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The Guns of August(AH 1981)(以下、TGoA)は第1次世界大戦を扱った戦略級ゲームである。
本作は戦略級ゲームでありながらもかなり細かい点までシミュレートされており、それが魅力である反面、プレイする際に相応のリソース(人員と時間)を擁することもまた事実である。
今回、このTGoAをマルチプレイで対戦する機会を得た。参加者は当初は7名で、途中から6名に減少(参加者の都合による)。筆者はフランス軍を担当した。はたしてフランスは独軍の猛攻を凌いでアメリカ参戦まで持ち堪えることができるか・・・。


ここまでは苦しみながらもなんとか予定通り進捗している。フランス本国都市を1つも失わなかったことは僥倖であった。先にも書いたが、都市を失うと戦意低下チェックのダイス目が不利になる。ダイス目如何では国家にとって致命的な事態もなりかねない。とにかく米国参戦まではなんとかフランス国内を死守しておきたいものである・・・。

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1917年1月

新年明けましておめでとうございます。雪のベルギー戦線では激戦が続いている。攻城砲が前線に姿を現したおかげで損害比率が我に有利になってきた。

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1917年2月

ベルギー戦線ではなおも進展を見せ、アントワープまであと1ヘクスと迫った。しかしこの月、アメリカの参戦を期待したが(50%)、ダイス目振るわずまたもや参戦せず。これまで5回アメリカ参戦ダイスを振ったが、いずれも失敗(累積確率約10%)。運の悪さに泣けてくる・・・。

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1917年3月

ベルギー戦線では独軍が大兵力で反撃に転じてきた。仏軍歩兵の奮戦によって後退こそ免れたが、4-6-4歩兵軍団2個が昇天してしまう。
西部戦線では大攻勢を敢行。ベルギー領内で計18個軍団に攻城砲兵も含めた兵力で攻撃を加えたが、独軍の頑強な抵抗を前に兵力を消耗。この月だけで歩兵9個軍団、砲兵2個部隊を失うという空前の大被害を被った。

1917年4月

人的資源には比較的余裕のある仏軍は、先ほどの月に被った損害を8割方回復させた。しかし弱体化した仏軍戦線に対して独軍の猛攻が始まる。2ヘクスに対する攻撃で虎の子攻城砲旅団と歩兵軍団2個を消耗。独軍にも我に倍する損害を与えたものの、2ヘクスの地歩を敵に譲り渡す結果となってしまう。

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1917年5月

明らかに独軍の勢いが戻ってきた。攻勢継続に困難を感じる状況になってきたことは否めない。必要最小限の攻撃を行って独軍の兵力消耗を図りつつ、塹壕線を推進して独軍の突撃部隊(ストストルッペン)に備える必要がある。

1917年6月

合衆国商船「ルシタニア」号がUボートによって撃沈された。激昂した合衆国世論は大統領に対独参戦を迫り、米ウィルソン大統領は遂に対独参戦を決意した。オーバーゼアーを歌いながら続々と船に乗り込むアメリカンボーイズ達。彼らの到着は膠着した戦線を打破できるか・・・。

1917年8月

新兵器が登場した。その中は「タンク」。水槽ではなく戦車のことである。ミューズ川戦線に姿を現した戦車は、独軍要塞に対する攻撃で華々しいデビュー戦を飾る・・・はずだったが、DXの結果を受けて脆くも壊滅してしまう。初陣から脆さを見せる新兵器なのであった。

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1917年9月

先ほどの損害に懲りてミューズ川戦線では戦車なしの総攻撃が行われた。例によって独軍防御砲火その他により歩兵4個軍団を失ったが、独軍2個軍団を葬ったので良しとしよう。キルレシオ的には全然ダメじゃん。でもこちらは歩兵補充が余り気味なので、痛くも痒くもないんだい。

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1917年10月

独軍の秘密兵器ストストルッペンがいよいよ西部戦線に姿を見せ始めた。今までは主に東部戦線での攻勢支援に使われていたようであるが、部隊数が揃ってきたので西部戦線に回す余裕が出てきたのだろう。ストスルッペンの攻撃で仏軍歩兵2個軍団が昇天する。こちらも戦車2個旅団を投入して要塞攻撃し、ミューズ川の要塞を抜いて独軍歩兵軍団1個を壊滅させた。

