8Turn(9/6)
後退する独軍を追ってソ連軍の追撃は急を極める。スミ、タガンログといったかつての激戦地が次々と陥落。ソ連軍のVPは11に達した。特に危機的であったのが北方戦線と中央戦線。北方では中央軍集団の進撃に合わせる形でソ連軍が独軍の北翼を叩く。独軍は第2SS装甲軍団を基幹とする5個装甲師団が反撃を決行。ソ連軍戦車軍団2個を撃破した上、戦線を押し下げた。中央部ではポルタワに迫るソ連軍に対し、第48装甲軍団を基幹とする装甲5個師団、機械化歩兵師団1個が反撃を敢行。ソ連戦車軍団を壊滅させて戦線を立て直した。
9Turn(9/11)
独軍はスターリノを無血放棄。ドネツ工業地帯はほぼソ連軍の集中に帰した。独軍は歩兵兵力を再配置して戦線を維持する。が、歩兵兵力の損害が大きく戦線を維持するのが精一杯。1ステップだと瞬殺されてしまうので、2ステップのスタックでZOCボンドを構成し、戦線を構築する。ポルタワ周辺、さらに北方戦線では歩兵兵力だけでは戦線を構築できず、装甲部隊による戦線を構築せざるを得なくなる。機甲兵力で反撃を実施し、ソ連軍機甲兵力に若干の打撃を与えたものの、歩兵兵力が揃うまでは限定反撃にとどめて置かざるを得ない。
10Turn(9/16)
相変わらず独軍は後退を続ける。このTurn、反撃のために装甲兵力を2ヶ所で捻出。北端地区とポルタワ南東地区でそれぞれ限定的な反撃を実施した。一連の反撃でソ連戦車軍団2個、機械化歩兵軍団1個を葬った。北部戦線で突破を図るソ連軍
反撃を行う独軍装甲部隊
11Turn(9/21)
ソ連軍機械化部隊の損害が増加してきたので、装甲戦力を温存すべく一旦後方に引き下がった。しかしこれは裏目に出た。自らの損害を顧みずに突進してくる独軍は装甲部隊の機動力と打撃を生かして各地でソ連軍を小包囲。数個師団を撃破する戦果をあげた。12Turn(9/26)
先ほどの失敗に鑑み、ソ連軍は再び攻勢に転じた。兵力的には十分とは言えないソ連軍であったが、独軍に圧力をかけ続けることが勝利への近道だと悟ったのだ。攻勢は主としてポルタワの南北で実施された。戦車及び機械化歩兵を主力とする攻撃部隊が戦線を突破する。それに対して独軍も装甲部隊を主力とする部隊で反撃を実施。ソ連軍の進撃を止めた。13Turn(10/1)
北部戦線でソ連軍は大規模な突破作戦を決行した。投入された兵力は、2個機械化軍及びその支援部隊である。初期の突破でソ連軍は大きな戦果をあげたが、その後独軍機動部隊の素早い反撃によって前進をストップさせられていた。南方戦線では、ソ連軍はドニエプル川に迫りつつあった。川岸でソ連軍突破部隊と独軍装甲部隊が激しく激突する。個々の戦闘場面では独軍は圧倒的に強かったが、数に物を言わせたソ連軍の進撃もまた急であり、渡河は目前に迫ってきた。
14Turn(10/6)
ソ連軍はドニエプル川に到達した。独軍はザボロジェダムを決壊させ、ドニエプル川下流部に大洪水を引き起こした。北方ではソ連第3親衛戦車軍、第5親衛戦車軍が突破を図る。独軍も第48装甲軍団、第2SS装甲軍団を投入してソ連軍を撃退。第5親衛戦車軍を2ヘクス後退させることに成功したが、その一方でドイツ最強のGD師団が壊滅してしまう。
15Turn(10/11)
このTurn、大きな動きがあった。まず南方戦線ではザボロジェに対してソ連打撃軍を主体とする総攻撃が敢行され、ザボロジェ陥落。その北方ではドニエプルペトロフスクの西隣のヘクスに対して歩兵を主体とするソ連軍がやはり総攻撃を敢行。ここを突破しドニエプル川をソ連軍が渡河した。中央戦線ではポルタワに対してソ連軍の総攻撃が敢行されたが、こちらは失敗。ポルタワは独軍の保持する所となった。しかしその南隣ではソ連軍第1戦車軍が独軍防衛線を突破。ポルタワを南翼から包囲する態勢に入ろうとしていた。
北方戦線ではソ連軍2個戦車軍団を主体とする機動集団が2ヶ所に渡って独軍戦線を突破。さらにこの一帯では空挺降下も実施された。空挺旅団3個中2個が降下失敗という悲劇に見舞われながらも、残り1個空挺旅団が道路上に陣取って独軍進撃路を遮る。さらに突破移動では第20戦車軍団を主体とする部隊がチェルニーヒウ(1604)を占領する。
独軍は敵中に孤立したポルタワの放棄を決意。歩兵部隊は敵の重囲を破って西方に退却する。そして装甲兵力を各地に派出して反撃を実施する。北方に第2SS装甲軍団、ポルタワ西方に第48SS装甲軍団を派遣した。装甲部隊は奮戦し、北方戦線ではソ連軍戦車2個軍団を撃破してチェルニーヒウを奪回。ポルタワ方面でもソ連軍先鋒を撃破し戦線を安定化した。
しかしドニエプル川方面はそうは行かなかった。ザボロジェとアゾフ海に挟まれた平原地帯には第3装甲軍団が機動予備として待機していた。彼らは「ソ連軍ドニエプル渡河」の報を受けて直ちに現場へ向けて進発した。
しかし・・・、
