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前回、山科会で大敗を喫して以来の対戦となる「フリードリヒ最大の危機」。今回も前回同様反フリードリヒ側を指揮することになった。
順当に戦えば有利と言われている反フリードリヒ側だが、果たして順当に行くだろうか・・・?

1756年

8月

イメージ 12プロイセン軍は定石通りザクセンを攻める。まずライプチヒが陥落。その後トルガウ、ドレスデンが陥落する。東プロイセンではレーワルト将軍(★1)率いる6戦力がダンツィヒを陥落させていた。

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1757年

2月

年が明けて1757年。オーストリア軍は主力をモラビアのオリュミッツに集結させる。

4月

フランス軍が動いた。ライン河畔から北上、ウェーゼル河畔の要域ミンデン要塞を無血占領する。

6月

イメージ 13ロシア軍が動いた。アプラクシン将軍(★★1)率いる24戦力が東プロイセンに侵攻。ケーニクスブルクを占領する。
フランス軍はウェストファリア一帯に版図を広げていく。
プロイセン軍はボヘミア侵攻開始。フリードリヒ(★★3)率いる16戦力がプラハの城塞を囲む。

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8月

イメージ 14イメージ 15スウェーデン軍のハミルトン将軍(★1)率いる5戦力がバルト海に面した港湾都市ステッテンを囲んだ。大要塞に対して如何にも攻撃兵力の少なさが気になるが、それでもスウェーデン軍はステッテン守備隊に対して2Hitを与えていた。
それに対してプロイセン軍はハインリヒ親王(★2)率いる7戦力をベルリンから出撃させてステッテンに向かわせた。スウェーデン軍5戦力とプロイセン軍7戦力の戦い。兵力と指揮能力で勝るプロイセン軍であったが、スウェーデン軍は地形を巧みに利用(森林カードを使用)した。ダイス目の手伝ってスウェーデン軍の圧勝。ハインリヒ親王はほうほうの体で撤退していく。

フランス軍はクレモント(Clermont)将軍(★★1)率いる8戦力がカッセルから東に向かい、プロイセンとの国境付近ロスバッハにまで進撃してきている。

オーストリア軍がモラビアからシレジアに侵攻。オーデル川沿い(要するに右側ルート)に北上し、ナイセ要塞を占領した。プロイセン軍はプラハを攻めるも、プラハはまだ落ちない。冬が近い。

10月

冬を目前前にしてプラハが陥落した。これでプロイセン軍は一息ついた。
ロシア軍はダンツィヒからヴィスラ川沿いに南下し、トルン要塞を陥落させていた。
オーストリア軍がロシア軍に呼応してシレジアを制圧したい所だが、ここでチットを引かずにTurn End。ここでTurn Endはちと痛い。

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1758年

2月

英ハノーファ軍がウェストファリアで反撃に転じた。ブラウンシュバイク公(★★2)率いる8戦力がエムデンからリンゲンに南下してくる。

4月

スウェーデン軍が遂にステッテンを陥落させた。これでプロイセン北東部に拠点を得た反プロイセン軍。これに対してプロイセン軍はさらなる苦境に陥る。

イメージ 16プロイセン西部国境ではロスバッハに前進してきた仏軍クレルモン将軍率いる8戦力に対し、フリードリヒ率いる11戦力が反撃のために出撃してきた。兵力と指揮能力に勝るフリードリヒ軍であったが、湿地に阻まれて大苦戦。まさかの敗北を喫したフリードリヒは、ライプチヒに向けて後退するしかなかった。

カンバーランド公(★★0)率いる英ハノーファ軍はミンデン要塞を囲む。

8月

イメージ 17フリードリヒを破って意気上がる(調子ぶっこいている)クレルモン将軍は、プロイセン本国に侵攻。ライプチヒ要塞を囲む。しかしこれはさすがに調子に乗り過ぎであった。兵力を立て直したフリードリヒがライプチヒで反撃。得意の斜行戦術が炸裂しフランス軍は大敗。国境外に撃退されていった。

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シレジアではオーストリア軍がブリング要塞を陥落させ、要域ブレスラウを指呼の元に捉えた。
ロシア軍はバルト海沿岸部を西進し、コルベルグ要塞を占領する。

10月

イメージ 18英ハノーファ軍がミンデン要塞を奪回した。さらに南下した英ハノーファ軍がカッセルを占領。エアフルトに陣取るフランス軍14戦力(大半が消耗)は後方を断たれてしまう。

ロシア軍はバルト海沿岸を進んでステッテンに到着。スウェーデン軍と合流しステッテンの包囲を解囲する。別動隊がポーランド内陸部からオーデル川沿いのキュストリンに進出。同地を無血占領している。

1759年

2月

イメージ 19アプラクシン将軍(★★1)率いるロシア軍24戦力がベルリンに侵攻。ハインリヒ親王率いる6戦力を撃破してベルリンを支配する。それに対してフリードリッヒ率いる2個軍団16戦力がベルリンに向かう。両軍16戦力同士の激突。しかしここではフリードリヒの指揮が冴えわたる。得意の斜行戦術が炸裂。大損害を被ったロシア軍は退却を余儀なくされてしまう。一方勝利したプロイセン軍も兵力の半数がステップロスしてしまい、必ずしも楽な勝利ではなかった。

