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YSGA追浜例会にてGMT社の傑作ゲーム、Paths of Glory(以下、PoG)をプレイしました。PoGのテーマは第1次世界大戦の欧州戦線で、1Turnが実際の3ヶ月に相当し、全20Turnで欧州の覇権を争います。マップはポイントトゥポイントで仕切られれ、ユニットは軍または軍団規模の地上部隊。航空機や艦船はユニットとしてではなく、イベントカードとして登場します。
Paths of Glory PoGの特徴として、カードドリブンシステム(以下、CDS)が挙げられます。今更な感もありますが、CDSについて簡単に説明すると、プレイヤーは毎Turn決められた枚数のカードを受け取り、それらのカードを組み合わせて作戦を遂行します。カードにはイベントカードとしての側面と作戦カードとしての側面の2つの面を持ち、プレイヤーはカードをイベント又は作戦カードのいずれか一方の目的でのみ使用できます。イベントカードには、イタリアの参戦やガリポリ上陸作戦、毒ガス攻撃等があり、それぞれ戦争の行方を左右します。
PoGの特徴の1つとして、カードが「動員」「限定戦」「総力戦」の3種類に分けられていることが挙げられます。一般に後半に登場するカードの方が強力なカードが多いのですが、「限定戦」や「総力戦」カードを使用するためには戦争段階を進展させる必要があり、いつでも使える訳ではありません。

今回、PoGをプレイするにあたり、下名が連合軍(英仏露側)を担当しました。ちなみに連合軍と相対するドイツ・オーストリア陣営については、中欧軍と呼称することにします。ルールは2004年に発表された第2版を使用しました。以下の選択ルールは全て採用しました。
 4.2.4:ロシア及びオーストリアに関する初期配置のオプション
 9.1.4:カードを7枚ではなく8枚引くオプション
 11.2.10:塹壕構築に失敗した際に、次ラウンド以降-1DRMを適用するオプション

1Turn(1914年8月)

イメージ 9中欧軍は定番通り「Guns of August」カードを使ってリエージュ要塞を一撃の元に陥落させる。この時、オーストリアから借りてきた305mm臼砲が要塞攻略戦に活躍したとかしなかったとか・・・。
さらにブリュッセルを守る英BEF軍(5-3-3)を攻撃し、これに損害を与えて撃破した。英軍はアントワープにまで後退し、同地を守るベルギー第1軍(2-3-3)と共にあくまでも守りきる体制を構える。

イメージ 11東部戦線では不用意に展開していたロシア軍に対し、独軍を中心とする中欧軍が機動戦を仕掛けてきた。ポーランド領内を駆け抜けてきた独軍1個軍団(2-1-4)がLutskにまで進出。ポーランド南部ルブリン付近でロシア2個軍が連絡線を断たれて壊滅の危機が迫る。慌てたロシア軍はポーランド、ロシア国境付近に3個軍を展開。Lutokに対して反撃の姿勢を見せる。ロシア軍の反撃を恐れたドイツ軍が退却したため、辛くも包囲を解囲し、ロシア軍は壊滅の危機を切り抜けた。

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2Turn(1914年9月)

東部戦線が危ない。ロシア軍が危ない。
イメージ 10焦りを感じた連合軍は、独軍の目を引き付けるべく西部戦線で攻勢を開始した。セダン攻勢の始まりである。奇しくも丁度34年前の普仏戦争において、プロイセン軍勝利を決定づける戦いの場になったセダンの地で、英仏両軍は反撃の先駆けとなるべく大攻勢を発動したのだ。
英仏軍にベルギー軍も加えて計5軍の大兵力からなる連合軍は、南北からセダンのドイツ軍2個軍(各5-3-3)を挟み撃ちする。しかしそこはドイツ軍。強い強い。反撃の第一陣である英白軍は、精鋭英BEF軍を失うという大損害を被った。その後仏軍3軍を投入した攻勢で漸くドイツ軍をセダンから後退させた。
西部戦線で英仏軍の反撃。BEF軍壊滅するも、その後の仏軍の攻撃でセダンから独軍を撤退させた。

その間東部戦線では、ロシア軍がポーランド・ロシア国境付近にまで後退し、戦線の整理を図った。

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セダン攻勢直後の西部戦線

3Turn(1914年秋)