なんたることか。ニコポル(3431)付近の橋梁が折からの洪水のため使用不能となり、ドイツ装甲部隊はニコポル前面で濁流を見ながらただ立ちすくむしかなかった。しかもこの洪水は、先週独軍が自らの手で破壊したザボロジェダム破壊によるものだという。装甲部隊の反撃を受けることのなかったソ連軍橋頭保は着々と強化され、今やドニエプル川防衛線そのものが崩壊の危機に瀕していた。自らが招いた危機的状況を前に独軍はただ天を仰ぐしかなかった。
北方戦線ではソ連軍2個戦車軍団を主体とする機動集団が2ヶ所に渡って独軍戦線を突破。さらにこの一帯では空挺降下も実施された。空挺旅団3個中2個が降下失敗という悲劇に見舞われながらも、残り1個空挺旅団が道路上に陣取って独軍進撃路を遮る。さらに突破移動では第20戦車軍団を主体とする部隊がチェルニーヒウ(1604)を占領する。
独軍は敵中に孤立したポルタワの放棄を決意。歩兵部隊は敵の重囲を破って西方に退却する。そして装甲兵力を各地に派出して反撃を実施する。北方に第2SS装甲軍団、ポルタワ西方に第48SS装甲軍団を派遣した。装甲部隊は奮戦し、北方戦線ではソ連軍戦車2個軍団を撃破してチェルニーヒウを奪回。ポルタワ方面でもソ連軍先鋒を撃破し戦線を安定化した。
しかしドニエプル川方面はそうは行かなかった。ザボロジェとアゾフ海に挟まれた平原地帯には第3装甲軍団が機動予備として待機していた。彼らは「ソ連軍ドニエプル渡河」の報を受けて直ちに現場へ向けて進発した。
しかし・・・、
なんたることか。ニコポル(3431)付近の橋梁が折からの洪水のため使用不能となり、ドイツ装甲部隊はニコポル前面で濁流を見ながらただ立ちすくむしかなかった。しかもこの洪水は、先週独軍が自らの手で破壊したザボロジェダム破壊によるものだという。装甲部隊の反撃を受けることのなかったソ連軍橋頭保は着々と強化され、今やドニエプル川防衛線そのものが崩壊の危機に瀕していた。自らが招いた危機的状況を前に独軍はただ天を仰ぐしかなかった。
16Turn(10/16)
ソ連軍の進撃はなおも留まる気配がなかった。北方戦線では再編成なったソ連軍2個戦車軍(第3親衛戦車軍、第5親衛戦車軍)がソ連軍の先鋒として独軍戦線に襲いかかる。戦車中心のソ連軍に対し、歩兵中心の独軍部隊は次々と蹴散らされていった。対する独軍は第2SS装甲軍団による機動反撃を実施した。ティーガー戦車を中核とする機動打撃部隊は2度に渡ってソ連軍と交戦。ソ連軍戦車軍団1個、機械化軍団1個、戦車旅団2個を撃破したものの、独軍も虎の子ティーガー大隊を失った。
南方ではドニエプル川戦線が熱い。ザボロジェ近郊では洪水が引いたドニエプル川からソ連軍が渡河作戦を強行。対岸の独軍は圧倒的な兵力比で渡河を許してしまう。ドニエプルペトロフスク周辺のソ連軍も橋頭保を強化し、ドニエプルペトロフスクそのものを包囲する形を強化していった。
反撃か、撤退か。熟考の末独軍は反撃を決意。第3装甲軍団を主力とし、第48装甲軍団からも一部兵力を引き抜いた混成部隊(装甲師団5個うち1個はSS装甲師団)でドニエプルペトロフスク付近で反撃を実施した。装甲兵力の集中によりドニエプルペトロフスク付近に陣取るソ連軍部隊を撃破。ドニエプルペトロフスクに対する連絡も解放した。
反撃か、撤退か。熟考の末独軍は反撃を決意。第3装甲軍団を主力とし、第48装甲軍団からも一部兵力を引き抜いた混成部隊(装甲師団5個うち1個はSS装甲師団)でドニエプルペトロフスク付近で反撃を実施した。装甲兵力の集中によりドニエプルペトロフスク付近に陣取るソ連軍部隊を撃破。ドニエプルペトロフスクに対する連絡も解放した。
17Turn
ソ連軍の攻撃はなおも続く。しかしソ連軍部隊も機械化部隊の殆どがステップロスの状態である。独軍については言うに及ばず。まさに満身創痍の独ソ両軍であった。北方戦線では2個戦車軍を主体とするソ連軍がキエフに向けて進撃。対する独軍は歴戦の第48装甲軍団でこれに対抗する。ソ連軍は少し前進したが、その前進は遅々としていた。
その南方、ドニエプル川北岸地区では、第1戦車軍を主体とするソ連軍がクレメンチューク(2820)北方で独軍戦線を突破。慌てて独軍は第2SS装甲軍団の3個装甲師団を反撃に差し向けた。独軍の反撃はソ連軍先鋒部隊を撃破したものの、戦線は後退を余儀なくされた。
ドニエプル戦線では、ソ連軍はザボロジェ西方の橋頭保より出撃。西方に向けての進撃を開始した。しかし同方面のソ連軍は歩兵中心の編成であり、機甲部隊による大突破は不可能だった。騎兵の突破力を利用したソ連軍は少しずつ前進するしかなかった。
同方面の独軍は第3装甲軍団を主体とし、多数の歩兵部隊が戦線を支えていた。その第3装甲軍団はドニエプルペトロフスク付近のソ連軍に対して再び反撃を実施した。オッズ3-1だったので攻撃の成功が危ぶまれたが、案の定EXを出して攻撃は失敗。思わず天を仰ぐ独軍であった。