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YSGAさんに遊びに行き主題のゲームをプレイしました。対戦相手はKさん。ダイス判定の結果、私が赤軍、Kさんがドイツ軍を担当することになりました。

「コーカサス・キャンペーン」(The Caucasus Campagin)は、1942年8月~11月にコーカサス地方で繰り広げられたドイツ軍と旧ソ連軍の戦いを描くシミュレーションゲームです。1ターンは1週間、1ヘクスは実際の18マイル(29km)を示します。1ユニットは1個師団相当の地上部隊を示します。

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第1ターン(1941年7月第4週)

ドイツ軍によるお決まりの初期攻撃。ロストフ前面に展開する赤軍4個軍は大損害を受け、6個師団が壊滅。その他の部隊はほうほうの体で南に向けて後退していく。
とりあえず残存部隊をクバン川突出部(1932)付近に集結。反撃の機会を伺う。

第2ターン(1941年8月第1週)

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ドイツ軍がクバン川に付近に集結する我が軍主力を攻撃、それを後退せしめた。
さらにドイツ軍は攻撃の矛先を急きょ変更。要域クラスノダール(2037)に装甲3個師団による奇襲攻撃を敢行した。スツーカの支援によって5-1までオッズを上げてきた独軍の猛攻によってクラスノダールは一撃で陥落。うぐぐ、である。

クラスノダールに2ステップしか配置しなかったのが敗因であった。せめて3ステップあればもう少し粘れたものを・・・・

第3ターン(1941年8月第2週)

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ドイツ軍がマイコープ(2234)を4-1のオッズ(空軍支援付き)で攻撃。ソ連軍は先ほどの教訓を踏まえて今度は3ユニットをスタックさせていたが、今度は「死守」のダイスが振るわず部隊は後退。マイコープは独軍の支配する所となった。
一方のソ連軍。ヴォロシーロフスク(2029)付近で兵力が集まってきたので反撃を敢行。5-1のオッズで独軍山岳歩兵師団を攻撃したが、結果はDR。残念ながら軽微な損害を与えただけで撤退させてしまった。

ひょっとしたらZOCボンドで完全包囲できたかもしれないのに。少し攻撃が甘かったか・・・・

第4ターン(1941年8月第3週)

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先ほどの我が軍による反撃が効いたのか、ドイツ軍が装甲部隊を東に向けてきた。こちらとしてはある程度予想された展開である。ヴォロシーロフスク(2029)周辺に主力部隊を集結させ、ドイツ軍の攻撃を待ち構えた。
乾坤一擲。戦車、騎兵、歩兵等、計6ユニットを投入してドイツ軍山岳師団2個を4-1のオッズで攻撃。しかしダイスは振るわずEX。戦線は動かず、逆に反撃のために突出した我が前衛部隊に危機が迫る。
このターン、エイスク(1338)が陥落。アゾフ海沿岸の我が軍拠点はほぼ残っていない。さらにテムリューク(1942)が補給切れとなり、その結果アゾフ小艦隊が補給切れで壊滅。アゾフ海の防御拠点はほぼ失われた。

兵力にやや余裕があったので反撃してみたのですが、結果振るわず。あまり冒険すべきではないのかなあ・・・

第5ターン(1941年8月第4週)

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独ソ両軍はなおもヴォロシーロフスク付近で激闘を続けているが、ドイツ軍はノヴォロシースク(2241)方面から装甲兵力を引き抜き、ヴォロシーロフスク方面へ転進せしめた。
ソ連軍は大きな動きなし。ドイツ軍の行動を見つつヴォロシーロフスクの防衛体制を固める。

第6ターン(1941年9月第1週)

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9月に入って一気に天候が悪化した(注)。独ソ両軍の動きは鈍くなり、戦線はやや静寂さが戻った。
ドイツ軍はアゾフ地峡方面から転進してきたブリュヒャーⅡ戦隊がタマン(1943)に上陸。ノヴォロシースクへ向けて進撃を開始した。
静寂になった戦場で、ドイツ軍が乾坤一擲の攻撃を敢行した。ヴォロシーロフスクに対する3-1攻撃を敢行したのである。結果はD1。死守チェックでソ連軍が1以外の目を出せば良い所、見事に1の目を出してしまい、ヴォロシーロフスクは見事に落城してしまった。ほうほうの体で撤退するソ連軍。

