戦略級関ヶ原を終了した時、まだ2時過ぎだった。そこで新作「フリードリヒ最大の危機」をプレイすることにした。下名は反プロイセン軍を担当する。
1756年8月
最初のTurnはプロイセン軍のみが行動できる。プロイセン軍は、マグデブルグより出撃し、フリードリヒ(★★3)率いる1個軍団(8戦力)がザクセンのトルガウ要塞を攻撃。ベフェールン将軍(★1)率いる1個軍団(8戦力)がライプチヒに攻め込む。両要塞は瞬時に陥落。勢いに乗るフリードリヒ本隊は、要域ドレスデンに攻め込むが・・・。1756年10月
ドレスデンを囲むプロイセン軍だったが、ドレスデンにこもるザクセン軍はルトヴィスキ将軍(★★1)指揮の元奮戦し、ドレスデンを守り通した。城外で野陣を張るフリードリヒ軍に厳しい冬が近づいている。1757年2~6月
年が明けてオーストリア軍が本科的に動き始めていた。モラビアのオリュミッツを囲むプロイセン軍の背後を付いたブラウン将軍(★★2)がシレジアに進入。グラツ要塞を起点としてシレジア領内を席巻し、ブレスラウを含む北部シレジア地方の大半を制圧していた。オリュミッツを囲むプロイセン軍は連絡線を断たれて壊滅の危機が迫る。1757年8月
プロイセン軍はオミュレツの包囲を解き、グラツ、シュフィドニツァの奪回を狙ってきた。一方、オーストリア軍FM ブラウン将軍率いる1個軍団がドレスデンを囲むフリードリヒ軍を襲った。プロイセン軍は斜行陣を駆使して迎え撃ったが、度重なる消耗で疲れきったプロイセン軍にオーストリア軍を打ち破る力はなかった。フリードリヒ軍は大損害を被って後退し、ドレスデンの包囲は解かれた。1757年10月
ロシア軍が動いた。3個軍団(24戦力)の大戦力で東プロイセンのケーニヒスベルグを囲む。24戦力もの大戦力で攻撃を受けたら、さしものケーニヒスベルグもひとたまりもない。ケーニヒスベルグは陥落し、ロシア軍は、西に向けた門を確保した。1758年2月
冬季Turnを経て兵力を回復した反プロイセン軍。いよいよプロイセン軍に止めを刺すべく行動を開始する。まずオーストリアのFM ブラウン将軍率いる1個軍団がシレジア地方のシュフィドニツァ要塞を襲う。要塞を守るプロイセン軍は粉砕され、オーストリア軍はオリュミッツとブレスラウを結ぶ連絡線を確保した。
ソルティコフ将軍(★★2)率いるロシア軍3個軍団(24戦力)はケーニヒスベルグから出発。ポーランド領内のダンツィヒに襲いかかる。ダンツィヒを守るプロイセン軍は瞬殺されてしまう。
1758年4月
プロイセンに止めを刺したのは、西から攻め上がってきたフランス軍であった。アーヘンを出撃したフランス軍は、プロイセン、ハノーヴァー連合軍の守備の隙を付いてウィーゼル、ミンデン、ハノーヴァー、さらにはプロイセンの本拠地とも言うべきマグデブルグまで電撃的に占領した。カードプレイによってマグデブルグを取り返したプロイセン軍であったが、抵抗もそこまでだった。Turn終了時にプロイセン軍が支配したいる策源は、ステッテン、ベルリン、マグデブルグ、ライプチヒ、ハンブルグ、そして英本土の3箇所で計8ヶ所。Turn終了時に支配下の策源地が8ヶ所以下の場合、プロイセン軍の敗北になる。
感想
ここまでのプレイ時間は約2.5時間だった。全Turn数の1/4ぐらいが経過した時点での所要時間なので、フルTurnプレイしたら10時間以上かかりそうである。今回は反プロイセン軍の勝利に終わったが、このゲーム、確かにプロイセン軍は難しい。プロイセン軍にとってはやり甲斐のあるゲームだが、最終Turnまでやり遂げるには相応の根気と技量が必要になりそうである。ただルールは簡単で面白いゲームなので、機会を見つけて再戦したい。
追記: 後でルールを確認した所、今回のような「敵の隙をついた電撃侵攻」は不可能であることがわかった。というのも、敵地の支配権を得るのは手番終了時なので、敵地スペースに進入したら、その手番ではそれ以上奥には進めない、というのが正しいルールらしい。 今回の例で言えば、フランス軍は最初にプロイセン側が支配しているウィーゼルに進入した時点でその手番はそれ以上奥には進めなくなり、ハノーヴァーやマグデブルクまでは進撃できないということになる。