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Paths of Glory
Paths of Glory(以下、パスグロ)は第1次世界大戦を戦略レベルで扱ったシミュレーションゲームだ。第1次世界大戦の陸上戦闘をP2P(ポイント・トゥ・ポイント)の地図とCDS(カード駆動システム)で描いた作品で、陸上戦闘以外(戦略爆撃、海上戦闘、Uボート戦等)はカードイベントによって抽象的に描かれている。1Turnは実際の3ヵ月、1ユニットは軍又は軍団だ。ユニットの規模が大きいため、駒数は比較的少なく、最強のドイツ軍にしても駒数は30前後である。
今回、このパスグロをプレイしてみた。下名は中欧陣営(ドイツを中心とする同盟諸国)を担当する。なお、今回のプレイでは、ルールは2010年度版(GMTサイトの現時点におけるLiving Rule)、セットアップは4.2.4のオプションを採用。またカードの手札制限は8枚とした。

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1Turn(1914年8月)

イメージ 16「8月の砲声」と共に第1次世界大戦の幕は切って落とされた。ドイツ軍の精鋭3個軍はベルギーのリエージュ(Liege)要塞を落し、一気にフランス領内へ雪崩れ込んだ。セダン(Sedan)を守るフランス第5軍(3-3-3)は瞬く間に撃破され、ドイツ軍2個軍がセダンに進出する。ドイツ軍の攻撃はさらに続き、ヴェルダン(Verdan)を守るフランス軍に猛攻を加える。大打撃を被ったフランス軍はヴェルダンと、さらにそれに隣接するナンシー(Nancy)要塞を放棄し、その後方のバル・ル・デュック(Bar le Due)まで後退していった。

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イメージ 15西部戦線では大成功を収めたドイツ軍であったが、バルカン戦線でのオーストリア軍はセルビアに侵攻。その首都ベオグラード(Belgrade)を攻撃したものの、出目に恵まれず攻撃は失敗に終わった。さらに連合軍は西部戦線におけるドイツ軍の攻撃を牽制するため、東部戦線で大規模な攻勢を仕掛けてきた。兵力に勝るロシア軍は国境ラインのオーストリア第3軍(3-2-3)を撃破しつつ、西に向けて進撃を開始した。プシェムィシル(Przemysl)のレベル3要塞がロシア軍に占領され、レンバーグ(Lemberg)、チェルニウツィー(Czernowitz)といったVP都市が相次いでロシア軍の手に落ちた。

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2Turn(1914年9月)

イメージ 17先のTurn、フランス軍が放棄したナンシー要塞をドイツ軍が占領した。一方連合軍は英軍を主力とする部隊が北部戦線で反撃に転じ、リエージュを奪回していた。
東部戦線では、先のTurn、たロシア軍がさらに西へ向けて前進する。オーストリア南東部のカルパティア山脈を突破したロシア軍はクルジュ(Cluj)を占領した。カルパティア盆地の入口を支配したロシア軍は、その西方にブダペスト(Budapest)、そしてウィーン(Vienna)を望む。

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3Turn(1914年秋)

イメージ 18ドイツ軍は先のTurnに失ったリエージュに対して反撃を行い、同地に進出していたベルギー第1軍(2-3-3)を撃破。リエージュを奪回していた。さらにドイツ国内ではライヒスタークの社会民主党が政治的「休戦」を宣言して戦争に協力することを表明。これにより中欧軍は、連合軍に先んじて「動員状態」から「限定戦争状態」に移行した。
東部戦線にはドイツ軍3個軍が進出し、ロシア軍と対峙する。さすがにドイツ軍3個軍の威力は無視できず、東部戦線はやや小康状態を迎えている。

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4Turn(1915年冬)

イメージ 19このTurnからトルコが中欧側に加わった。三国体制の確立である。オーストリアとドイツの合同軍(SUD軍)がセルビアに侵攻する。ベオグラード(Belgrade)を守るセルビア第1軍(2-2-3)は鎧袖一触で撃破され、ベオグラードは中欧軍の手に落ちた。
連合軍は、ベルギー領内におけるドイツ軍の残虐行為を喧伝し(レイプ・オブ・ベルギー)、さらに海上封鎖(Blocked)によってドイツの経済に締め付けを仕掛ける。

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5Turn(1915年春)