(注)第6ターン以降は天候チェックが適用され、1/3の確率で悪天候になります。悪天候になると両軍とも第2インパルスが使えなくなります。

第7ターン(1941年9月第2週)

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またもや天候が荒れた。このターンは本当に大きな動きなし。カフカス山地西部の山岳戦闘で、ソ連軍歩兵部隊がルーマニア軍山岳師団を撃破したのが唯一の戦果だった。

第8ターン(1941年9月第3週)

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天候が回復した。ドイツ軍がノヴォロシースクに対して総攻撃を実施した。オッズが1-1なので一撃必殺という訳にはいかないが、死守を行うソ連軍親衛部隊が少しづつ消耗していった。
中央戦線では、クマ川付近まで後退していたソ連軍部隊がドイツ軍装甲部隊を包囲攻撃した。オッズ3-1で大戦果を期待したが、ダイス振るわず結果はA1/DR。ソ連軍は歩兵がステップロスしたのに対し、ドイツ軍は損害を受けることなく後退していった。

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第9ターン(1941年9月第4週)

なおも晴天が続く。ドイツ軍はPyatigorsk(2526)付近で装甲兵力を集中して攻撃を実施してきたが、この方面にはソ連軍兵力を集中していたので、ドイツ軍は数キロ前進しただけであった。
ノヴォロシスク(2241)方面ではなおもドイツ軍の猛攻が続く。ドイツ軍第2インパルスに遂にノヴォロシースクが陥落。黒海沿岸の重要拠点が一つドイツ軍の手に落ちた。
ドイツ軍はソチ(2735)に向けた山岳攻勢を仕掛けてきた。

第10ターン(1941年10月第1週)

ノヴォロシースクが陥落したので、ドイツ軍が新たな攻勢に出ることが確実になってきた。その攻勢正面が東方グローズヌイ(2618)方面なのか、それとも黒海沿岸のトゥアプセー(2537)方面なのか。
ドイツ軍の機先を制してソ連軍はPyatigorsk方面に展開するドイツ軍装甲部隊を包囲し、あわよくば殲滅しようと攻勢を行った。もちろん殲滅できればそれに越したことはない。しかし最悪でもドイツ装甲部隊を包囲しておけば、ドイツ軍は包囲の輪を食い破ろうと後方に向うはずなので、1ターン時間を稼ぐことができると踏んでいた。

最初の攻勢はドイツ軍左翼を守る自動車化歩兵(3-5-5)に対して向けられた。装甲シフト、練度修正、空軍支援で5-1までオッズを上げた攻撃は予定通り成功。まず独軍戦線を食い破り、ドイツ装甲部隊背後を遮断した。続いて包囲された独軍装甲3個師団に対して正面から1-1攻撃を実行。オッズが上がらないがダイス目に期待である。ダイス目はあまり振るわず、「3」であったが、結果的にはそれが成功。A1/DR。ソ連軍は1ステップを失い、その一方でドイツ軍装甲スタックに後退を強いた。後退路を完全に断たれたドイツ軍は「死守」に全てをかけるが、失敗。ドイツ軍装甲3個師団は瞬時に壊滅した。

この段階で装甲兵力の半数を失ったドイツ軍A軍集団は作戦中止を決意。コーカサス作戦はソ連軍の勝利に終わった。

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感想

おかげ様で勝利を得ることができました。
今回の勝因は主戦線へ比較的多くの兵力を展開できたことです。結果的に独軍装甲部隊の機動力を兵力で抑え込むことができました。第10ターンの攻勢も兵力に余裕があったから実施できたのであり、もし兵力に余裕がなければ今回のような乾坤一擲の反撃作戦は、失敗した場合のリスクが大きすぎて恐らく実施できなかったでしょう。
その一方でノヴォロシースクはやや手薄な感がありました。最終ターンまでノヴォロシースクを守り抜くことは恐らく不可能ですが、それでも1ターンでも長く保持することは可能でした。そういった意味で中央戦線をやや重視し過ぎた感がありました。

今回のプレイ時間は正味約7時間。仮に最終ターンまでプレイしても10時間ぐらいでプレイできるしょう。もう少し慣れればさらなる短縮も期待できます。このゲーム、細かいルールが多いですが、基本システムは非常にシンプルなのでプレイそのものはサクサク進みます。攻撃側は多くの場合ドイツ軍ですが、ソ連軍にも局地反撃のチャンスは十分にあり、両軍とも楽しめる内容になっています。



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