「赤磐会」は岡山を中心とするゲームサークルのメンバーが一同に会してプレイするゲーム会です。話によると年2回程度のペースで開催されているとのこと。今回、私は、岡山旅行も兼ねて参加させて頂きました。
プレイしたのは主題のゲームです。下名は反織田を担当しました。
序盤はよくある展開で、織田の攻撃部隊が六角を攻撃してこれを壊滅。一方の反織田は三好が茨木にちょっかいをかけて、雑賀が本願寺と共同で信貴山に松永久秀を囲みます。
そこから織田は石山本願寺に対する総攻撃を開催します。しかしさすがに石山本願寺は固い。織田方の攻城戦におけるダイス目の悪さも手伝って。石山攻撃は長期戦の様相を呈してきます。その間、反織田は浅井・朝倉、本願寺、三好等の勢力で脆弱な織田側補給線を襲おうとしますが、こういう時に限ってチットがなかなか来ない。そうこうしている間に石山本願寺が織田の大軍による総攻撃で徐々に弱体化。石山総攻撃で失われた織田軍の兵力も膨大な数に上りますが。なんせ補充能力が勝負にならないので、最終的には石山本願寺が落城してしまいました。直後に「石山本願寺の和睦」カードによって本願寺と織田信長の和睦が成立。
ほぼ同じ時期に武田が参戦。しかしなんと参戦直後に武田信玄が病死(まさかここでピンゾロが出るなんて・・・)。喪に伏している間に織田の小部隊が武田領内を跳梁。武田本城である躑躅ヶ崎館が落城し、前線の武田軍が全て補給切れになってしまいます。
その後浅井朝倉が佐和山に進出して大垣経由の織田方連絡線を遮断。さらに長島一向一揆が桑名で織田方の連絡線を遮断。こうして畿内の織田方と本国との連絡線が完全に遮断されてしまいます。徳川家康が長駆出撃して桑名の一向宗を撃破。連絡線を回復します。
しばらく小康状態が続いていよいよ毛利が参戦。その毛利が本格的動き出す前に今度は上杉が参戦。上杉の京都進撃と呼応して浅井長政が小部隊を率いて琵琶湖西岸から京都市内に突入しました。京都を守る柴田勝家は奮戦しますが、最後は浅井長政の指揮能力が物を言って京都を支配しました。そこで浅井長政は方面軍大将に就任。織田勢はこの段階で敗北を認めて降伏しました。
序盤はよくある展開で、織田の攻撃部隊が六角を攻撃してこれを壊滅。一方の反織田は三好が茨木にちょっかいをかけて、雑賀が本願寺と共同で信貴山に松永久秀を囲みます。
そこから織田は石山本願寺に対する総攻撃を開催します。しかしさすがに石山本願寺は固い。織田方の攻城戦におけるダイス目の悪さも手伝って。石山攻撃は長期戦の様相を呈してきます。その間、反織田は浅井・朝倉、本願寺、三好等の勢力で脆弱な織田側補給線を襲おうとしますが、こういう時に限ってチットがなかなか来ない。そうこうしている間に石山本願寺が織田の大軍による総攻撃で徐々に弱体化。石山総攻撃で失われた織田軍の兵力も膨大な数に上りますが。なんせ補充能力が勝負にならないので、最終的には石山本願寺が落城してしまいました。直後に「石山本願寺の和睦」カードによって本願寺と織田信長の和睦が成立。
ほぼ同じ時期に武田が参戦。しかしなんと参戦直後に武田信玄が病死(まさかここでピンゾロが出るなんて・・・)。喪に伏している間に織田の小部隊が武田領内を跳梁。武田本城である躑躅ヶ崎館が落城し、前線の武田軍が全て補給切れになってしまいます。
その後浅井朝倉が佐和山に進出して大垣経由の織田方連絡線を遮断。さらに長島一向一揆が桑名で織田方の連絡線を遮断。こうして畿内の織田方と本国との連絡線が完全に遮断されてしまいます。徳川家康が長駆出撃して桑名の一向宗を撃破。連絡線を回復します。
しばらく小康状態が続いていよいよ毛利が参戦。その毛利が本格的動き出す前に今度は上杉が参戦。上杉の京都進撃と呼応して浅井長政が小部隊を率いて琵琶湖西岸から京都市内に突入しました。京都を守る柴田勝家は奮戦しますが、最後は浅井長政の指揮能力が物を言って京都を支配しました。そこで浅井長政は方面軍大将に就任。織田勢はこの段階で敗北を認めて降伏しました。