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謙信上洛は、1990年にツクダホビーから発表されたシミュレーションゲームである。テーマは上杉謙信による上洛戦で、「天正6年(1978年)に急死した上杉謙信が、もし死なずに上洛戦を敢行したら」という仮想戦である。プレイヤーは織田方と反織田方に別れ、畿内一帯の支配を目指して戦う。

本作は1990年にオリジナル版が発売された後、2013年にGame Journal誌から再販された。再販にあたってはオリジナルルールの他、上杉、武田を強化するためのオプションユニットが追加された。オリジナルのままでは上杉方に勝機が乏しいという配慮からの追加である。仮想戦なのでどちらが有利か、という議論自体に余り意味はないのだが、個人的には「史実で負けた側が不利なぐらいが丁度良い」と思っているので、上杉方を強化するオプションはあまり好みではない。

という訳で今回はオプションなしでプレイしてみることにした。オプションなしでは上杉方が不利ということなので、必然的に下名が上杉方を担当することになった。

それでは早速プレイスタートする。

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1Turn(天正6年6月上旬)

イメージ 8このゲーム、序盤は主役たる上杉謙信は登場せず、専ら畿内方面での戦いとなる。毛利家から増援部隊が2部隊(4000名)到着。野戦指揮能力を誇る雑賀衆(6-2,戦闘能力-行動力,以下同じ)が石山城(後の大坂城)に海路から入城する。雑賀衆の指揮の元、本願寺勢、毛利勢等を加えた約16,000名の兵が、荒木村重(3-3)、佐久間信盛(2-2)率いる12,000名の織田勢を攻撃する。兵力面でも優位に立ち、戦術指揮能力でも勝る雑賀衆以下が織田方を圧倒。荒木、佐久間らは退却し、石山城の包囲は解かれた。

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2Turn(6月中旬)

イメージ 9丹波の園部城(3-3,耐久力-強さ)が明智光秀麾下の斎藤利三(4-4)の包囲攻撃を受けて落城した。
このゲーム、包囲攻撃の効果が大きい。どんな城でも包囲攻撃で一撃落城の可能性がある。それは籠城している部隊の内容にもよるが、その確率は1/18~1/4である。だから大兵力を城に篭らせると瞬殺される恐れがある。
因みにこの次回作である「真田軍記」では、包囲戦の手順が少し変更になっており、一撃落城の可能性がなくなっている。どちらが良いかは判断が難しいが、「謙信上洛」の攻囲戦はやや「落ちすぎ」感があるのは否めない。
ともあれ、畿内地方の動きに関係なく、春日山を発した上杉謙信(6-5)麾下の軍勢計4万以上が北陸道を西進。一路京を目指している。その先鋒である上杉謙信本隊は富山城に到着した。
また甲州躑躅ケ崎城(3-1)からは武田勝頼(5-4)麾下の計2万の兵が進発。富士川沿いに南下した武田隊は駿河の国を西へ進み、大井川の左岸に到着した。

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3Turn(6月下旬)

イメージ 10このTurnに大事件発生。宇喜多家が毛利家を離反。織田方についたのだ。これにより毛利家も対織田戦どころではなくなった。石山入りしていた毛利家の兵力は全て撤収。瀬戸内海の制海権を握っていた村上水軍も撤収してしまう。
このゲーム、イベントの効果が大きく、その結果如何でかなり戦局が動く。今回出た「宇喜多離反」は反織田方にとってはかなり痛い内容だが、発生確率は毎Turn1/36~1/12。通常は1/18程度だからそれほど高くはない。それでも毎Turnチェックするので「出ない」とは断言できず、運が悪ければ当たってしまう。他にも「雑賀中立」も反織田方にとっては「痛い」イベントだ。
逆に織田方にとって痛いのは、なんといっても「義昭挙兵」で、これが出ると先の「宇喜多離反」が無効化されるだけではなく、毛利全軍、宇喜多全軍、さらにその他の中小豪族が全て反織田方につく。これが出る確率は毎Turn1/36~1/12。ただしVPで5点以上反織田方が優位に立っていないと出ないので、なかなか難しい。序盤は織田方がVPを荒稼ぎする展開になるので、VPを逆転させるのに時間がかかるからだ。

