「Ukraine43」は2000年に米国GMT社から出版されたシミュレーション・ウォーゲームです。扱っているのは1943夏から秋にかけてのロシア戦線。同年7月のクルスク戦に勝利したソ連軍がウクライナ全域に対して実施した大攻勢と、それを迎え撃ったドイツ軍を主体とする枢軸軍の戦いを描きます。1ヘクスは約8km、1Turnが約5日間を現し、1ユニットは大隊~軍団規模です(標準は師団規模)。ルール的には中の上ぐらいの難易度で、基本的な概念はそれほど難しくはありません。しかし細かいルールが結構多いので、使いこなすためにはそれなりの技量が必要です。また盤面に登場するユニット数もやや多めで、初心者にとっては敷居の高いゲームといえます。プレイ時間は、プレイヤーの技量にも依りますが、ショートシナリオで8~15時間、キャンペーンの場合は25~35時間ぐらいではないでしょうか。
今回「Ukraine43」のキャンペーンシナリオをソロプレイしてみました。プレイに際してはバーチャルボードであるVASSALを使用。以下はその展開です。

セットアップ時の状況

ハリコフ周辺

アゾフ海沿岸
1Turn(8/3)

その南方、イジューム付近の渡河点(4718)では、戦車軍団、機械化歩兵軍団各1個を主力とし、その後方から歩兵部隊が後に続く。ソ連軍はイジュームを守る独軍第196歩兵師団を撃破し、突破口を穿っていた。
その南、ドネツ盆地からアゾフ海沿岸にかけては、機械化歩兵軍団2個を含むソ連軍南方軍が総攻撃を実施。さらにアゾフ海を望む戦略的要域タガンログに対しても1.5-1の低比率攻撃を実施したが失敗。ドネツ盆地では先に挙げた機械化歩兵の他にショックアーミーをも投入した攻勢は見事に失敗。一歩も前に進めなかった。

第1Turnソ連軍プレイヤーターン終了時のハリコフ戦線

同じく戦線全体の状況
独軍はハリコフ周辺の防備を固める。ハリコフ市街では要塞構築が進められ、第48装甲軍団所属の装甲部隊はハリコフに迫るソ連軍機械化部隊に対して機動反撃を敢行した。反撃は成功し、僅かながらもソ連軍機械化部隊を押し戻すことに成功した。
イジューム方面では第3装甲軍団の装甲師団4個がイジューム付近に進出。ソ連軍のさらなる突破に備えた。
イジューム方面では第3装甲軍団の装甲師団4個がイジューム付近に進出。ソ連軍のさらなる突破に備えた。
2Turn(8/8)

イジューム付近は取りあえず現状は安定化しているものの、突破口を塞ぐには至っていない。
先ほどのTurnソ連軍の攻撃を完全に阻止したドネツ盆地方面では、ショックアーミーが独軍防衛ラインを抜いた。独軍は反撃したい所だが、背に腹は代えられず、空軍支援で遅滞を図るしかない。

第2Turn終了時

同南方戦線
3Turn(8/13)
北部戦線、ソ連軍がハリコフ東面の突出部を撃破し、ハリコフ東面を解放しつつある。スミ東方でもソ連軍は突破に成功した。独軍は第48装甲軍団、第2SS装甲軍団の6個装甲師団で反撃を実施。戦線をある程度平定化することに成功した。

第3Turn終了時
4Turn(08/18)

独軍は北部、中部、南部の3ヶ所で反撃。北方では第2SS装甲軍団(当然クルスク戦の傷は癒えていない)がハリコフ北西地区でソ連軍を撃破し、戦線を一応安定化させた。
中央部では第48装甲軍団がイジューム突出部に肉薄。突出部を守るソ連軍部隊を次々撃破し、戦線安定化に努める。
南方では第3装甲軍団の装甲3個、装甲擲弾兵1個などで反撃を実施。ソ連軍を押し戻した。

第4Turn終了時
5Turn(8/23)

ハリコフ周辺ではソ連軍は漸進状態。ソ連軍機甲部隊がハリコフ西方の森林地帯を抜け、ハリコフは東、北、西の3方向から包囲を受けることになる。ハリコフの運命は極まったか?。

中央部イジューム突出部では第48装甲軍団が反撃を続行中。兵力的には2個装甲師団に過ぎなかったが、彼らは巧みな部隊運用でイジュームからの突破を必死に食い止めている。
南方ドネツ戦線では、ソ連側の攻撃がずっこけた(1.5-1でAR)ので、東正面は要塞建築により防衛ラインを固める。その間ドネツ川川岸地区からは部隊を逐次撤退させて戦線の縮小に努める一方、北部の要域クラマトルスク(5022)付近のソ連軍に対して反撃を実施。ソ連軍の頑強な抵抗に悩まされつつも少しずつ戦線を押し戻す。

6Turn(8/28)

さらにソ連軍はハリコフ西方の独軍防衛線を攻撃。歩兵2個師団を撃破、装甲1個師団を後退せしめ、歩兵1個師団を包囲下におく。そして防衛線に大きな突破口を穿ち、さらにポルタワ(3316)に向けての快進撃が続く。ハリコフ南方でもソ連軍は深く前進。Merefa(4115)、Valki(3914)が陥落。ドネツ川西岸の防衛陣地に籠っていた独軍は包囲の危機に陥った。
ドネツ戦線はゴルロフカ(5324)がソ連軍の手に落ち、イジューム付近の突出部でも再びソ連軍の策動が始まる。

7Turn(9/1)

ここで独軍は方針を転換。前線の陣地線を捨てて大きく後退することにした。特に北ではスミ付近の突出部、南ではタガンログの線から後退し、ソ連軍歩兵との離隔を図る。兵力的に厳しい状況であったため、とにかくこれ以上の兵力損失を避けようとする布陣だ。戦線縮小を図り、増援を待ち、余剰兵力を捻出しようとする苦肉の策だが、果たして・・・・。

(つづく)







