ちょっと小ネタです。
「シミュレーションゲームにおけるリアリティって、プラモデルのそれに似ているのではないか」
前回、「写真とシミュレーションゲームの関係」についてコメントを頂いた時に、ふとそんなことを考えてしまいました。プラモデルは、見た目「非常にリアル」です。
しかし、実際には様々な「誇張と省略」が行われていて、厳密な意味においては「リアル」ではありません。プラモデルの「リアルさ」とは、あくまでも購入者が「見た目のリアルさを楽しむ」という意味で「リアルさ」であり、それ以上の「リアルさ」は必要ではありません。
だからプラモデルは、例えば「風洞実験モデル」のように「学術的な意味でリアル」である必要はありません。
しかし、実際には様々な「誇張と省略」が行われていて、厳密な意味においては「リアル」ではありません。プラモデルの「リアルさ」とは、あくまでも購入者が「見た目のリアルさを楽しむ」という意味で「リアルさ」であり、それ以上の「リアルさ」は必要ではありません。
だからプラモデルは、例えば「風洞実験モデル」のように「学術的な意味でリアル」である必要はありません。
逆に「風洞実験モデル」。
これは見た目の「リアルさ」ではプラモデルの足元にも及びません。キャノピーは透明ではないし、塗装もなされていません。しかし航空機の空力的なシミュレーションを行う場合はプラモデルでは用を為さず、一見「リアルではない」風洞実験モデルが必要なのです。
このように学術的な意味での「リアリティ」(あるいはシミュレーション)とは、本来「非常に地味でつまらない」ものなのです。
これは見た目の「リアルさ」ではプラモデルの足元にも及びません。キャノピーは透明ではないし、塗装もなされていません。しかし航空機の空力的なシミュレーションを行う場合はプラモデルでは用を為さず、一見「リアルではない」風洞実験モデルが必要なのです。
このように学術的な意味での「リアリティ」(あるいはシミュレーション)とは、本来「非常に地味でつまらない」ものなのです。
シミュレーションゲームのリアリティについて議論されることがありますが、シミュレーションゲームに求められる「リアリティ」は、学術的な意味でのそれとは
「リアリティの意味が違う」
という点は注目すべきだと思います。言い方を変えるならば、プラモデルは、「楽しさという要素を満たすためにリアルである必要がある」(つまり「楽しさ」の一要素として「リアリティ」がある)わけで、この点が「学術的な意味でのリアリティが最優先」である風洞実験モデル等とは根本的に異なる部分です。これはシミュレーションゲームでも同じではないかな、と思う訳です。
これは別に「リアルではないゲームでも楽しければよい」という意味ではありません。プラモデルでも見た目リアルなモデルが好まれるように、シミュレーションゲームでも「見た目のリアルさ」は重要です。ただし、それが「本当の意味でのリアリティ」とは微妙に違うものである、という認識もまた重要だと思います。
とまあ、ここまで書いてきたのですが、このネタって、確か昔シミュレーター誌だったかタクテクス誌だったかで読んだ気がします。
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