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Pacific Fleet(SSG/HJ)は、1983年代にHobby Japan社が出版したシミュレーションゲームです。
太平洋戦争全域を扱うこのゲームは、20年以上が経過した今日でも傑作ゲームの1つとして数えられています。

今回、このPacific Fleetのシナリオ4をソロプレイしてみました。シナリオ4は真珠湾攻撃からポツダム宣言受託までの太平洋戦争全部を扱うグランドキャンペーンゲームです。盤上で繰り広げられる太平洋戦争をお楽しみ頂ければ幸いです。


前回までのあらすじ

こちら

第11ターン:1944年夏

このターンから日本軍航空部隊の戦力が一時的に上昇する。「彗星」「天山」「銀河」。これらの新鋭機が前線に配備されたことを反映する措置らしい。今まで弱体化する一方だった日本軍母艦部隊にとって、このターンにおける一時的な戦力上昇は反撃の烽火となるのか?。

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日本海軍の新鋭艦上機。左が艦爆「彗星」、右が艦攻「天山」

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こちらはその日本機を迎え撃つF6F「ヘルキャット」戦闘機

第1フェイズ

マリアナ、硫黄島の陥落によって、直接の脅威に晒されているのは沖縄である。日本本土から僅か1メガヘクスの距離にあり、しかも天然の良港を持つ沖縄は、日本本土上陸を目指す米軍にとっても最後の攻略目標であった。一方の日本軍も沖縄を失うことは日本本土と南方資源地帯の連絡線破断を意味し、さらには九州、西日本一帯が米陸上機の脅威に晒されることになる。
しかし沖縄の防備は未だ不十分な状態であった。10戦力の「防衛軍」が存在していたものの、米軍による本格的な進攻を受けた場合、この程度の兵力では甚だ不十分であることは過去の戦例が証明している。そこで日本軍は2個師団を動員。広島県宇品港から沖縄に向けて進発せしめることとした。無論、陸上部隊だけを裸で沖縄に送り込んでも米空母群の攻撃を受ければひとたまりもない。そこで日本軍は呉から2群の空母機動部隊と1群の戦艦部隊を出撃させて輸送船団の援護に当たらせた。その兵力は大型空母5隻、軽空母6隻、戦艦4ユニット、重巡3ユニット、軽巡1ユニット、駆逐艦6ユニットを数えた。全軍の指揮は、新鋭大型空母「大鳳」に将旗を掲げる小澤治三郎中将がとる。米空母群に比べれば些か見劣りする兵力ではあったが、それでも当時の日本海軍が投入可能なほぼ全兵力を結集した出撃であった。

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沖縄へ向けて進撃する新鋭大型空母「大鳳」

暗号解読により日本艦隊の出撃を察知した米軍は、ウルシーに待機していた3群の高速空母群に出撃を命じた。闘将マーク、ミッチャー中将に率いられたその部隊は、大型空母9隻、軽空母6隻、軽巡6ユニット、駆逐艦6ユニットを数えた。日本艦隊のように戦艦部隊を随伴していない点がやや気がかりだが、水上戦闘を企図していない米軍にとっては戦艦など必要としなかったのだろう。

両軍が激突したのは、沖縄南東海上であった。南九州や南西諸島各地を飛び立った日本軍索敵機が米空母の姿を捉えた。
「敵空母見ゆ」
直ちに攻撃隊の発進準備を整える日本艦隊。しかしその日本艦隊は密かに追尾していた姿なき刺客の攻撃を受けることになる。
突如歴戦の空母「赤城」の舷側に2本の水柱があがった。
「すわ、敵潜か」
艦隊の誰もが驚いたその瞬間には「赤城」は艦尾から炎を吹き上ながら洋上に停止していた。
驚く間もなく次の災厄が日本艦隊を襲う。今度は「加賀」だ。魚雷1本が命中し、「加賀」は左舷に数度傾いた。さらにもう1隻。軽空母「隼鷹」にも魚雷が命中する。
結局潜水艦の攻撃で「赤城」「加賀」「隼鷹」の3艦が大中破した。沈没艦を出さなかったのが不幸中の幸いといえたが、それでも攻撃力発揮という点でこれら諸艦の損傷が悪影響を与えたことは間違いない。

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空母「赤城」。日本海軍にあっては現役最古参の空母であり、真珠湾攻撃を初めとして数々の武勲に輝く艦でもある。しかし沖縄沖海戦では米潜の雷撃により大破。無念の戦場離脱を余儀なくされた。