イメージ 11ともあれ宇喜多の離反によって畿内における反織田方の攻勢能力はかなり殺がれることになった。その影響が出たのか、丹波の八上城(4-3)が明智光秀(4-4)麾下約1万の包囲攻撃により落城。城主である波多野秀治(4-1)は切腹して果てた。史実では1年以上かかった包囲戦だが、本作では僅か10日。ゲーム上の演出とはいえ、やはり少し脆すぎるのでは、と思わざるを得ない。

畿内では反織田方にとって不利な状況が続いているが、外縁部では反織田方による攻勢が強まっている。
北陸道をひた走る上杉謙信は加賀国に入り、一向宗徒と合流。兵力を拡充した。次Turnからはいよいよ越前攻勢が始まる。
[勝頼]東海道では、大井川を渡河した武田勢が遠江に進出。徳川家康(5-5)の本城である浜松城(9-3)を囲んだ。徳川家康本隊は、その頃遠く関ヶ原付近にまで進出しており、浜松を守る軍勢はいなかったのだ。丹羽長秀(2-4)、滝川一益(4-3)率いる2万余の兵が浜松目指して急行中ではあったが、岡崎付近を進軍中で、未だ浜松付近には現れていない。浜松を囲んだ結果、徳川本隊は補給源を失い、補充能力を失ったばかりではなく、毎Turn損耗チェックを強いられることとなってしまう。

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4Turn(7月上旬)

イメージ 12越前へ侵攻した謙信隊は一向宗徒と合流し、越前における織田方の本城たる北ノ庄城(12-3)を囲んだ。上杉勢は約4万の大軍。対する織田勢は、織田信雄(2-2)麾下の僅か2000名余である。20倍の敵を前にしてさすがの織田勢も苦戦。しかしさすがに北ノ庄は名城で、そう簡単には落ない。城の耐久力を7レベルダウンさせるも、上杉方も5ステップの損害を被った。やはり強襲は痛い。

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5Turn(7月中旬)

イメージ 13播磨の三木城(7-4)が織田方の包囲攻撃により落城する。別所長治(1-0)麾下6000名の兵も尽く自刃して果てた。6000といえばそれなりの大軍。それが包囲攻撃で無為に失われたのは痛い。とはいえ、能力的に劣る別所長治では、城から討って出ても返り討ちに合うのは必定。結局時間稼ぎ以外には役に立たない別所長治や、哀れ。別所め、さっさと織田方に寝返ってくれれば良いものを、下手に頑張ってくれたため7VPも織田方に献上する羽目になってしまった。

イメージ 14とはいっても反織田方にとって悪い事ばかりではない。このTurnのイベントで織田方の武将、荒木村重(3-3)が反織田方に寝返ったのだ。強固な有岡城(12-3)に籠城する荒木村重に対して、さすがの織田方も簡単には手出しができない。主戦兵力である織田信長(3-5)麾下の軍勢は、上杉の南下に備えて越前・近江の国境たる栃ノ木峠に布陣していたし、別働隊たる丹波、滝川らの軍勢は、浜松城を攻める武田勢を攻撃すべく、三河国を東へ向かっていたからだ。他には明智光秀、羽柴秀吉(3-5)らの軍勢があったが、明智勢は丹波の山中で攻城戦を戦っていた。そこで織田方は羽柴秀吉麾下の軍勢約1万を急遽有岡城に向かわせる。

浜松を囲む武田勢も戦果を挙げていた。このTurn、浜松城が包囲攻撃により落城していた。徳川方は補充源を失ったのである。

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