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「常徳殲滅作戦」は1943年11月に実施された日本陸軍による「よ号作戦」を、1Turn1週間、1ヘクス4.8kmのスケールで再現するシミュレーションゲームだ。「よ号作戦」といっても殆どのゲーマーにとっては馴染みの薄い作戦であろう。そもそも「常徳ってどこね?」というのが、私を含めた多くのゲーマーの偽らざる心境だと思う。かくいう私もそうであった。

もし、この「常徳殲滅作戦」が不出来な作品であれば、本作はすぐに忘れられて歴史の彼方に消えて行くだろう。しかし幸いこの「常徳殲滅作戦」は駄作ではなかった。優れて「遊べる」ゲームに仕上がっていたのである。

第1戦

最初の対戦時では対戦相手氏の希望を汲んで、下名は日本軍、対戦相手氏は中国軍を担当した。

1Turn

イメージ 9本誌の解説にある通り、中国軍は常套手段である「逃げるが勝ち」作戦によって最前線の部隊を全て撤収する。そのため最前線を遮るものがなくなった所で日本軍は2回連続で移動を選択。中部の要域である豊懸(3114)が早くも包囲されるに及んで、中国軍も脅威を感じたようである。

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2Turn

イメージ 10豊懸(3114)を落した日本軍は、そのままの勢いで一気に常徳(1711)に迫る。途中の臨豊(2510)でも中国軍の抵抗は微弱であり、瞬時に撃破。そのままの勢いで常徳城外に迫る日本軍。この段階で早くも勝利を確信する日本軍プレイヤーなのであった。

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3Turn

イメージ 11しかし中国軍の増援部隊は続々と常徳に集結してきており、このままでは常徳そのもの攻略は困難になりつつあった。そこで日本軍は常徳を攻めると見せかけて目標を変更。北西部山岳地帯の仁和坪(4306)や煖水街(3909)、あるいは南西部の石門(2906)、慈利(2502)といった辺りに攻撃を指向した。煖水街は比較的簡単に陥落、仁和坪も陥落したが、石門はその名の通り頑強な中国軍の抵抗にあい、攻略が思うように進まない。

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4Turn

イメージ 12石門、慈利に対する日本軍の攻撃はなおも続いているが、その攻略は遅々として進まない。しかも攻略作戦でEXを2度出してしまい、貴重な部隊が除去されてしまう。日本軍の場合、1部隊の壊滅がそのまま1VPの損失につながるので(中国軍の場合、司令部以外は無料)、EXは非常に痛いのだ。

5Turn

イメージ 13最終Turnにようやく石門、慈利を攻略した。また石門で中国軍の司令部を除去したので1VP加算。これでVPは14対14のタイとなり、辛うじて引き分けに持ち込んだ。

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反省

中国軍の抵抗にあって右往左往した感がある。攻撃の重点をどこに向けるのか。どのような順番で敵拠点を落していくのか。どの段階で敵主力と決戦するのか、といったグランドデザインに欠けていた。引き分けに持ち込めたのは僥倖だと言えよう。

第2戦

ビルマの落日が早く終わったので、時間が余ってしまった。そこで「常徳」を再度やりましょう、ということになり、再び挑戦することにした。今度は中国軍を担当する。

1Turn

イメージ 9日本軍は中央にあまり快速部隊を回さず、両翼に快速部隊を回してきた。おかげで豊懸(3114)前面で日本軍は停止。なんとか防衛ラインを敷ける程度の時間は稼げそうだ。一方で洞庭湖の魚口(2421)に対しては最精鋭部隊を振り向けてきた。魚口はまだ持ちこたえているが、陥落は時間の問題かもしれない。

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2Turn

イメージ 13魚口が陥落した。洞庭湖の制水権を得た日本軍は湖面機動によって常徳(1711)前面に精鋭部隊を前進させる。また主攻勢方面では豊懸が陥落。石門(2906)、臨豊(2510)も敵の包囲下に陥る。

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3Turn

イメージ 14常徳が陥落した。精鋭部隊を集中投入してきた日本軍に対し、常徳守備隊はまさかの3防御力(司令部含む)。アントライドシステムのなせる技だが、ここまでカスを引いてくるとは・・・。
時を同じくして石門、臨豊も陥落。戦線を引かずに要地に部隊を集めるだけの「確地戦略」は、少なくともこのゲームでは通用しない。

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その後、中国軍の反攻も功を奏さず、大差で日本軍の勝利となった。

反省

湖水移動を日本軍に許したのは仕方がないとしても、上陸部隊にいきなり常徳を突くことを許したのは不味かった。また戦線の張り方にも問題があった。確地ではだめだ。限定的な形でも良いからちゃんと戦線を引かなければ・・・。