初戦における思わぬ悲劇にも関わらず日本艦隊は攻撃隊を発進させた。彼らは味方空母上空で編隊を組み、堂々の大編隊となった南へ向かう。沖縄の基地からは、この戦いで初めて実戦に投入される組織的体当たり攻撃部隊も攻撃編隊に加わっていた。
攻撃を受けたのは、大型空母2、軽空母4を基幹とする米高速空母の1群であった。日本機の攻撃は軽空母に集中する。「ベローウッド」が、「モンテレー」が、「ラングレー」が、「バターン」が、日本機の爆撃、雷撃、そして体当たり攻撃によって次々と破壊、炎上していった。一連の攻撃によって米軍は4隻の軽空母を失い、ギルバート進攻以来久しく絶えていた味方空母を失う悲劇を味わった。
しかし米軍の反撃もまた猛烈であった。大小合わせて15隻の空母から発進した攻撃隊は総計500機以上に及んだ。彼らは次々と日本艦隊に襲いかかった。歴戦の空母「瑞鶴」「翔鶴」が真っ先に炎上した。軽空母「瑞鳳」がそれに続く。魚雷を受けた「蒼龍」はのたうち回り、「飛鷹」もまた飛行甲板から炎を吹き上げていた。護衛艦艇も無傷で済む訳にはいかず、新鋭軽巡「大淀」や「秋月」型の防空駆逐艦がやはり米軍機の餌食となった。
米軍機の攻撃によって日本軍は空母「瑞鶴」「翔鶴」「瑞鳳」、そして軽巡1ユニット、駆逐艦2ユニットを失い、空母「蒼龍」「飛鷹」、駆逐艦1ユニットを大中破せしめられた。一連の戦いで日本艦隊は大型空母2、軽空母1を失い、大型空母3、軽空母2を大中破せしめられたことになる。日本海軍母艦航空部隊はこの戦いを最後に戦闘能力を失った。

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沖縄沖海戦。乾坤一擲の勝負を挑んだ日本艦隊であったが、強大な米艦隊を打ち破ることはできなかった。

第2フェイズ

沖縄沖海戦で大損害を被った日本艦隊は、本土に向けて引き上げた。しかし彼らの犠牲は無駄ではなかった。米軍機の攻撃を免れた日本陸軍2個師団が無事沖縄に上陸し、同島の守備に任じたのである。圧倒的な米軍相手にどの程度の抵抗ができるかどうかは未知数であったが、少なくとも今までの島々のように簡単に陥落することはないだろう。そう信じたい。
一方の米艦隊も再編成を行った。大損害を被った高速空母群はウルシーに後退し、残った2個の高速空母群がパラオとマニラを襲ったのである。パラオ攻撃は単なる機動空襲であったが、マニラ攻撃は上陸支援攻撃であった。空母群の攻撃が終了した後、旧式戦艦に援護された上陸部隊がマニラ湾に迫っていたのである。
マニラ上陸作戦。
しかしこの作戦は今までのようにはいかなかった。その原因は米軍の事前攻撃が不十分であったことが上げられる。高速空母群と旧式戦艦による僅か1フェイズの砲爆撃では、守備隊の抵抗力を奪うことはできなかったのだ。上陸した米軍部隊はなんとか橋頭堡を確保したものの、日本軍の激しい抵抗に遭い、内陸への進攻は阻まれた。

第3フェイズ

マニラではなおも激戦が続いていたが、米軍はさらなる進攻作戦に着手した。パラオ進攻である。ホーランディアを発したオーストラリア軍の1個師団がパラオに上陸、在地の日本軍と激戦を交えた。パラオでも日本軍の抵抗は激しかったが、それでも戦艦部隊や基地航空隊の支援を受けたオーストラリア兵達は、次第に日本軍を圧迫していった。

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マニラとパラオに対する進攻作戦。これらの作戦が完了すると、日本本土と南方資源地帯を結ぶ連絡線は完全に遮断されることとなる。

第4フェイズ

米艦隊はマニラとパラオに繰り返し艦隊を派遣する。そのためだろうか。このターン、パラオが陥落した。

第5フェイズ

パラオは陥落したものの、マニラの方は日本軍の激しい抵抗に遭って苦戦が続いていた。米軍は苦戦を続ける陸軍部隊を援護するため、マリアナに待機していた米海兵隊第2海兵師団を投入した。海兵隊員達は疲弊していた陸兵に代わって最前線に立ち、日本軍に対して激しい攻撃を実施した。その攻撃が功を奏し、このフェイズにマニラは陥落した。マニラを守備していた日本兵達は中部フィリピンの山岳地帯に篭り、持久戦の体勢に入ることとなる。

第6~7フェイズ

米艦隊はウルシー環礁に引き上げて次期作戦に備える。

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ウルシー環礁へ引き上げてくる米機動部隊




Carrier Battle - Philippine Sea 海空戦南太平洋1942
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