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枢軸軍相手に奮戦した「駄作機」

P-36という戦闘機をご存知でしょうか?。カーチスP-36「ホーク」。1936年に初飛行に成功したこの戦闘機は、米国陸軍航空軍団(USAAC)で最初期の近代的な単葉戦闘機です。英国のスピットファイアやドイツのメッサーシュミット109とほぼ同時期の機体で、その初飛行は殆ど数ヶ月以内に行われました。

当初カーチスホーク75と呼ばれたP-36は、1935年における米陸軍次期主力戦闘機に間に合わせるべく急遽製造されました。リパブリックP-35と争った競争試作は1936年までずれ込み、そこでP-36は一度は敗れ去りました。しかしその後エンジンを離昇出力1,050hpのP&W R-1830-13「ツインワスプ」に換装したP-36Aは素晴しい性能を発揮し、最終的には米陸軍向け227機の他、753機が輸出され、少なくとも25機がライセンス生産されるなど、戦間機としては異例の大量生産された機体となりました。

フランス1940

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後述するように、P-36の米国陸軍における戦歴は殆ど無に等しい状況ですが、諸外国におけるP-36の戦歴は決して少なくはありませんでした。事実P-36は、第二次世界大戦において連合軍と枢軸軍双方で使用された数少ない戦闘機となったのです。

P-36を最も多く活用したのはフランス空軍です。1938年フランス政府はカーチス社との間で「ホーク75A-1」(P-36Aのフランス向け輸出モデル)100機の生産契約を交わしました。さらに「ホーク75A-2」100機の追加契約が交わされ、計200機の「ホーク75」は1939年中に全てフランス空軍に引き渡されました。さらに改良型の「ホーク75A-3」「ホーク75A-4」計530機が追加発注されましたが、そのうちフランス崩壊までに送られた機体は116機に留まり、残りの多くは英国空軍に引き渡されることになりました。

計316機の「ホーク75」は、数の上ではモランソルニエMS406に次いでフランス空軍2番目に重要な戦闘機でした。1939年9月8日、GCⅡ/4(第4航空団第Ⅱ大隊)所属の「ホーク75A」がドイツ空軍のBf-109E 2機を撃墜し、これが第二次世界大戦における連合軍最初の撃墜となりました。
1940年5月のフランス戦役では、GCⅢ/2, Ⅰ/4, Ⅱ/4, Ⅰ/5 そして Ⅱ/5の各大隊が「ホーク75A」を装備して戦いました。彼らは空中戦闘で29機を失いましたが、撃墜確実230機、不確実80機という大きな戦果を報じました。この戦果報告は明らかに過大でしたが、それでもとある調査によると、「ホーク75A」は当時「世界最強の戦闘機」と謳われたドイツのメッサーシュミットBf-109Eに対して唯一「勝ち越した」機体であり、実際その活躍は新鋭のドボアチンD520を上回るものがあったとされています。

「ホーク75A」とBf-109Eを比較したのが下表です。

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「ホーク75A」は水平速度でBf-109Eよりも50km/h近くも劣速であり、高速戦闘になった場合不利なことは明らかです。また火力でも大差があり、射撃戦でも「ホーク75A」の不利は否めません。「ホーク75A」がBf-109Eに優っているのは、翼面荷重の小ささを生かした鋭い運動性と全周囲視界の良さで、所謂「ドッグファイト」に持ち込めば「ホーク75A」にも勝機があったのかも知れません。付け加えれば、鋭い格闘戦性能を持つ「ホーク75A」は、やはり個人プレイと格闘戦を好むフランスパイロットの気質に適合していたのかも知れません。

いずれにしても「ホーク75A」がBf-109E相手に善戦したのはどうやら事実らしいです。