イメージ 12両軍ともこの時期は積極的な攻勢を発動せず、お互いイベント合戦でWar Statusの上昇を図った。中欧側がライヒスタークの休戦協定(Reichstag Truce)で総力戦体制を強化すれば、こちらはベルギーにおけるドイツ軍の虐殺行為を宣伝し(Rape of Belgium)国民の戦意高揚を図る。ゲーム的に言えば、このTurn終了時点で両陣営とも動員体制から限定戦争大勢に移行した。その結果、トルコが中欧側に立って参戦する。

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4Turn(1915年冬)

イメージ 13今次大戦は、元々はセルビア人民族主義者が起こしたオーストリア・ハンガリー帝国(以下、オーストリア)の皇太子フランツ・フェルディナント公暗殺事件が発端である。そういった意味において、セルビアこそが今次対戦の張本人と言えるのだが、何故か今までは戦争の主要舞台から外れていた。既にオーストリア軍がセルビア国境に展開し、いつでも進攻を開始できる状態にあったのだが、他の戦線で忙しく、とてもセルビアにまで手が回らなかった、というのが真相だろう。
このTurn、そのセルビアがオーストリア軍の進攻を受けることになった。セルビア軍はプトーニク将軍の指揮の元、兵力優勢なオーストリア軍の攻撃に対して善戦したが、兵力の差は如何ともし難かった。首都ベオグラードが陥落。生き残ったセルビア軍はValjevoの山岳部に後退して再起を期したが、四方からオーストリア軍の猛攻を受け、最後は壊滅してしまう。
ゲーム的に言えば、後退先を誤って包囲を許してしまい、壊滅を早めたことは確かだ。いずれにしても壊滅するのは時間の問題だったといえるが、できればもう少し粘って欲しかったと思う。

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包囲攻撃下のセルビア軍。この直後に壊滅する。


5Turn(1915年春)

イメージ 14悪化するバリカン戦線の戦局を打開しようとして連合軍は外交交渉でルーマニアを自陣営に引き込むべく画策し、最終的にはそれに成功した。ルーマニアはすぐに中欧陣営側に対して宣戦布告する。
しかしルーマニアの参戦に対して中欧陣営にとって「待ってました」とばかりに大攻勢を実施。カルパチア山脈を抜けてルーマニア領内に殺到してきた。兵力微弱なルーマニア軍が強力な中欧軍に対抗すべくもなく後退。世界有数の産油地として知られるプロエシュチは、中欧軍の支配する所となった。
慌てた連合軍はロシア戦線からなけなしのロシア軍2個軍を投入。首都ベオグラードと北部のBerladにそれぞれ1個軍ずつ配置し、中欧軍の進出をこれ以上阻止しようとする。

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6Turn(1915年夏)

イメージ 15これまで傍観を決め込んでいたイタリアが、連合軍側に立って参戦した。ゲーム的に言えば、各地で退勢の続く連合軍が、少しでも中欧軍の戦争注意を逸らそうとして打った「破れかぶれの一手」に近い。しかし参戦したからといってすぐに動けるほどイタリアは便利ではない。まずは参戦した後、それから徐々に兵力を強化していく。これが所謂「イタリア流」だ。しかし中欧軍はそんな悠長な対応をしてくれない。東部国境地帯には早くもオーストリア2個軍が展開し、さらにアルプスの北側インスブルックには、ドイツ本国から転戦してきた精鋭2個軍が展開。アルプス越しに要域トレント要塞を攻めて、これを占領していた。

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イタリア参戦。しかし中欧軍はいち早く反応。イタリア軍配置の隙を突いてトレント要塞をほぼ無傷で占領した。


7Turn(1915年秋)

イメージ 9トレント要塞の重要性を知ったのは戦後のことであった。しかし今は目の前の状況に翻弄されて冷静な対応ができないでいる。
独軍2個軍の進撃は凄まじかった。動員未了のイタリア軍など物ともせず、その抵抗線を次々と撃破していった。ヴェニス、ボローニャが独軍によって占領され、生き残ったイタリア軍はミラン、ローマに展開し、なんとか生き延びているといった状況だ。

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イタリア北部を席巻する独軍

連合軍に危機が迫る。果たして連合軍はこの危機を乗り越えることができるか・・・。



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