「関ヶ原大作戦」(Game Journal#32)は。多く出版されている関ヶ原合戦ゲームの中でも、プレイしてみるとなかなか面白い傑作ゲームである。そこで今回、「関ヶ原大作戦」の簡易レポートを紹介する。下名はいずれも西軍を担当した。
第1章-->こちら
序盤の展開は前回とほぼ同様だった。東軍が岐阜城を陥落させてポイントを獲得すると、西軍も宇喜多秀家が伊勢の安濃津城と松阪城を陥落せしめてすかさず同点。毛利元康隊が大津城を落城させるに及んでポイントで西軍が有利にたった。この状況を見た淀君は秀頼の出陣を許可。秀頼公が早くも大坂城の外に出た。
この時点で西軍は早くも勝利を確信。このまま秀頼公の威光を背景に福島、黒田ら豊臣恩顧の武将を調略戦で崩していけば良い。
その頃主戦場である関ヶ原方面では、北陸道から大谷吉継隊が到着し、要域赤坂に陣取る。しかし東軍も岐阜城を陥して勢いに乗る福島、黒田の両隊が赤坂に陣取る大谷隊に殺到した。地形的には有利な場所に陣取っていた大谷隊であるが、この時の東軍は強かった。西軍脇坂安治、朽木元綱が次々と討死。大谷吉継にも危機が迫る。大垣城を急遽出撃してきた石田三成が大谷と合流。大谷吉継は辛くも窮地を脱した。
その後、石田と黒田、福島両隊が赤坂の地を巡って激闘を繰り広げることになる。西軍の攻撃で東軍黒田長政隊が大損害を被りほうほうの体で後退していく。一方の石田隊も福島正則隊の猛攻撃を受けて苦戦を強いられる。結局石田三成隊は赤坂を放棄。笹尾山と松尾山を結ぶ線上に後退した。
その後、石田と黒田、福島両隊が赤坂の地を巡って激闘を繰り広げることになる。西軍の攻撃で東軍黒田長政隊が大損害を被りほうほうの体で後退していく。一方の石田隊も福島正則隊の猛攻撃を受けて苦戦を強いられる。結局石田三成隊は赤坂を放棄。笹尾山と松尾山を結ぶ線上に後退した。
東軍は引続いて大垣城攻略に着手する。福島、細川、池田等の他に、戦場に到着した徳川家康隊が加わり、大垣に猛攻を加える。大垣城は守備隊2隊で守られており(他の城はいずれも0~1隊)、それなりの抵抗力が期待できた。東軍の猛攻で大垣守備隊はかなりヤバイ状態になったが、大津方面から転進してきた毛利元康隊が大垣城に到着。大垣城の危機は一応回避された。
東軍は大垣西方から突破を企図。家康本隊を含む主力部隊が南宮山の北側から関ヶ原盆地を目指す。一方伊勢方面から転進してきた宇喜多秀家隊が家康本隊を側面を痛撃した。家康本隊6ユニットのうち3ユニットを除去。残り3ユニットがステップロスした状態で戦線後方へ下がっていく。
変わって前線に登場してきたのは福島正則隊である。福島隊は笹尾山に陣取る大谷吉継隊を強襲した。大谷隊は島津、島左近といった精鋭部隊からなる打撃部隊に再編制されていたが、ユニット数が3ユニットとやや少ない。そしてそこを突かれると脆い。福島隊の猛攻を受けて大谷隊は壊滅。大谷吉継も討死してしまう。
福島隊は関ヶ原を抜けて近江に進出。そのまま佐和山城を強襲しこれを陥落せしめていた。
福島隊は関ヶ原を抜けて近江に進出。そのまま佐和山城を強襲しこれを陥落せしめていた。
ここで流れが変わった。調略戦で東軍が有利に立ったため秀頼公による調略作戦が使い辛くなってしまった。それにしても秀頼公出陣後一度も秀頼による調略カードが出なかったのが痛い。
大谷討死さらには佐和山陥落等で再び調略戦で優位に立った東軍は、南宮山に陣取る吉川広家隊に対して調略を実施した。調略に成功して吉川広家は東軍に寝返った。しかし南軍山の麓に陣取っていた宇喜多秀家が吉川広家をすかさ猛攻。これを壊滅せしめていた。
