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枢軸軍相手に奮戦した「駄作機」

P-36という戦闘機をご存知でしょうか?。カーチスP-36「ホーク」。1936年に初飛行に成功したこの戦闘機は、米国陸軍航空軍団(USAAC)で最初期の近代的な単葉戦闘機です。英国のスピットファイアやドイツのメッサーシュミット109とほぼ同時期の機体です。

P-36は太平洋戦線で活躍する機会に乏しかったため、我が国では「駄作機」と見なされることの多い戦闘機です。しかし欧州戦線ではそれなりの活躍を見せた機体であり、決して「駄作機」「旧式機」と一言で片付けられるようなのではなかったようです。

前回はP-36のフランス戦役での活躍を追いました。


今回は太平洋戦線に目を向けてみます。

真珠湾1941

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1941年初頭の米国陸軍において、P-36は既に旧式化しており、その多くが第一線からは退きつつありました。そして彼らは練習飛行隊における任務に赴きました。それでもパナマ運河地区やアラスカ方面といった海外の基地では、P-36の飛行隊が防衛任務についていました。そしてハワイにおいても空母「エンタープライズ」によってサンディエゴから輸送されてきた約30機のP-36が、同方面の防衛任務についていたのです。

1941年12月7日、ハワイ方面に展開していた米陸軍戦闘機が合計152機で、その内訳はP-26Aが14機、P-36Aが39機、そして最新鋭のP-40が99機です。
日本機動部隊の攻撃によってその大半が地上で撃破されてしまいましたが、生き残った一部の機体が迎撃戦闘を行いました。第1波攻撃の後にホイラー飛行場を発進した米陸軍航空軍団第46追撃飛行隊に所属する4機のP-36A戦闘機もその一部です。

サンダース中尉の指揮の元、混乱の続くホイラー飛行場を発進した4機のP-36A戦闘機は、地上からの誘導に従って日本機を追った。高度11000ftに上げて北進中、カネオヘ湾上空高度6000ftを飛行する11機の零式戦闘機を発見した。サンダース中尉は手信号で列機に対して攻撃を指示。高度で優位に立つサンダース編隊は、緩降下で目標に接近しつつ銃撃を開始した。新米のスターリング少尉が零戦1機に火を吐かせた。スターリングが別の零戦を追ったが、その後方から1機の零戦が鮮やかに反転してきてスターリング機を狙った。スターリングを狙う零戦をサンダースが追撃して火を吐かせたが、その間スターリング機も零戦の銃撃を受けて火を噴きながら落ちていった。
この時サンダース編隊の攻撃を受けたのは、空母「蒼龍」を発進した第三制空隊の零戦8機である。もともと零戦9機からなる第三制空隊は、ベロース飛行場銃撃の際に隊長の飯田大尉機が対空射撃によって失い、残った8機を次席の藤田怡与蔵(いよぞう)中尉が率いた。集合地点に向かう途中の藤田編隊は、後方から敵機9機(実数は4機)の攻撃を受け、藤田中尉と田中二郎二飛曹がそれぞれ1機撃墜を報じたが、実際の撃墜数は1機(スターリング少尉)だけだった。日本側は厚見一飛曹と石井二飛曹の2機を失い、戦闘機同士の空戦では1対2で米軍の勝利に終わった。この戦いは、太平洋戦争初の戦闘機同士の空中戦であり、その戦いで質量共に劣る米戦闘機隊が勝利を収めたことは興味深い事実である。

零戦とP-36A「ホーク」を比較したのが下表です。

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両者を比較すると、大きさでは零戦が一回り大きくなっています。一方重量では零戦が一回り軽量であり、その分翼面加重は小さくなっています。これはすなわち零戦の方が急旋回ができることを意味しています。また水平速度でも零戦が30km/hほど速く、火力面でも零戦が優れていました。つまり零戦とP-36を比較すると「全ての面で零戦が有利」という結果になります。
真珠湾上空の戦いでP-36を勝利を収めたことは事実だと思われますが、どうやらそれは偶然の産物に過ぎなかったのかも知れません。
その後米陸軍においてP-36は急速に第一線を退き、二度と実戦に参加することはありませんでした。従って真珠湾における交戦は、米陸軍のP-36にとって唯一の戦闘機会となったのです。