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「独ソ戦2」(The Russian Campagin 2)は、1970年代にJEDKO社から出版され、2010年に国際通信社から日本語版として再販されたシミュレーションゲームです。1ユニットが軍団(枢軸軍)~軍(ソ連軍)。1ターンが実際の2ヶ月に相当し、1941年6月~1945年5月の独ソ戦全域を計25Turnでプレイします。プレイ時間はキャンペーンシナリオの場合で20時間前後でしょうか?。
今回、この傑作「独ソ戦2」をVASSAL使用のソロプレイで戦ってみました。

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1Turn(1941年5-6月)

天候=晴れ
赤軍の初期配置はCMJ#94で紹介されていたセットアップに従う。
独軍は北方及び中央軍集団戦区で猛攻を仕掛け、ニュメン川沿いに引かれた赤軍防衛線を引き裂いた。独軍の攻撃は一部で停滞(4-1攻撃で"C"を出した)したことはあったものの、概ね目的を達した。ニュメン川沿いに引かれた赤軍の第1防衛線は突破され、独軍装甲部隊の先鋒は早くもドヴィナ川を指呼に望む地点にまで進出していた。
南方軍集団方面では、北方・中央軍集団ほど劇的な進展はなかったものの、リヴォフ周辺とルーマニア国境付近で赤軍前線を突破。キエフに向けて道を開いた。
このTurn、赤軍は歩兵3、騎兵3、戦車8の計14ユニットを失った。その中から戦車、騎兵、歩兵各1ユニットの計3ユニットを補充により復活させる。後方を遮断された赤軍2個軍は独装甲軍団に対して決死の1-1攻撃を敢行。見事EXを出して装甲軍団を葬り去った。赤軍主力はドヴィナ川からドニエプル川の線に新たな防衛線を築く。

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2Turn(1941年7-8月)

天候=晴れ
独軍は東に向けて突進する。北では歩兵部隊がスツーカの支援を受けてリガを攻略した。その南では装甲部隊が南下。スモレンスク前面で赤軍戦車部隊を撃破。ドニエプル川を渡河し、スモレンスク、ブリヤンスクを支配下に置いた。
南方では国境線で頑張る赤軍部隊を包囲せん滅した後、東に進んでキエフ、ドニエプルペトロフスク間でドニエプル川を渡河した。
赤軍はレニングラード前面、モスクワ前面まで後退し、最終防衛線を張る。南方ではオデッサ、キエフといった大都市に決死的守備隊を残しつつ主力はクルスク、ハリコフ、ドニエプルペトロフスクの線で防衛線を引く。

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3Turn(1941年9-10月)

天候=軽い泥濘
独軍としては晴天を期待したが、残念ながら悪天となった。独軍はサドンデス負けしないためにも、冬篭りに備えるためにも南方諸都市の攻略を目指す。まずウクライナ最大の都市キエフに対しては、素で4-1立つだけの兵力(48戦力)を集中。見事6の目を出し、労働者をも含めて守備隊を降服に追い込んだ。南方のオデッサでは素で1-1の所をスツーカ(悪天なので唯一投入できる航空兵力)で4-1にして攻撃。出目5でこちらも陥落させた。これで取りあえずサドンデスは免れそうだ。
モスクワ前面でも攻撃を仕掛け、モスクワまであと4ヘクスに迫ったが・・・。
赤軍はこのTurnに現れる大量の増援部隊(歩兵12ユニット+補充で2ユニット)をモスクワに集中配備。余った部隊をレニングラード、ハリコフ、ロストフ方面に送って守りを固める。

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4Turn(1941年11-12月)

天候=軽い泥濘
独軍にとっては最悪の天候(降雪)を免れ、突破力を保持したまま年越しを迎えることができた。このチャンスに少しでも前進し、冬篭りに備えたい。
北方では歩兵部隊が遂にレニングラードに接敵した。スツーカが使えずオッズは1-1の低比率攻撃であったが、ダイス4でCの結果を得て接敵を維持することに成功した。続く赤軍Turnに赤軍側は無謀な低比率攻撃を余議なくされたため(マストアタックなのだ、しかも退路なし)、レニングラードの赤軍部隊は壊滅。レニングーラードは独軍が支配した。
南方では独軍がドニエプル川河畔の工業都市ドニエプルペトロフスクを攻撃。3-1攻撃で同地を占領していた。
とまあ、ここまでは順調なドイツ軍であったが、続く赤軍Turnに思わぬ出血を見ることになる。
北方軍集団のレニングラード攻撃を側面援護すべくカリーニン付近にまで進出していた装甲2、歩兵1のスタックが親衛赤軍を含む大規模な包囲攻撃を受けた。オッズ2-1の包囲攻撃は1回目こそCの結果で凌いだものの、2回目はD1の結果により3個軍団壊滅。独軍は開戦以来最大の損害を被った(カリーニンの戦い)。

最近のゲームならZOC通過の後退は認める場合が多いのだが、古いゲームだけに注意が必要である。

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5Turn(1942年1-2月)

天候=降雪
何がっても雪が降る1-2月の到来である。独軍は冬篭りをすべく、各都市周囲に集結する。唯一の攻勢はクルスク方面。この小都市を巡る攻防は独軍の勝利に終わった。

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6Turn(1942年3-4月)

天候=軽い泥濘
ロシアの冬は終わった。しかしまだ独軍にとってベストシーズンではない。このTurn独軍は南方方面で限定的な攻撃を実施した。目標はハリコフ。数次にわたる攻撃でウクライナ第2の都市、ハリコフは陥落した。

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ここまで

最初の1年が終了した。レニングラードが陥落。モスクワ前面にも一時危機が迫ったが、モスクワはなんとか持ちこたえた。しかし戦いは1年目が終わったばかりである。