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ソフィア会でプレイした「関ヶ原大作戦」の対戦記録です。

第1戦:西軍担当

西軍としての基本戦略は、序盤は東軍にある程度得点を与えておき、後半家康公が登場する前に大津城、安濃津城、田辺城あたりで加点して逆転しておく。後は秀頼公に御出陣願って、調略戦で東軍を切り崩す、というのが基本スタイルだ。

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イメージ 10序盤は予定通り岐阜城が東軍の攻撃によって陥落。しかし西軍も毛利元康隊が大津城を落して状況を互角に持ち込む。さらに西軍宇喜多隊が伊勢路で安濃津城を陥落せしめ、状況を西軍有利にした。
ここで家康公が登場。また東軍黒田長政隊が関ヶ原盆地に進出。赤坂に陣取る大谷吉継隊に接敵する。西軍は赤坂に陣取る大谷隊で黒田隊を強襲。大谷吉継の優れた野戦能力と地形効果も手伝って黒田隊に大損害を与える。
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イメージ 11ここをチャンスと見た西軍は大垣城から石田三成公が出撃し、黒田の背後を押さえる。退路を断たれた黒田隊は窮地に陥り、結局壊滅することになるのだが、その時徳川家康本隊がまさに大返しを行って大垣城下に出現。石田三成隊の背後を脅威する。

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イメージ 12慌てた石田隊は大垣城への引き上げを画策するが、こういう時に限って何故か石田の移動カードが出てこない。石田隊は家康本隊、福島正則隊等から集中攻撃を受け、哀れ、壊滅の憂き目を見た。

東軍のサドンデス勝利。

敗因は石田三成を安易に大垣城から出撃させたことだろう。黒田隊如き小物に拘り、大駒を動かしたのが失敗だった。


第2戦:東軍担当

気を取り直して第2戦。今度は東軍を担当する。
東軍の基本戦略は電撃戦。可能な限り速やかに関ヶ原の防衛ラインを突破、近江地方に抜けて西軍城郭の奪取を狙うのが基本スタイルだ。

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序盤東軍の動きが良く、犬山、岐阜の城郭が次々と陥落する。また東軍の先鋒は要域赤坂を押さえて西軍の大垣城周辺を北から脅威する。

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中盤、家康隊が盤上に登場した時点で調略は東軍有利。あとは調略戦で西軍を潰していけばよいは、と思った矢先、西軍の猛反撃が始まった。

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イメージ 13まず大津城が陥落、さらに秀頼公が出馬と立て続けに西軍有利な状況となる。
慌てた東軍は関ヶ原方面を突破した黒田長政隊が長躯北陸の敦賀城を落とし、さらに北の庄を落とす。そしてその先にある丹羽長重が守る金沢城に攻めかかった所で、背後から西軍毛利元康隊が追尾してきて黒田隊の背後を塞いでしまう。高地に陣取り、かつ立花宗茂といった武勇に秀でた武将を持つ毛利元康隊の威力の前に黒田隊はかなりヤバイ状態になってしまう。

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イメージ 15そうこうしている間に丹後田辺城も小野木隊の攻撃を受けて陥落。このままでは状況が悪化するばかりと判断した家康公は起死回生の策に打って出た。松尾山に陣取る西軍小早川秀秋隊に接近していた福島正則隊に命じて小早川隊に鉄砲を撃ちかけたのである。明らかな恫喝であった。小早川が恫喝に屈して東軍に寝返れば良し。しかし失敗すれば西軍全体が一致団結するばかりではなく、東軍内の動揺も招く恐れがあった。

確率1/2で振ったダイスは"2"の目が出た。危うい所で小早川秀秋が東軍に寝返り、状況は再び渾沌としてきた。
その間危機に瀕していた黒田長政隊も、富山方面から攻め込んできた前田利長隊の援護もあって小松城を落とし、これによって危機を脱した。

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イメージ 14そうこうしている間に家康公が仕掛けた次の手は、伊賀上野に陣取る鍋島勝茂である。全般状況が東軍に有利な状況になってきたので、危険な恫喝ではなく安全な調略を仕掛けた。何度かの失敗の後、遂に鍋島勝茂は東軍に寝返った。

鍋島勝茂の寝返りが決定打となった。やがて調略レベルが東軍のサドンデスラインを越えて東軍の勝利が確定した。

感想

イメージ 16相変わらず面白い。合戦や攻城戦によって大まかな流れができるが、それとは別に恫喝戦等の一発逆転があってハラハラドキドキ感はたまらない。ルールブックの書き方にやや曖昧な点があること、マップの地形が恣意的にデザインされていること等、小さな問題点があることは否定しない。しかし短時間で楽しめてルールも簡単、初心者でも上級者とある程度渡り合える、分かりやすいゲームシステム等、佳作以上の作品であることは間違いない。


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