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The Caucasus Campaginをプレイしました。
このゲームは2009年に米国GMT社から出版されたシミュレーションゲームで、1942年夏から秋にかけてソ連とドイツ、ルーマニア、イタリア等の枢軸軍との間で繰り広げられたコーカサス戦域を再現するシミュレーションゲームです。1ユニットは師団が中心で、1Hex=18マイル、Turn=1週間のスケールです。

私の担当はソ連軍です。

戦略

まず黒海沿岸。最終的にノヴォロシスク(Novorossiysk 2241)が陥落するのは止むを得ないが、できる限りここで時間稼ぎしたい。トゥアプセー(Tuapse 2537)は死守するが、最終的に陥落は避けられない可能性がある。その場合、ソチ(Sochi 2735)も失うことを覚悟するが、スフミ(Sukhumi 3032)は絶対死守する。
中央戦線は黒海戦線との関連になるが、基本的にはテーレク川(Terek R.)まで速やかに後退し、テーレク川の線を死守する。攻防の焦点はナーリチク(Nalchik 2724)。ここは史実でも激戦となった地点で、ここをどちらが押さえるかで勝敗が分かれそうです。

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1Turn(1942年7月第4週)

イメージ 13第1Turnはドン川(Don.R)からサル川(Sal.R)の線に対する独軍の攻撃により開始された。この線に配置されているソ連軍は5個軍22個師団、2個戦車旅団の大兵力であったが、部隊の多くが損耗状態にあり、多くは期待できなかった。
果たせるかな、枢軸軍は第3SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」、第3、13装甲師団等を主力とする装甲師団4個、装甲擲弾兵師団2個、歩兵師団5個、山岳師団1個の大兵力でソ連軍防衛線に襲いかかった。ドン川南方地区及びドン平原(Don Step)でソ連軍防衛線を突破した枢軸軍部隊は前線のソ連軍部隊の多くを捕捉。スターリンの無茶な死守命令と相まって退路を失ったソ連軍部隊が包囲せん滅の憂き目に遭ってしまう。ソ連軍はエリート部隊を優先して南方方面に逃がすのが精一杯だった。

このTurnにおけるソ連軍の損害は歩兵10個師団が壊滅、騎兵2個師団がステップロスという膨大な数に及んだ。しかしそれでも予想したよりも損害が軽度で済み、特にエリート部隊の多くを逃がすことができたことは僥倖であった。

現在1VP

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2Turn(1942年8月第1週)

イメージ 15枢軸軍の猛攻は続く。足止め部隊をばらまいて遅退戦術を図るソ連軍に対し、新たに10個師団の増援部隊を得た枢軸軍の攻撃は熾烈を極めた。その先鋒部隊は要域クラスノドノール(Krasnodar 2037)に進出、さらにクバン川(Kuban R.)を超えてマイコープ(Maikop 2234)にも迫る勢いを示した。

現在2VP

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3Turn(1942年8月第2週)

イメージ 8枢軸軍によるクラスノドノール、マイコープに対する猛攻が始まる。両拠点にはエリート部隊を主力とする大兵力を篭らせ時間稼ぎを試みるが、空軍力に優越する枢軸軍はソ連軍を圧倒した。まずクラスノドールが4-1包囲攻撃で陥落。続いてマイコープが空軍支援による5-1攻撃により陥落した。いずれの地点でもソ連軍は「断固たる防御」を試みたが、空軍支援を欠いた状態(ソ連空軍は第4Turnから使用可能になる)では死守を完遂することは難しかった。
勢いに乗る枢軸軍はさらに進撃を続け、海に向う進撃ではテムリューク(Temryku 1942)からノヴォロシースク前面にまで到達。またグローズヌィ(Grozny 2819)方面へ向かう陸路の進撃ではネウィンノムイスカヤ(Nevinnomysskaya 2229)の線まで進出した。

ソ連軍はテムリューク、ノヴォローシスクでは拠点防御による死守体制を敷く。また東方では足の遅い部隊を前衛とし、主力はクマ川(Kuma R.)の線に向けて後退を続けた。

現在6VP

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4Turn(1942年8月第3週)

イメージ 7強力なリヒトホーフェン第8航空軍団が転進していった。その一方でソ連側に空軍ユニットが登場する。これまで一方的に空から叩かれっぱなしだったソ連軍にとっては有難い増援である。
枢軸軍の攻撃はなおも続き、タマン半島では要域テムリュークがこのTurnに陥落。これによりアゾフ海小艦隊は策源地を失ってしまった。
東方ではピャチゴルスク(Pyatigorsk 2526)がドイツ装甲部隊の集中攻撃を受けて陥落した。
対するソ連軍は空軍による支援の元、2ヶ所で2-1の反撃を試みたが、出目はいずれも"1"。結果は"A1"。ソ連軍最初の反撃は、無残な失敗に終わった。

現在9VP

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5Turn(1942年8月第4週)

イメージ 9このTurn、イタリアのアルペン軍団3ユニットが登場する可能性がある。確率1/3で登場するのだが、出目"2"で見事「登場」。一見枢軸有利に見えるこのイベントだが、必ずしも有利ではない。というのも、アルペン軍団が登場すると勝利条件のVPレベルが18点から20点に2ポイントアップしてしまう。都市1~2ヶ所分に相当するVP2点のハンデは枢軸軍とってはかなり痛い。

枢軸軍はこのTurn、タマン(Taman 1943)、ノヴォロシースク(Novorossiysk 2241)方面、トゥアプセー(Tuapse 2537)方面に攻撃を実施。タマンは陥落。その結果、次Turnにドイツ軍、ルーマニア軍各1ユニットからなるブリュッヒャー戦隊がアゾフ海経由で登場してくる。
ノガイ平原(Nogai Stepps)に向う枢軸軍は、先鋒の装甲師団がクマ川の線に到達。ソ連軍はクマ川の線から後退しテーレク川(Terek R.)の線まで後退した。

現在10VP

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6Turn(1942年9月第1週)

イメージ 14タマン半島を制した枢軸軍は増援のアルペン軍団を得て黒海沿岸の要港ノヴォロシースクへ攻め込んだ。ソ連軍は第32親衛歩兵師団を主力とする部隊でノヴォロシースク死守の構えを見せる。兵力に優る枢軸軍であったが、都市に籠るソ連軍を撃破することは容易ではない。このTurn、ノヴォロシースクは耐えた。
ノガリ平原では、装甲部隊を中心とする枢軸軍部隊がテーレク川に肉薄。その先鋒である第3SS装甲師団「ヴィーキング」は、要域ナーリチク(Nalchik 2724)に隣接した。テーレク川防衛線に危機迫る。

現在11VP

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