「真本信長公記」は、いわゆる信長包囲戦を扱ったシミュレーションゲームだ。基本システムは「太平記」で、「太平記」をやや簡略化したシステムを採用している。1Turnは実際の1~2年程度の期間を表し、全7Turnで信長包囲戦をシミュレートする。

今回、下名は信長陣営を担当してみた。

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Turn1

主導権=右府方
京都の羽柴秀吉麾下3戦力を北幾に、柴田勝家麾下の2戦力を摂河泉に向かわせた。北幾では羽柴秀吉が浅井長政麾下の3戦力を撃破。摂河泉では柴田勝家が本願寺勢を撃破していた。この時点では勝利を確信した信長公であったが・・・。

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Turn2

主導権=公方方
中国道から毛利輝元が足利将軍を伴って山陽道へ攻め込んだ。また東からは武田信玄が甲斐から出撃して駿河・遠江へ攻めこんでくる。さらに北からは朝倉義景公が近江に進入してきた。
三方ヶ原で武田信玄と徳川家康が激突する。ところがなんと合戦直前に徳川家康公が武田方へ寝返ったのだ。そのために織田家本隊から応援に来ていた佐久間信盛が孤立して壊滅。佐久間信盛はそのまま武田方に寝返った。徳川家康の寝返りは、織田方にとって東方の防衛ラインが崩壊したことを意味していた。

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Turn3

主導権=右府方
武田信玄が亡くなり、息子の武田勝頼が後を引き継いだ。その勝頼と徳川家康の連合軍が濃尾地方に攻め込んだ。織田方は濃尾地方での決戦を回避して後退。主力は近江に集結して朝倉義景を叩く。朝倉軍は撃破されて越前に後退していった。

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Turn4

織田信長、羽柴秀吉らの軍勢が濃尾地方へ反転攻勢に転じた。濃尾地方で織田、武田両陣営の大軍同士が激突する。織田方の期待は信長公による家康公への再度の調略成功だが、確率1/6では、所詮期待するのがムリというもの。案の定、家康公への調略は失敗に帰し、織田・武田の大戦力同士で激しい合戦となる。この合戦で壊滅的だ打撃を受けた織田方主力はほぼ壊滅。同じ頃摂河泉でも柴田勝家率いる7戦力が吉川元春、浅井長政率いる10戦力と激しく戦って敗退していた。

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その後

結局、第4Turnの戦いが全てを決した。その後戦力を過半を失った右府方は最早立て直しの可能性はなかった。第5Turn終了時に織田方が投了し、ゲームは終了した。

感想

第2Turnにおける徳川家康の裏切りが全てだった。確率1/6に過ぎないが、こういうのに限って"1"を出してしまう。いずれにしてもこのゲーム、織田方かかなり不利なので、織田方はある程度リスクを取らないと勝てない。従って家康の裏切りもリスクの1つとして考えるしかないのではないか。あるいは家康は使えないと割り切るか・・・・。しかしそれは勿体ない。

余談

その後立場を変えてもう1戦プレイした。今度は下名が公方方を担当したが、やはり最初に家康が武田方に寝返ったため、上記と同様の展開で公方方が勝利した。



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