終的には敗れたとはいえ、個々の戦術局面では米軍を苦しめた場面もあったのに対し、海上護衛戦では殆ど良い所なく

やられっぱなし

であった点、我が国では人気のない戦いです。

そんな悲惨な海上護衛戦の中にあって、とりわけ悲惨な戦いが「ヒ86船団の戦い」と呼ばれるものです。今回はその「ヒ86船団の壊滅」を紹介します。知っている人には常識的な事件かもしれませんが、まあお付き合いいただければ幸いです。

ヒ86船団と第101戦隊

ヒ86船団とは、1945年1月にサイゴンを発して門司へ向かった輸送船団のことで、タンカー4隻、貨物船6隻、護衛艦艇6隻の計16隻からなる船団でした。当時の我が国にとっては、かなり大規模な船団でした。

この船団の護衛に当たっていたのが、船団護衛専門に編成された第101戦隊です。第101戦隊は当時日本海軍にあってはじめて船団護衛を主任務として編成された部隊で、以下の諸艦よりなっていました。

 第101戦隊
  対潜巡洋艦「香椎」(旗艦)
  海防艦「大東」
  海防艦「鵜来」
  海防艦「23号」
  海防艦「27号」
  海防艦「51号」

敵潜の攻撃を警戒したヒ86船団は、ベトナムの陸岸に思い切り接近しながら航行していました。敵潜水艦は浅い海が苦手だからです。そのためもあってか、出航後最初の2日間は敵潜による被害はありませんでした。しかし彼らには潜水艦よりも恐ろしい敵が近づいていたのです。

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海防艦「鵜来」。ヒ86船団事件にも生き残った同艦は戦争を生き延び、戦後は海上保安庁の巡視船「さつま」として長期間活躍しました

第38機動部隊

ハルゼー大将の第3艦隊は大型空母8隻、軽空母5隻を中核とする高速空母です。その第3艦隊がバシー海峡を抜けて、南シナ海に入ってきたのは1945年1月9日のことでした。南シナ海といえば、日本本土と南方資源地帯を結ぶ主要な交通線です。そこへ米空母群の侵入を許したということは、日本本土と南方資源地帯のシーレーンがいよいよ断たれることとなったのです。

第3艦隊が最初に見つけた餌はヒ86船団でした。攻撃空母10隻以上の高速空母部隊と輸送船団の戦い。戦いの決着はもとより明らかでした。

1月12日午後、米空母を発進した攻撃隊約50機がヒ86船団に襲いかかります。空母「タイコンデロガ」「エセックス」「ラングレー」「サンファシント」を発進した攻撃隊。最初にやられたのは対潜巡洋艦「香椎」でした。多数機の集中攻撃を受けた「香椎」は爆弾数発と2本以上の魚雷命中を受け艦尾から沈んでいきました。海防艦「51号」は搭載爆雷の誘爆により沈没。同「23号」も乱戦の最中に行方不明になってしまいました。貨物船やタンカー計10隻も悉く撃沈されました。
辛くも生き残ったのは3隻の海防艦だけです。「鵜来」「大東」「27号」は敵戦闘機の機銃掃射によってそれぞれ死傷者を出しながらも、爆弾や魚雷の直撃を受けなかったのが幸いしたようです。

こうしてヒ86船団は壊滅しました。この日南シナ海一帯は35隻の船舶が撃沈され、海軍艦艇も計13隻が失われました。ハルゼーの第3艦隊はその後も南シナ海一帯で暴れまわり、米機動部隊による攻撃で1月中に83隻もの船舶が撃沈されました。

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攻撃を終えて空母「ホーネット」に帰投するSB2C「ヘルダイバー」艦爆

その後

ヒ86船団の壊滅によって南方と日本本土とのシーレーンは事実上遮断されることになりました。その後も「特攻輸送」という名目で南方からの石油輸送は細々と続けられてはいましたが、その規模はあまりに小さく、第一油を運ぶタンカー自身が1945年1月の「ハルゼー台風」によって殆ど失われてしまったのです。
こうして南方資源地帯とのシーレーンを断たれた日本は近代戦遂行能力を急速に失っていくことになりました。1945年8月15日に太平洋戦争は終局を迎えましたが、その終局を決定付けた戦いが、「ヒ86船団の戦い」だったのかもしれません。

ハルゼー艦隊が南シナ海から引き上げてくる途中、我が特攻機の反撃により空母「タイコンデロガ」「ハンコック」「ラングレー」に損傷を与えましたのは、唯一の戦果らしい戦果だったのかも知れません。

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我が特攻機の反撃を受けて炎上する米空母「タイコンデロガ」

余談

今回紹介した記事は、主に「日本軽巡戦史」と「海上護衛戦」より抜粋しました。本当はもう少し詳しく調べたかったのです。例えばヒ86船団を攻撃した米空母機の詳しい編成はどのようなものだったのか?。彼らの搭載した武器は何だったのか?。また海防艦の対空砲火は何機の米軍機を打ち落としたのか?。そういった所も調べてみたいと思っています。機会があれば、もう一度調べなおしてみたいです。