4/8ソフィア会参加から2週間ぶりの対外戦は、ソフィア会の時と同じく新作「マンシュタイン最後の戦い」をプレイしました。場所は東京ミドルアース例会。対戦相手は柴龍さんです。下名は前回同様ドイツ軍を担当しました。
1Turn(1943年8月)


2Turn(1943年9月)

ハリコフ正面に対してはソ連軍ステップ方面軍の猛攻が始まっていた。ハリコフ(Kharkov 2634)に対する死守命令はマンシュタイン命令によって陥落寸前で解除されたが、死守命令解除によって抵抗力を失ったハリコフはアッサリと陥落してしまう。


3Turn(1943年10月)

南部戦線ではスタックによる防御線を徐々に後退させつつあるドイツ軍に対し、ソ連軍はサドンデス対象都市であるスターリノ(Stalino 1338))に迫る。しかし死守命令が効いている都市は後退をステップロスに切り替える機能があるのでそう簡単には陥落しない。ドイツ軍はスターリノを防御の軸としつつ、その両翼の部隊を徐々に後退させていった。

4Turn(1943年11月)


5Turn(1943年12月)

ドニエプル川に沿った戦線は概ね安定していたが、ドニエプロペトロフスク(Dnepropetrovsk 1631))を軸とする湾曲部では、ソ連軍がドニエプル川を渡河し、川の西岸地区になだれ込んできた。
このTURN、スターリノ陥落

6Turn(1944年1月)

このTURN、ドイツ軍は2回に渡って反撃を実施した。最初の反撃でソ連軍最強の親衛戦車軍団(6-4-6)2個を完全に撃破。その次の反撃でソ連軍機械化軍団2個をも壊滅に追い込んだ。
反撃成功を見届けた後、ドイツ軍主力は後退。ドニエプル川湾曲部を放棄して戦線の短縮化を図りつつ、キロホグラード(Kirovograd 1623)からケルソン(Kherson 0424)の間に馬蹄形の防御線を敷いた。

7Turn(1944年2月)

装甲師団8個、機械化歩兵師団1個、その他の支援を得て行われた独軍の反撃は、キロホグラード周辺のソ連軍機械化部隊を徹底的に叩いた。包囲され、殲滅されているソ連軍部隊。独軍による一連の反撃が終了した時、ドニエプル川西岸地区に進出したソ連軍のうち、戦闘能力を残しているソ連軍機械化部隊が、もう数える程しか残っていなかった。
今回は独軍を担当したので、主に以下の方針で戦いました。
1.とにかくドニエプル川までは一目散に逃げる。
2.敵機械化部隊を撃破できる可能性があれば、しつこく攻撃する。
結果的には概ね巧く行ったのではないかと思っています。
1.とにかくドニエプル川までは一目散に逃げる。
2.敵機械化部隊を撃破できる可能性があれば、しつこく攻撃する。
結果的には概ね巧く行ったのではないかと思っています。
ゲームについては、技巧的な面が強過ぎるキライはあるものの(特にドイツ軍)、その点を割り切って考えれば良いゲームだと思います。一つ気になるのがソ連空挺部隊の運用についてです。ルール上降下できない地形がないので、独軍が手を出しにくいプリピャチ湿地の奥地が一番空挺降下するに好都合だったりします。これはいくらなんでも変なので、以下の新ルールを提唱します。
13.2 空挺降下
(追加)空挺堡マーカーは湿地に配置することはできません。
(追加)空挺堡マーカーは湿地に配置することはできません。