GJ#36号「真田軍紀」をプレイした。
このゲームは、1614~15年における大坂の陣をテーマとしたシミュレーションゲームである。
史実の大坂の陣は大阪城周辺の比較的狭い地域での戦いとなったが、本作は西は姫路城から東は尾張東部まで含んでおり、大坂方は史実と異なって畿内一円を舞台とした大規模機動戦闘を実施できる。そのあたり、歴史的ゲームというよりは、半仮想戦に近いゲームかもしれない。
このゲームは、1614~15年における大坂の陣をテーマとしたシミュレーションゲームである。
史実の大坂の陣は大阪城周辺の比較的狭い地域での戦いとなったが、本作は西は姫路城から東は尾張東部まで含んでおり、大坂方は史実と異なって畿内一円を舞台とした大規模機動戦闘を実施できる。そのあたり、歴史的ゲームというよりは、半仮想戦に近いゲームかもしれない。
今回、下名は西軍を担当した。
前回まで --> こちら
13Turn(11/13)

畿内では西国からの東軍約8万が大坂城を囲んでいた。しかし頼みの浪人衆が皆出払っている西軍が、関東方の大軍に対抗できる筈もなかった。あえなく包囲される大坂城。あとは淀君と秀頼公の耐久力がいつまで持つかだが・・・。
その頃、京の二条城では大攻防戦が繰り広げられていた。塙団右衛門(3-2)以下約8千の西軍が、10万を超える東軍相手に大奮戦。徳川家康本隊に計10損害以上を与えた後、自らは一兵も残さずに壊滅した。

14Turn(11/16)
美濃にまで進出していた真田幸村、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親は、木曽川を越えて尾張に進出。名城
畿内では、大坂を目の前にして徳川親子が茨木城(2-2)を攻撃していた。茨木城には京から撤退中で大坂城の目の前まで来ていた蒲田兼相(2-2)が入城していた。蒲田兼相の奮戦むなしく茨木城は陥落。蒲田宰相は討死してしまう。
堺では、新宮行朝(1-0)が東軍の攻撃を受けて戦死している。
堺では、新宮行朝(1-0)が東軍の攻撃を受けて戦死している。
15Turn(11/19)

浪人衆の策動に手を焼いた徳川軍は、遂に家康本隊及び秀忠隊を以て浪人衆を追った。琵琶湖西岸を北上した家康、秀忠隊が大溝城、朽木城を相次いで奪回していた。


一体どうしたというのだ。
女官たちの部屋に砲弾が落ちてきて、淀君が「和議じゃ、和議じゃ」と叫んでいるとでもいうの・・・。
とにかく1の目を出さないようにするしかないが、ゲームはまだあと13Turnも残っている。
16Turn(11/22)



結局後藤又兵衛隊約1万は、約6~7万の徳川隊による猛攻を受け壊滅。後藤又兵衛自身も壮烈な最期を遂げてしまう。

その間、長宗我部盛親、毛利勝永は伊勢亀山城(3-3)を強襲し、これを落城せしめていた。
17Turn(11/25)
後藤又兵衛を失った浪人衆は、止む無く畿内を撤退。長宗我部、毛利らと合流すべく伊賀路を東へ進む。しかしその後方から東軍が追う。真田幸村、明石全登らは鈴鹿峠に布陣し、東軍の突破に備える。
感想
負けてしまった。いや、負けたのは仕方がない。元々勝ち目のない戦いだったのだから。ただ華々しい合戦での勝利がなかったのが悔しい。同じ負けるにしても、家康公率いる大軍と決戦を繰り広げてから負けたかった。そういった意味では、第11Turnで瀬田の防衛線を放棄したのは失敗だったかもしれない。それよりも負けを覚悟でも奇跡を期待して家康公率いる東軍主力と対決すべきだったか・・・。いずれにしても、今回はあまりに無計画過ぎた。次回はもう少し計画的に行動しないといけないと反省しきりである。
あと1度ぐらい西軍でチャレンジしてみたい作品ではある。