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「ストストルッペンのテーマ」。「子連れ狼」のメロディで歌うと味があって良い。
「すとすとるっぺん、すとるっぺん、すとるーっぺん、(以下適当に歌詞作ってくらさい)」

1917年12月

ベルギー戦線では消耗戦争を仕掛ける。土地の奪取には拘らず高比率攻撃で独軍を消耗させていく戦い方だ。この攻撃は上手く行き、2ヶ月間で仏軍歩兵3~4個軍団を失ったが、ほぼ同数の独軍部隊を葬った。

1918年1月

遂に開戦から5年目に突入する。西部戦線では相変わらず消耗戦争を続けている。他の戦線でも同様であったが、この月の終りに衝撃的なニュースが入ってきた。キール軍港でドイツ水兵が反乱を起こし、それが全土に広がって遂にドイツ帝国が倒れたのだ。ここに3年半続いた「グレート・ウォー」は終了した。

とまあ、上では絵的に書いてみたが、ゲーム的には連合軍のサドンデス条件が満たされて勝敗が決したということである。TGoAにおける勝利条件は、同盟軍の支配している勝利得点都市の数によって決せられる。年毎に連合軍、同盟軍のサドンデス条件が設定されており、同盟軍の支配している勝利条件都市数が一定数以上だと同盟軍の勝利、一定数以下だと連合軍の勝利となる。今回のプレイでは、ロシア帝国が健在なまま1918年に突入したため、ロシア国内の勝利条件都市数が同盟側に加算されなかったこと。これが連合軍勝利の決定的な要因となった。上の事項を史実に準えて説明すると、史実のような共産革命が起こらなかったこと。これが連合軍の勝因といえる。その意味ではロシア戦線が連合軍の切り札となった訳であるが、この機会に西部戦線以外の他戦線の状況について、簡単に記しておきたい。

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他戦線の状況

大国ロシアが担当する東部戦線は、兵数に勝るロシア軍と練度で勝る独墺軍との間で一進一退の戦いを繰り広げられていた。初期の主戦場はポーランドで、ワルシャワ攻防が焦点になっていたが、1915年末にワルシャワが独墺軍の手に落ちた後も、ポーランド領内で両軍の鍔迫り合いが続いていた。この方面では両軍とも決定的な戦果を上げることができなかったが、史実のロシア軍ボロ負けに比べれば全然OKで、先にも書いたように同戦線でのロシア軍の奮戦が、連合軍勝利の最大の要因となった。

次にこの戦争そもそもの発端となったバルカン戦線について触れておきたい。この方面では当初オーストリア軍がセルビア軍を攻撃していたが、1915年5月にブルガリアが同盟側について参戦するに及んでセルビアは崩壊。しかしその後トルコとギリシアに英仏軍が上陸。同盟側についたトルコ軍と独墺軍に対し、英仏連合とギリシア軍が激戦を交えている。特に英軍は西部戦線からほぼ全兵力を引き抜き、バルカン戦線に送り込んでいた。同方面でも大きな前進はなかったが、同盟軍の兵力を吸引したという意味では戦争全体に貢献していた。

イタリア戦線は、1915年にイタリアが連合軍として参加。その後トリエステ奪回を目指して同盟軍と激闘を交えていた。アルプスの山岳地帯を巡る戦いでは、数に勝る伊太利軍と質に勝る独軍といった構図となり、両軍とも一進一退の戦いとなった。この方面でも大きな前進はなかったが、同盟軍の兵力をアルプス山中に引きつけたといった意味で、その貢献度は決して小ではない。

感想

このスケールでWW1を描いた作品がそもそも少なく、そういった意味において貴重な一作である。後発のPaths of Glory(GMT)(以下PoG)に比べると、再現方法がやや正直過ぎているため、「ゲームをしている」というよりは「作業をしている」といった感が強い点は否めない。またプレイに時間がかかる点も気になる(キャンペーンで20時間以上)。しかしシステムのツボを押さえれば(例えば自軍最強スタックの攻防力を把握する等)、プレイ時間の短縮は十分可能である。事実今回のプレイでは、プレイ時間20時間強でほぼ戦争全域を終えることができ、プレイヤーの慣れ如何でキャンペーンシナリオでも十分にプレイ可能なことを証明できた。
本作がWW1戦略級ゲームの最高傑作である、とまでは言わないが、佳作と言う評価に値する作品であると感じた。


Paths of Glory 1918/1919
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