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ZERO(GMT)のプレイ風景。システム的には優れた面を持つゲームですが、シナリオの面から見ればもう一工夫欲しかった所です。

「ソロモン夜襲戦」デラックス版計画

1.戦術級ゲームとドラマ性


ウォーゲームにはドラマ(物語)が必要だ

これは私が常日頃から思っていることです。例えば「第3帝国」というゲームであれば、ポーランド戦役から始まる第2次欧州大戦の流れそのものが一つのドラマであり、ゲームがその流れを上手く取り込むことができれば、自ずと物語性が生まれてきます。他にも太平洋戦争全体を扱ったゲーム、ガダルカナル戦役を扱ったゲーム等も歴史の流れを適度に取り込むことにより、プレイヤーは自然と歴史が持っている物語に入っていくことができます。

ところで戦術級ゲーム、特にマルチシナリオ形式のゲームは「ドラマ性」という点ではやや見劣りする面が多いようです(もちろん例外もあります)。最近プレイしたいくつかの戦術級ゲーム、例えば「BattleFiled Europe」(GDW)や「ZERO」(GMT)等も、

「このゲーム、システム的には見るべき点があるのに、シナリオにもう一工夫欲しかったなあ・・・・」

という感じがします。そして我が「ソロモン夜襲戦」も残念ながらその例外ではありません。

 (注)「ソロモン夜襲戦」とは、自作の水上戦ボードゲームです。詳しくはこちらをご覧下さい

一般的な話として戦術級ゲームがドラマ性に乏しいのは、以下のような理由が考えられます。

a.状況に対する思い入れ

例えば「太平洋戦争」や「関ヶ原の戦い」であれば多くの人がその概要を知っています。しかし例えば「ムカデ高地の激闘」や「ヴィレル・ボカージュの戦い」となると「そんな戦争知らないなあ」という人の方が多いでしょう。自分が知っている戦いであればプレイヤーのプレイ意欲も湧きますが、どこだかわからないヨーロッパの田園地帯やミクロネシアの密林戦闘ではドラマを感じることはなかなか難しいと思います。

そういう意味では「リアルマップ」を用いた著名な状況を再現する戦術級ゲームの可能性にもっと目を向けても良いかもしれません。ツクダの「大坂夏の陣」や「激闘!関ヶ原」はリアルマップを用いた戦術級ゲームですが、一部では高い評価を得ているようです。メジャーテーマであるWW2戦でも、リアルマップを用いた戦術級ゲームがもっと増えてきても面白いかも知れません。Panzer Command(VG)なんて、CMJでライセンスしないかなあ・・・・。

b.勝利条件の問題

特に海空戦を扱うゲームにありがちな問題なのですが、勝利条件が単に「敵を何隻(何機)撃破すれば勝利」という形で与えられていることがあります。ゲームはただ目の前を敵を如何にして撃破すべきかという「叩き合い」のみに終始し(それはそれで「面白い」と感じる部分はありますが)、複雑な物語は生まれてきません。「ソロモン夜襲戦」でも一見もっともらしい勝利条件が設定されていますが、その実態は「敵を何隻撃破すれば勝利」を変形したものです。

これが作戦級以上のゲームであれば、達成すべき大目標(例えばベルリン占領、家康の首等)が与えられ、プレイヤーはそれを達成するためにいくつかの中間目標を設定していきます。これらの中間目標がシナリオのバリエーションを生み、戦いのドラマを盛り上げています。

c.コンポーネント

マルチシナリオ形式の戦術級ゲームの場合、マップは「どこかの海」や「どこかの田園地帯」、ユニットも「とある零戦」や「とあるパンター戦車」といった場合が多いです。その点「具体的な場所」や「具体的な部隊」を扱う作戦・戦略級ゲームと違う所。「どこだかわからないヨーロッパの田園地帯で戦う所属不明の米独部隊」よりも、「関ヶ原で戦う石田三成隊と黒田長政隊」の方がドラマ性が上なのは言うまでもありません。

d.デザイナー及びプレイヤーの無理解

そもそも戦術級ゲームのデザイナーの側がゲームのドラマ性というものをそれほど重視していないのではないか、と感じることが時々あります。ある国産戦術級ゲームの著名なデザイナーは、雑誌対談記事の中で

「自分の仕事はゲームシステムをデザインすること。シナリオ作成等は自分の仕事ではない」

という発言をなさっていました。この発言の是非は別としても、デザインサイドにおける戦術級ゲームに対する認識の一端を示しているようにも思います。
またプレイヤー側にも戦術級ゲームにおける「ドラマ性」というものを余り重視していないという面があるのかもしれません。戦術級ゲームを購入してきて最初にチェックするのは、シナリオブック等ではなく、ティーガー戦車のレーティングであったり、戦艦「大和」のレーティングであったりする点、この辺りの事情を端的に物語っています。「大和とアイオワどちらが強いか」的な議論についても、ゲームとしての評価を離れていつのまにかレーティングの強弱という末梢の問題を論っている点、プレイヤー側の意識の低さを物語っています。

その点について我が「ソロモン夜襲戦」もあまり自慢できるものではありません。例えばゲームに一切登場しない「アラスカ」や「大淀」のデータがレーティングされている点。「プレイヤーに対するサービス」といえば聞こえが良いですが、「シナリオはおまけ」的なスタンスを図らずも露呈してしまったと言えるかもしれません。

「ソロモン夜襲戦」では、ドラマ性の欠如を補うため、キャンペーンシナリオなるものを用意しました。これは6回の海戦を連続的に繰り返す大型シナリオなのですが、ドラマ性という点では「今ひとつ」という感は拭えません。なぜドラマ性に乏しいのか。結局の所、上記の問題点に対して明確な解決策を提示できなかったからだと思えてきます。