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エアフルトで包囲されたフランス軍は、ブラウンシュバイク公率いる英ハノーファ軍の攻撃を受けて壊滅。フランス軍は一気に12戦力を失う大損害を被る。クレルモン将軍は脱出カードで辛くも戦死を免れる。

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イメージ 20一方シレジアでは、オーストリア軍がその支配を完了しつつあった。ケーニヒグレーツ要塞を囲むベーヘン将軍(★1)率いるプロイセン軍6戦力に対してダウン伯(★★2)率いる16戦力が襲いかかった。ベーフェルン将軍の兵力は先の冬に冬季損耗で兵力の過半が損耗しており、新鋭のオーストリア軍に対抗する術はなかった。直ちに撤退するプロイセン軍に対し、オーストリアの騎兵が背後に回り込む。包囲されたプロイセン軍は壊滅的な打撃を被り、ベーフェルン将軍は戦死してしまう。

4月

バルト海沿岸では、フリードリヒが先に大損害を受けたロシア軍を追う。ステッテンで両者は激突。兵力の過半を失っているロシア軍に勝機はなく、ロシア軍は再び大損害を被り、コルベルク要塞まで後退していく。フリードリヒはスウェーデン軍が籠るステッテン要塞を攻めるが、ステッテンは落ちない。


8月

オーストリア軍がシレジア一帯を制圧していく。最後の仕上げにダウン伯率いる16戦力がブレスラウに攻め込んだ。プロイセン軍2戦力がブレスラウに籠るが、2ラウンド続いた攻撃によって遂にブレスラウが陥落する。

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10月

イメージ 22ダウン伯及びブラウン将軍(★★2)率いるオーストリア軍16戦力がドレスデンに侵攻した。ドレスデンを守るプロイセン軍はわずかに1戦力。それでも猛攻に耐えれば冬季損耗のチャンスもあったのだが、奇跡は起こらずドレスデンは陥落してしまう。

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1760年

2月

イメージ 21[attached(16,right)]]ブラウン将軍率いる8戦力はドレスデンから進発してそのまま西に向かいライプチヒを囲んだ。微弱な守備隊した持たなかったライプチヒは一撃の元に陥落してしまう。
一方ドレスデンから北上したダウン伯率いる8戦力とラウドン(★2)率いる8戦力の計16戦力がベルリンに殺到する。ベルリンを守るレーワルト将軍率いるプロイセン軍はたまらず退却。ダウン伯は騎兵を放って追撃するものの、プロイセン軍も騎兵を使ってこれに対抗し、騎兵の追撃を退けた。

「ベルリン、ライプチヒの陥落」

イメージ 23この報ほどプロイセン軍を震撼させたことはない。このままでは負ける。そういう思いに駆られたプロイセン軍は、兵力を結集してベルリン奪回を目指す。ステッテンを包囲中であったフリードリヒ率いる8戦力が包囲を解いてベルリンに向かい、南からはレーワルト将軍率いる8戦力がベルリンを目指す。

ベルリン攻防戦。

兵力はほぼ互角。ただしフリードリヒは連絡線遮断のため能力半減。さらにオーストリア軍は戦術カード3枚揃い踏みでフリードリヒの指揮能力に対抗する。ダウン伯、ラウドン率いるオーストリア軍は強かった。湿地に足を取られたフリードリヒ軍は思うように動けない。結局プロイセン軍はベルリン攻防戦い敗退して後退。ここにプロイセン軍の敗北が確定した。

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感想

全44Turn中22Turn目に決着がついた。丁度半分である。ここまでの所要時間はセットアップを含めて約3.5時間。最終Turnまでプレイしたとしても7時間ぐらいで終われそうだ。

[前回は同じ反プロイセン軍を率いて歴史的大敗を喫したが、今回は順当に勝てた。ロシア軍が普通に動いてくれて、オーストリア軍もフリードリヒとの直接対決を避けることができた(最終局面以外)ために兵力を大きく損耗することはなかった。フランス軍とロシア軍はオーストリア軍程幸運ではなく、いずれもフリードリヒ軍の猛攻によって大損害を被ったが、結果的にはプロイセン軍の時間と兵力の消費を強いたので、必ずしも一方的な敗北ではないだろう。

ゲーム展開としては順当なものだったと思う。反プロイセン軍は、オーストリア、ロシア、フランスを適宜機動させ、フリードリヒに翻弄を強いた。そして戦闘を実施するときは可能な限り自らを防御側とするように努める(反プロイセン軍の戦闘カードは、殆ど防御側のみ使用可能である)。今回はこれらが比較的上手くいった。
あと今回はスウェーデン軍の活躍が目立った。一例を挙げればハミルトン将軍の5~6戦力がステッテンを占領したことであろう。その影響は計り知れない。

いずれにしても面白いゲームである。まだまだ対戦したいゲームの1つである。


Game Journal 50-フリードリヒ最大の危機 Game Journal 89-フランス革命 戦史 七年戦争 フリードリヒ大王の指揮 フリードリヒ大王