イメージ 20コーカサス山脈を挟んでトルコと国境を接するロシア。宿年の仇敵に対してロシアは軍事行動に打って出た。ユーデリッチ(Yudenitch)将軍指揮するコーカサス軍(3-2-3)が編制され、トルコ領内に雪崩れ込む。エルズルム(Erzerum)に対して総攻撃をかけたロシア軍であったが、そこはトルコ側も抜かりがなかった。トルコ軍の誇る名将ケマル(Kemal)将軍とドイツの軍事顧問リーマン・フォン・サンダース(Liman Von Sanders)のタッグでロシア軍の攻撃を迎え撃つ。この戦闘で虎の子コーカサス軍がステップロスしてしまい、ロシア軍がカスピ海側からトルコへ圧力をかけるのが難しくなった。

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イメージ 21しかし連合軍は諦めない。今度は英近東軍(MEF)(1-2-3)が編制され、キプロス島に上陸した。ここから対岸のアダナ(Adana)を伺う。中欧軍はSR(戦略再展開)を使って近東地区にドイツ軍団を送り込む。こうして東地中海を挟んで両陣営が対峙する。

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6Turn(1915年夏)

大西洋で悲劇が起こった。ドイツ軍Uボートの攻撃によって英国客船ルシタニア号が沈没したのである。乗船していた乗員乗客1000名以上が死亡し、かのタイタニック号の悲劇に匹敵する大惨事となった。犠牲者の中には128名のアメリカ人旅行者が含まれており、孤立主義を取っていたアメリカ合衆国は反独的な姿勢を強めていくことになる。

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バルカン半島では、遂にセルビアが陥落。時を同じくしてブルガリアが中欧側陣営に立って参戦する。ドイツ国内では、ヴァルター・ラーテナウ(Walter Rathenau)による帝国経済の再編成が行われ、ドイツは長期戦に備える態勢を整えた。さらにはファルケンハイン(Falkenhayn)がドイツ参謀総長に就任し、消耗戦という恐るべき戦略によって連合軍と相対しようとしていた。

7Turn(1915年秋)

イメージ 22東部戦線ではドイツ軍が攻勢に転じてポーランド領内のウィチ(Lodz)、ワルシャワ(Warsaw)を占領し、さらに東へ進んでロムザ(Lomza)、グロドノ(Grodno)、コヴォノ(Kovno)の各要塞地帯を占領。そしてロシアへの入口とも言うべきヴィルナ(Vilna)を奪取した。これでドイツ軍はロシア領内の3都市を占領したことになり、ロシア革命への次のステップである「皇帝出撃」を使用する権利を得た。

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8Turn(1916年冬)

イメージ 23戦争は早くも3年目に突入した。既に短期戦の望みは消え失せ、「戦争を終わらせるための戦争」は先の見えない長期戦へと向かっている。
このTurn、イタリアが連合軍側に立って参戦した。しかし予めイタリアの参戦を予期していた中欧軍は慌てない。アドリア海北岸のトリエステ(Trieste)とアルプス山中のトレント(Trent)からドイツ軍を伴ったオーストリア軍各1個軍が、イタリア領内に雪崩れ込む。慌ててイタリア第5軍(2-2-3)が編制されるが、オーストリア軍の進撃は止まらない。

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9Turn(1916年春)

イメージ 24連合軍が一足先に「限定戦争」段階から「総力戦」に移行する。このTurnの主戦場はイタリア半島だ。同方面に3個軍を投入したオーストリア軍はイタリア軍を圧迫し、このTurn、要域ヴェニス(Venice)を占領した。
連合軍は、イタリア領内における戦力不均衡を打開すべく、フランス領内から完全戦力3個軍からなるイタリア派遣軍が出撃する。グルノーブル(Grenoble)でアルプス山脈を越えたフランス軍は、イタリア領内に入りジェノア(Genoa)付近まで進出する。さらに半島の付け根を横切ってヴェニス奪回を目指すフランス軍に対し、ただちにドイツ軍2個軍がイタリア半島に送られ、ヴェニスにおける守備力強化を図る。
ラヴェンナ(Ravenna)でアドリア海沿岸に到達したフランス軍は、その北にあるヴェニスに襲いかかる。大兵力同士の激突だが、ここでは中欧軍が何とかヴェニスを守り切った。

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このTurnの最後に「ロシア皇帝、戦場で指揮する」のカードを出し、ロシア革命に向けてまた一歩前進した。

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