近江戦線では佐和山を落した後の福島隊が敦賀に向けて北上した。敦賀城には石田三成がいる。石田三成を倒せば東軍のサドンデス勝利だ。敦賀に接した福島隊が城攻めに差し掛かる。その時石田三成が叫ぶ。
「秀頼さまが御出馬されておるぞ、ぬしは秀頼様に弓を引けるかぁ」
最初は三成の恫喝を無視していた正則であったが、二度目に同じ恫喝を受けた時は遂に屈した。
「すまん、俺が間違っていた」
福島隊は西軍に寝返ったのである。
「秀頼さまが御出馬されておるぞ、ぬしは秀頼様に弓を引けるかぁ」
最初は三成の恫喝を無視していた正則であったが、二度目に同じ恫喝を受けた時は遂に屈した。
「すまん、俺が間違っていた」
福島隊は西軍に寝返ったのである。
敵側非主戦派大名を寝返らせる方法として、調略と恫喝がある。いずれも専用カードを引くことにより実施可能。またそのためには東軍は家康が盤上に存在していること。西軍は秀頼公が出陣していることが条件だ。調略はリスクなしで盤上にいる敵側非主戦派武将1名を寝返らせることができる。リスクはない代わりに成功率はそれほど高くない。また盤面の状況が自軍に有利と判断される(調略マーカーの位置で表現されている)状況でなければ調略できない。一方の恫喝であるが、これは調略マーカーの位置に関係なく実施でき、かつ成功率も比較的高い(秀頼、家康に隣接した状況で実施すると成功率2/3)。しかし失敗すると調略マーカーとすべての戦意マーカーが2マス敵側有利に移動すると、リスクは大きい。ちなみにマーカーが2列移動というのは、岐阜、佐和山、大津、大坂といった大規模城郭が陥落した場合と同じ効果がある。 上記の例については、石田三成に隣接した福島正則に対して西軍が恫喝を実施。最初の試みは失敗しマーカーが2列東軍側に移動したが、2回目の試みで成功。福島正則が西軍についた。
期待の福島正則がまさかの裏切りによって東軍の作戦は、大幅な変更を強いられることになった。家康本隊が僅か3ユニットにまで削られながらも関ヶ原盆地を突破。琵琶湖畔に進入した。琵琶湖東岸を南下した家康隊は西軍の反撃を回避しつつ水口城を占領した。それを西軍宇喜多秀家隊が追う。伊賀上野から大阪を目指す家康本隊。それを追う宇喜多隊。家康本隊が大坂城に達した時、その後方から宇喜多隊がすぐそこまで来ていた。家康本隊にまたもや壊滅の危機が迫る。
この危機を救ったのは、遠く美濃に展開中の徳川秀忠隊と細川、池田の各隊だった。彼らは大垣城を強襲。これを陥落せしめていたのである。大垣城の陥落によって調略ポイントが東軍側サドンデスラインを越えたので東軍の勝利が確定した。
感想
何度プレイしても盛り上がる傑作ゲームである。プレイ時間も1~2時間とお手軽で、ルールも至ってシンプル。初心者でも無理なくプレイできる。無論欠点がない訳ではない。松尾山がなぜか城郭になっていたり、清州方面から西へ向かう道がなぜか全て大垣城の前面を通るようになっていたり(長良、木曽、揖斐の下流域には何故か橋がない)、石田三成の配下に何故か小西行長や島津義弘がいたりと、細かい点を挙げればキリがない。そういった意味で本格的な戦国ファンの方にとっては眉をひそめる部分もあるだろう。しかしそのような細かい欠点を補って余りある面白さが本作にはある。数ある関ヶ原ゲームの中では決してメジャーとは言えない「関ヶ原大作戦」。タイトルやコンポーネントに騙されず、一度プレイして頂きたい。病みつきになること請け合いの傑作ゲームである。
P.S. 本作もVASSALによるメール対戦に好都合な作品です。もしVASSALによるメール対戦でお相手頂ける方がいらっしゃいましたら、お声掛け下さい。
激闘関ヶ原
論争関ヶ原合戦
関ヶ原合戦の真実
関ヶ原-司馬遼太郎(上中下)
群雲、関ヶ原へ(上)
群雲、関ヶ原へ(下)