先日の山科会で、「関ヶ原1600」(EP/SSG)をプレイしました。この作品は、1980年代初頭にエポック社から発売されていた「ワールドウォーゲームシリーズ」の1作で、テーマはタイトル通り関ヶ原の合戦です。
このゲームは当時比較的シンプルなゲームを多くデザインしていたレックカンパニー(エポック社WWGシリーズの主要なデザインチーム)作品としては珍しく、かなり複雑なルールになっています。ルール量が多いのも勿論なのですが、メインマップでの移動戦闘、全国マップでの移動戦闘、そして盤面の局面とは別のルールで繰り広げられる調略戦。多重構造のルールになっているのでその分複雑です。しかもそれぞれの要素が相関関係を持っていて、それぞれの相関についても注意する必要があるので、プレイ自体もそれなりに複雑。盤面上の局面だけではなく、常に他の要素との関連をも含めて考慮しなければなりません。詰まる所、いきなり初心者が手を出して上級者と戦っても、余程の事がない限り勝ち目はないと思われます。
このゲームは当時比較的シンプルなゲームを多くデザインしていたレックカンパニー(エポック社WWGシリーズの主要なデザインチーム)作品としては珍しく、かなり複雑なルールになっています。ルール量が多いのも勿論なのですが、メインマップでの移動戦闘、全国マップでの移動戦闘、そして盤面の局面とは別のルールで繰り広げられる調略戦。多重構造のルールになっているのでその分複雑です。しかもそれぞれの要素が相関関係を持っていて、それぞれの相関についても注意する必要があるので、プレイ自体もそれなりに複雑。盤面上の局面だけではなく、常に他の要素との関連をも含めて考慮しなければなりません。詰まる所、いきなり初心者が手を出して上級者と戦っても、余程の事がない限り勝ち目はないと思われます。
そんな「関ヶ原1600」ですが、過去プレイ機会2回で未だに初心者マークを付けた下名が、果敢にも本作に挑戦してみることにしました。今回下名は西軍を担当。過去2回はいずれも東軍だったので、西軍をやってみたい、と思ったのが動機です。
1Turn


2Turn

美濃路では、木曽川の線を越えた東軍主力が岐阜城前面に姿を現した。先の米野の会戦で主力を失った織田秀信隊にとって残った兵力は僅か1000名余りの守備兵のみ。しかしその時援軍が到着した。島津義弘。西軍きっての猛将が昼夜兼行での強行軍の末、岐阜城に入城してきたのである。意気上がる守備軍。
そしてさらに異変は続く。

攻城戦は激しいものになったが、稲葉山の天嶮に寄る岐阜城の守りは固かった。さすがに故信長公が精魂を込めて作り上げた名城だけのことはある。東軍の猛攻を何度も跳ね返し、一方の東軍に手痛い打撃を与えていた。


3Turn

と、その時、大津方面から長躯挺進してきた立花宗茂隊約4000が金華山の背後から現れた。彼らは城の裏手から続々と岐阜城に入場する。さらにその後方からは、伊勢路から馳せ参じてきた宇喜多秀家隊約15,000も長良川の背後に陣取る。長良川を強引に渡河しようとした東軍池田輝政隊の側面を宇喜多隊が痛撃。池田隊は宇喜多隊の猛攻を支えきれずに後退していく。岐阜城の正面から攻める福島、黒田、細川らの各隊も、守りを固めた城に対する城攻めは難渋を極め、徒に損害を増していった。
とうとう損害に耐えきれなくなった東軍は岐阜城の前面より後退。岐阜城攻防戦は西軍の勝利に終わった。

6Turn

焦った西軍は、こちらも兼ねてから調略を進めていた東軍池田輝政に対し、計80万石で寝返りを促した。西軍としては乾坤一擲に賭けに出たが、東軍もそこは手抜きをしていなかった。東軍や約束していた50万石の加増と、現在の所領35万石が西軍の提示した80万石を僅かに上回った。池田輝政は東軍に留まり続けることとなる。
池田の寝返りが成功すれば、西軍としてはサドンデスラインに逃げ込めるだけに、返す返すも残念な場面であった。

吉川の寝返りは兎に角、この期に及んで西軍が濃尾平野北西部の城攻めを仕掛けたのは奇異に感じる方もいるかもしれない。これは単に西軍プレイヤーたる私のポカミスである。地図の真ん中に東軍の城が残っているということ自体が予想の外で、揖斐川以西の城は全て西軍側だと思い込んでいたのが、そもそも勘違いの発端であった。






