

B.Allied Turn


パットン軍正面では、それまで抵抗を続けていたメルシュ(Mersch E2102)付近の独軍陣地が米軍の包囲攻撃を受けて遂に陥落した。パットン軍はメルシュを占領。ルクセンブルクから北に向かう進撃の準備が整った。

24AM
A.German Turn

クリスマスイブ。攻勢開始9日目にしてドイツ軍は遂に西方に向けた突破作戦を諦めた。独軍は南から押し上げてくるパットン軍の対処に注力すると共に、ベルギー西部に攻め込んだ各部隊は、米軍の包囲を掻い潜って東へ向けた撤退行動を開始する。その間、退路を阻む米軍部隊撃破や防御の基軸となる要域奪取のための攻撃を数ヶ所に渡って実施した。そのうちのいくつかは成功したものの、多くはヤーボの攻撃に阻まれて攻撃は失敗に終わった。ヤーボの恐ろしさを改めて知らされたドイツ軍なのであった。
事情はパットン第3軍の正面でも同様であり、反撃の主役として期待された第506重戦車大隊(8-4-5[5])が初陣でステップロスを食らってしまう。

B.Allied Turn

背後を脅威された独軍部隊。特に最前線に展開している第9SS装甲師団は、背後を断たれて壊滅の危機が迫った。

パットン第3軍はラロシェット(Larochette E1804)付近を守る突撃砲大隊を撃破。またメルシェ北方でも独第9装甲師団の戦闘グループを後退させせいたので、両側から挟まれた第15装甲擲弾兵師団のカンフグルッペが退路を断たれてしまう。

24PM
A.German Turn
ガス欠は第2SS、第9SS装甲師団と第2装甲師団。
最前線で孤立の危機にあった第9SS装甲師団は少しずつ後退を開始していた。それでも後退し切れないパンター戦車大隊(6-4-6[4])と第20装甲擲弾兵連隊(4-5-6)は殿として米軍の前に立ちはだかる。
マルシュの西側地区からは、戦車教導師団、総統護衛旅団の各部隊が撤退援護のために北へ向かってきた。ウルト川防衛線を守るためだ。

B.Allied Turn
西部戦線での米軍の反撃はウルト川の渡河作戦に移ってきた。2ヶ所でウルト川の渡河を試みた米軍は、1ヶ所で失敗したものの、もう1ヶ所で成功を収め、ノワジュー(Noiseux W1425)付近でウルト川を渡った。川向うでは、第9SS装甲師団を主力とする残存部隊がバイヨンビル(Baillonville W1525)付近で米軍の重囲下に陥った。
パットン第3軍の方も劇的な前進こそなかったものの、確実に前進を続けていた。
25AM
A.German Turn

ウルト川戦線では、第9SS装甲師団が包囲され、他の師団もその多くがガス欠ののために動けなくなっている。なんとかウルト川に沿って防御線を構築したいのだが、ウルト川戦線の東側に戻って来れる部隊数が極端に少ない。戦車教導師団と総統護衛旅団が道路沿いにウルト川戦線に向かうが、現時点ではまだ間に合わない。とにかくウルト川東岸を守る部隊数が少な過ぎる。
パットン第3軍正面では、包囲されている友軍部隊を救うべく高比率攻撃を2ヶ所で実施したが、またもや飛来してきたヤーボのために戦果を上げることはできず、友軍の損害のみが増えて行くだけだった。それでも増援として第167歩兵師団が戦場に到着し、戦線に加わったので、戦線は安定しつつあった。
B.Allied Turn

ウルト川西岸では、バイヨンビル付近で包囲されていた第9SS装甲師団の主力が、米第2機甲師団の攻撃を受けて壊滅した。さらにその南、マルシュでは、包囲を解かれた米第504空挺連隊(4-6-3)が勇躍反撃のために前進。独戦車教導師団の第902装甲擲弾兵連隊(4-5-6)を撃破し、独軍を東マップへ追いこんで行った。
さらにその南ではロシュフォールを米軍が奪回。この時点で西マップで独軍が保持している勝利得点都市は、セント・ヒューバート(St.Hubert W1414)とオットン(Hotton W1224)の2ヶ所となってしまう。

パットン第3軍は、砲兵支援による中比率(2-1)攻撃を4ヶ所で実施したが、いずれも出目に恵まれず、突破口を穿つには至らず。徒に損害を増やしていった。
25PM
A.German Turn
ガス欠は第2装甲師団と第2SS装甲師団。ウルト川戦線の独軍はとにかく後退するしかない。ウルト川戦線とはいっても、ウルト川は既に米軍の支配する所となり、独軍はその東を流れるエズヌ川(Aisne R.)の線まで下がって戦線を敷く。オットンも放棄した。パットン第3軍正面は、ドイツ側にさらに増援の1個歩兵師団(第9歩兵師団)が登場したため、戦線はかなり安定してきた。そこで重戦車大隊と中戦車大隊をウルト川戦線に急がせる。しかし戦線間の距離は遠いため、すぐには配置できそうにない。
B.Allied Turn



パットン第3軍正面では、左記の低比率攻撃失敗に懲りた米軍が3-1攻撃を3ヶ所で実施し、ラロシェット付近で勝利を収めた。包囲されていた独第15装甲擲弾兵師団の第104装甲擲弾兵連隊(5-7-6)が米軍の攻撃を受けて壊滅した。








