タイトルがベタでなんだか胡散臭そうな「関ヶ原大作戦」(Game Journal#32)。関ヶ原ゲームが数多く出版されている中にあってあまり注目されていない作品であるが、プレイしてみるとなかなかどうして面白い。エンドターンが決まっていないため初心者同士がプレイしたら千日手になってしまう危険性がある。しかしベテラン同士、あるいはベテランと初心者が対戦したら十分に楽しめる。
このゲームはカードを使って行動するタイプのゲームである。では、カードドリブンか、といえば、実はそうではない。カードは実は行動チットの代わりに使っている。カードに直接行動可能なユニットが書かれているので、どのユニットが移動可能かどうかは悩む必要がない。
もう一点、このゲームの特徴的なルールが戦闘システムである。なんとこのゲーム、戦闘時に攻撃側が一方的に殴るシステムになっている(攻城戦除く)。どういうことかと言えば、攻撃側が攻撃を行うユニット毎にダイスを振り、火力値以下の目を出せば1ヒット得られる。この時、防御側による反撃は一切なし(攻城戦除く)。
「それじゃ攻撃側が圧倒的に有利じゃないか」
という声が聞こえてきそうだが、そこはひと工夫してあって、ユニットは1回のアクションで移動か戦闘がどちらかしか行えなくなっている。つまり攻撃側は敵を攻撃するためにまず移動で敵ユニットに隣接する必要があり、隣接したということは、元々そこにいた敵ユニットから先制攻撃を受ける可能性があるということだ。無論カードの出具合によっては接敵直後に同じ種類の行動カードが出て先制攻撃できる場合もある。その点カードの引きにより有利不利が結構厳しいが、その分展開が劇的で飽きない。その他ルールが簡単なのでハチャメチャな展開になることもあるが、それはそれで面白い。1~2時間で終わるゲームなので、何回もプレイできる点も良い。
もう一点、このゲームの特徴的なルールが戦闘システムである。なんとこのゲーム、戦闘時に攻撃側が一方的に殴るシステムになっている(攻城戦除く)。どういうことかと言えば、攻撃側が攻撃を行うユニット毎にダイスを振り、火力値以下の目を出せば1ヒット得られる。この時、防御側による反撃は一切なし(攻城戦除く)。
「それじゃ攻撃側が圧倒的に有利じゃないか」
という声が聞こえてきそうだが、そこはひと工夫してあって、ユニットは1回のアクションで移動か戦闘がどちらかしか行えなくなっている。つまり攻撃側は敵を攻撃するためにまず移動で敵ユニットに隣接する必要があり、隣接したということは、元々そこにいた敵ユニットから先制攻撃を受ける可能性があるということだ。無論カードの出具合によっては接敵直後に同じ種類の行動カードが出て先制攻撃できる場合もある。その点カードの引きにより有利不利が結構厳しいが、その分展開が劇的で飽きない。その他ルールが簡単なのでハチャメチャな展開になることもあるが、それはそれで面白い。1~2時間で終わるゲームなので、何回もプレイできる点も良い。
そこで今回、「関ヶ原大作戦」の簡易レポートを紹介する。プレイ時間はいずれも1~2時間ぐらい(2時間を超過することはまずない)。下名はいずれも西軍を担当した。
第1章 小野木公郷まさかの裏切り
序盤は静かな立ち上がり。東軍諸将が織田秀信守る岐阜城を陥落させると、西軍も宇喜多秀家が安濃津城を落とし、毛利元康が大津城を落城させていた。この時点で西軍が一歩有利にたち、秀頼公も大坂城を出陣。毛利輝元麾下の軍勢として東に向かう。関ヶ原正面では東軍黒田長政麾下の先鋒隊が関ヶ原を抜けて北近江に進出。佐和山城を急襲。これを奪取していた。西軍陣営に動揺が走る。その動揺が遠く丹後田辺城へ向かっていた小野木公郷の軍勢をも揺さぶった。西軍の動揺を見越した家康陣営はすかさず小野木勢に調略を実施。成功率1/6に過ぎなかったが小野木勢は見事に東軍に寝返った。田辺城に向かっていた小野木勢は突如反転。
「敵は大坂城にあり」
といったかどうか。そのまま大坂城へ南下した。大坂城には毛利輝元麾下の1部隊が守備隊として残留していたが、小野木隊はそれを撃破して大坂城を占領した。淀君はどうなったのか気になる所だが、話を先に進めよう。
さて、大坂城占領によってさらに戦局を有利に進めた東軍は、一気に雌雄を決すべく大垣城に強襲攻撃を仕掛ける。一方の西軍も宇喜多、大谷らが漸く関ヶ原の主戦場に到達。家康本隊も最前線に展開してきた。関ヶ原盆地に布陣した家康本隊に対し、高地を占めた宇喜多秀家隊が猛攻を仕掛けた。高度の優位を得た場合、自らの攻撃で攻撃力+1、相手の攻撃で攻撃力-1が適用される。従って高地から低地を攻撃すると、せの威力は凄まじい。高地を生かした宇喜多隊の攻撃は凄まじく、家康隊は大打撃を受けた。家康本隊を構成する6ユニットのうち、家康本人を除く5ユニットが壊滅。松平忠吉も戦死する。あと一撃、あと一撃で家康本人を討ち取り、西軍は奇跡の逆転勝利まであと一歩の所までキター。
この危機を救ったのが福島正則である。際どいタイミングで行動カードを引いた福島隊は家康本隊を収容。家康は正に九死に一生を得て戦線後方に下がっていた。一方前線に出た福島隊は南宮山と松尾山の間の低地に陣取っていた石田三成隊に目をつけた。「三成憎し」の一念に燃える福島正則は、石田隊に猛攻を加えた。石田隊に所属する島津、小西、島左近らは決して弱兵ではない。むしろ屈指の強兵ともいえた。しかしこの時は福島の攻撃が早すぎた。次々と繰り出されてくる攻撃に対し、石田隊は防戦一方で反撃の機会を掴めない。とうとう石田隊の周りには三成本隊のみになってしまった。
そして三成に奇跡は起こらなかった。石田隊壊滅。三成討死。この瞬間、天下分け目の決戦は終わった。
「関ヶ原大作戦」の勝利条件は2つある。1つは調略マーカーによる勝利だ。これは城を落す、敵の大名を討ち取る、調略によって大名を寝返らせる、ことによって調略マーカーを自軍側に動かすことができる。調略マーカーの位置がサドンデスラインに達すると、サドンデス勝利となる。もう1つは主将の除去。徳川家康又は石田三成を除去することで勝利できる。なお大坂城の落城は勝利条件にはならず、調略マーカーの移動のみに関係する。秀頼に至っては勝利条件に全く関係ない。
激闘関ヶ原 論争関ヶ原合戦 関ヶ原合戦の真実 関ヶ原-司馬遼太郎(上中下) 群雲、関ヶ原へ(上) 群雲、関ヶ原へ(下)