「Here I Stand」って何?
高校の時に日本史を専攻し、世界史といえば中学校レベルの私にとって、マルティン・ルターも宗教改革も興味の対象外でした。「ヒアアイは傑作だよ」という話は以前から聞いていましたが、上記の理由に加えてマルチプレイヤーズゲームであることも手伝って、これまではプレイする機会のなかったゲームです。
高校の時に日本史を専攻し、世界史といえば中学校レベルの私にとって、マルティン・ルターも宗教改革も興味の対象外でした。「ヒアアイは傑作だよ」という話は以前から聞いていましたが、上記の理由に加えてマルチプレイヤーズゲームであることも手伝って、これまではプレイする機会のなかったゲームです。
この度、Here I Stand(GMT)をプレイしようと思ったのは、ゲームに対する興味というのも無きにしも非ずですが、それよりは物珍しさ見たさという要素が大きかったと思います。
今回、下名はプロテスタントを担当しました。ゲームタイトル「Here I Stand」が宗教改革の旗手ともいうべきマルティン・ルターのセリフなので、ある意味主役と言っても良い陣営です。実際の所、主役かどうかは別として、宗教的色彩が非常に濃い陣営なので(アタリマエなのですが)、軍事力を軸とする他の陣営とはやや異質な戦い方を必要とします。

ゲーム展開
1Turn(1517-1523年)



第1Turn終了時のプロテスタント勢力圏
宗教論争は攻撃側が能力+3個のダイスを振り、防御側が能力+1~2個のダイスを振る。お互い5,6の目が命中であり、命中数の比較して大きい方の勝ち。大きい方が差分だけ相手陣営の影響スペースを自分の影響下に変更できる。それに加えて差分が負けた側の論争能力を超えていると、負けた論客は「火炙り」又は「破門」となってゲームから除去される。今回はカトリック側がダイス7個、プロテスタント側がダイス6個を振り、命中数が4対1。ルターは「火炙り」こそ免れたものの、プロテスタント側スペース3箇所を失った。
Here I Standカードはプロテスタント陣営のホームカード(毎Turn固有に使えるカード)である。Here I Standカードが未使用の場合、プロテスタント陣営は論戦が起こった時に「私は立つ」と宣言してルターを論戦に投入できる(それ以外の場合はランダムに選択)。今回、カトリック側の論戦に対して「私は立つ」カードを使ってルターを立てたが、結果的にはこれは失敗だった。「火炙りの刑」になるリスクが(小さいとはいえ)存在していることももちろんだが、論戦の場合は防御に回るよりも攻撃に出たほうが有利になる。ルターのように能力に優れた論客は、敵のエース級と対決させるのではなく、雑魚狩りに使った方が効果的であった。

2Turn(1524-1527年)


勢いに乗るプロテスタント陣営はカトリック教会に対して論戦を挑んだ。「私は立つ」と言ってマルティン・ルターが論陣を敷く。対するカトリック陣営からは「さー安いよ、安いよ」と言いながら免罪符を売り歩いていたヨハン・テツェル(Tetzel[1])が論壇に立つ。しかしルターを前にして坊主なのか悪徳商人なのかわからないようなテツェルでは余りに分が悪い。論戦は予想通りルターの圧勝。余りに酷い敗北に悪徳坊主テツェルはカトリック教会を破門になってしまう。
これらの事件によってプロテスタント陣営は、このTurn終了時までライン川沿いの主要な選帝候スペース3箇所を勢力下においた。それはケルン(Cologne)、マインツ(Mainz)、トリーア(Trier)である。
第2Turn終了時のプロテスタント勢力圏
3Turn(1528-1531年)


さらに論文攻勢で南ドイツ語圏のリンツ(Linz)、グラーツ(Graz)を勢力下としたプロテスタント陣営は、さらにカトリック陣営に対して論戦を挑んだ。公開討論会で「私は立つ」と叫んでルターが立つと、カトリック陣営の論客ジェローム・アレンダー(Aleander[2])を論戦で圧倒した。ここでも不甲斐ない敗北を喫したアレンダーに対し、ローマ法王は破門を言い渡した。この公開討論会によってストラスブール(Strasburg)、ザルツブルグ(Salzburg)がプロテスタントに靡いた。ドイツ語圏で残るカトリックの牙城はウィーン(Vienna)だけになってしまう。

